この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。
【Global Outlook=ハルバート・ウルフ】
ウクライナで戦争を始めて以来、ロシアは繰り返し核兵器に言及しており、その結果、核兵器が戦略論議の表舞台に再浮上している。これは、欧州に核戦争が起こるのではないかという懸念を引き起こし、核軍備管理への痛手となっている。残念なことにロシアの思考は波及効果をもたらし、NATOは、核抑止の必要性、特に欧州における核共有プログラムの必要性を改めて強調している。
戦争が始まって間もなく、ウラジーミル・プーチン大統領は核戦力を高度警戒態勢に置いた。そして今度は、過去数カ月の戦況に関するセルゲイ・ラブロフ外相の発言を受け、ドミトリー・メドベージェフ元大統領も後に続いた。ウクライナにおける戦争犯罪の疑いに関する国際刑事裁判所の捜査に対して、核戦争の恐れを警告し、「世界最大の核兵器保有国を罰しようなどという考えは、ばかげている。そして、人類存続の脅威をもたらす恐れがある」と述べたのである。核兵器への度重なる言及によって、ロシアは何を狙っているのか? それは深刻な脅威なのか? 西側によるこれ以上のウクライナ支援を阻止するためか? あるいは、欧州に核戦争の危険さえあるというのか?。(原文へ 日・英)
欧州の各国政府と人々は、今一度、核兵器の役割を議論している。いくつかの場面で、NATO加盟国のトップクラスの政治家が、核抑止戦略は引き続き適用され、いかなる状況でも欧州の核共有のコンセプトが放棄されることはないと指摘した。突如として欧州の人々は、核武装したロシアとNATOの核同盟との間の生命を脅かす紛争に、自分たちが再び直面していると感じるようになった。これは、核兵器廃絶の動きにとって、不運な痛手である。
核共有のシステムは、もともと冷戦時代の初期に西側同盟国の間で核兵器が拡散するのを防ぐために考えられたものである。NATOによれば、それは、「核抑止の利益、責任、リスクを全ての同盟国の間で共有する」ためのものである。欧州の戦略家たちは、核共有への関心が高まることにより欧州の安全保障に対する米国の関与が深まることを期待している。米国のB61核爆弾100~150発が、ベルギー、ドイツ、イタリア、オランダ、トルコの欧州5カ国に配備されていると推定されている。NATOはいまや、核抑止力の近代化を望んでいることを公表している。
戦争が始まる前、状況は非常に異なっていた。核兵器は政治的議題ではなく、人々の念頭にもなく、非核兵器国によるイニシアチブと核兵器禁止条約(TPNW)が核兵器の全面的廃絶という希望をもたらしていた。核抑止力に関しては、常に二つの対立する立場があり、二つの立場は断固として互いに対立していた。
ウクライナ戦争が始まる前、五つの核共有国のうち4カ国では、このシステムを終わらせ、米国の核兵器を撤去することについて真剣な議論がなされていた。核共有は、冷戦の遺物のように認識されていたのである。トルコのみが逆の路線を取った。レジェップ・タイップ・エルドアン大統領は、2019年、核兵器国がアンカラの自国核兵器開発を禁止しようとするのは容認できないと述べた。彼は、トルコが単独で自前の核兵器を保有する具体的な計画があるかどうかは明らかにしなかった。
他の四つの核共有国、ベルギー、ドイツ、イタリア、オランダの政府は、核兵器のない世界を支持すると表明しているが、核兵器禁止条約(TPNW)には参加せず、核共有協定にも異議を唱えなかった。しかし、4カ国はいずれも、米国の核兵器の撤去について、議会においても一般社会においても真剣な議論を行った。ベルギー、オランダ、イタリアの世論は、TPNWへの参加を強く支持していた。一方ドイツでは、2021年後半に、国民の57%がドイツ国内から核兵器を撤去することを望んでいた。
ウクライナにおける戦争が、このような状況を一変させた。欧州議会による2022年春の世論調査「ユーロバロメーター」によると、いまや欧州市民のほとんどが防衛努力を優先している。ドイツでは、米国の核兵器の撤去に賛成したのはわずか39%だった。近頃マドリードで開かれたNATOサミットで、核兵器の役割について質問されたドイツのオラフ・ショルツ首相は、二つの簡潔な文で議論の余地を潰した。「これに関して、NATOには長年にわたる戦略があり、それを今後も追求する。これは、われわれが何十年にもわたって行ってきたように、今後も継続していくものだ」。オラフ・ショルツ率いる社会民主党(SPD)内で核共有に批判的な人々のうち、この見解に公然と反対した者はいなかった。実際のところドイツ政府は、米国の核搭載可能なF35戦闘機を新規購入し、この核軍拡競争に加わろうとしている。ドイツが核共有に引き続き参加するかどうかに関する長年にわたる賛否両論と長々しい議論の揚げ句、ロシアによるウクライナ侵攻から何日もしないうちに、この調達が決定された。
NATO高官は、核共有の概念近代化に前向きな姿勢が広まったことを大いに喜んだ。NATOの核政策局のジェシカ・コックス局長(Chief of NATO’s nuclear policy directorate)は、「F-35を近代化し、これらを計画および演習に導入するために、迅速かつ猛烈に動いている……」と述べた。さらに、「この戦闘機の高度な性能は、同盟国やF-35の購入国であるポーランド、デンマーク、ノルウェーなど、実際の核共有ミッションを担う可能性がある国々の能力を押し上げることにもなる」と、コックスはつけ加えた。
いまや、自前の核兵器という選択肢を検討しているのはトルコだけではなくなった。NATO加盟国の大部分、あるいは全てが核共有協定に加わることはあるのだろうか? 欧州における声は、ますます大きくなっている。欧州人民党(EPP)の党首、マンフレート・ヴェーバーは、あるインタビューで、「今やわれわれは、核兵器保有についても話し合わなければならない」と述べた。また、ミュンヘン安全保障会議のクリストフ・ホイスゲン議長は欧州の安全保障を強化する路線を採り、「核の傘について、フランスと協議を行う必要がある……」と述べた。フランスのエマニュエル・マクロン大統領は、これまで繰り返し欧州の「戦略的自律」を訴えており、2020年初め、フランスの核抑止力に関する対話を「その用意がある欧州のパートナー国」と行うことを提案した。当時、マクロンはパートナー国から肯定的な反応を得られなかった。彼の立場は、米国・欧州の核共有体制とは相容れないようである。
現在のトレンドはさらなるエスカレーションに向かっているが、それでもわれわれは、いまなお「相互確証破壊」を保証する核の特質について冷静に評価を行うことをやめてはならない。したがって、ロシアとの関係を鎮静化するために、今一度、核共有をめぐる議論と核軍備管理を協議のテーブルに戻すべきである。これは、米国・ロシアの2国間関係だけに留めるべきではない。欧州各国政府の率先的取り組みが、有益となるだろう。
ロシアが核兵器について弁を弄した結果、欧州における核兵器の役割に関する議論が再燃した。各国政府はいまなお核軍備管理と核軍縮イニシアチブの必要性を指摘しているものの、現実には、核兵器備蓄のアップグレードと近代化を目指す方向にスイッチが入っている。かつて欧州に見られた核の有用性に対する懐疑的なムードは、核抑止を支持する立場に変わった。これは、核兵器廃絶を願う全ての人を深く失望させるものだ。
ウクライナにおける戦争が始まる前からすでに、米国・ロシア間の緊迫した関係が多くの2国間軍備管理体制に終止符を打ち、核兵器をめぐる緊急に必要な会談もコロナ禍によって延期された。それでもなお、他の取り組み、特にTPNWと近々開催される第10回核不拡散条約(NPT)再検討会議が、核軍備管理の議題に新たな命を吹き込んでくれるという期待がある。
ハルバート・ウルフ は、国際関係学教授でボン国際軍民転換センター(BICC)元所長。2002年から2007年まで国連開発計画(UNDP)平壌事務所の軍縮問題担当チーフ・テクニカル・アドバイザーを務め、数回にわたり北朝鮮を訪問した。現在は、BICCのシニアフェロー、ドイツのデュースブルグ・エッセン大学の開発平和研究所(INEF:Institut für Entwicklung und Frieden)非常勤上級研究員、ニュージーランドのオタゴ大学・国立平和紛争研究所(NCPACS)研究員を兼務している。SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の科学評議会およびドイツ・マールブルク大学の紛争研究センターでも勤務している。
INPS Japan
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