SDGsGoal16(平和と公正を全ての人に)「二度とあってはならない!」長崎原爆の被爆者がメキシコで訴え

「二度とあってはならない!」長崎原爆の被爆者がメキシコで訴え

【メキシコシティーINPS Japan/GESE=ギエルモ・アヤラ・アラニス】

「私たち(被爆者)は、長崎に原爆が投下されたときに起こったことを、人々に伝える義務があります……。それは、核攻撃の幻影(核兵器が実際に使用される可能性)が再び現実味を帯びている今日、あの惨劇が二度と起こらないとは言えなくなっているからです。」と、1945年に長崎で被爆した山下泰昭さんは語った。

今年8月9日、メキシコシティーのオクタビオ・パス図書館で、作家のセルジオ・エルナンデス氏が、1945年の長崎原爆投下から78周年を祈念して、「山下泰昭の被爆証言」という本を出版した。エルナンデス氏が山下さんの被爆体験についてインタビューを重ねてまとめたものだ。

“Yasuaki Yamashita’s A-Bomb Testimony” published by Sergio Hernandez in commemoration of the 78th anniversary of the 1945 atomic bombing of Nagasaki. Photo credit: Guillermo Ayala Alanis

本書の中で、山下さんは長崎に原爆が投下された直後の様子について、「その光景は地獄にいるよりも恐ろしいものに思えた。」と語った。この日(1945年9月9日)の早朝、原爆が爆発した瞬間は、あたかも千個の稲妻が同時に走ったかのようなすごい閃光が一帯を襲い、長崎の誰もが、「化学兵器による攻撃ではないか。」と恐れたという。

山下さんは当時6歳だったが、建物、家屋、道路、すべてが破壊され、多くの人々が即死したなかで、多数の人たちが重傷を負ったことを覚えている。また、山下さん自身は家族と一緒にいたが、爆風で飛散したガラス片で姉が頭部を怪我したことを覚えている。(化学兵器による攻撃と思い込んでいた)当時の山下さんの姉は、頭部から滴る血は、「米軍が日本人に使った危険な油だと思った。」と回想している。

山下さんは会場に詰めかけた人々に、被爆直後の状況について、「多くの人々が飢餓に直面しました。人々は何キロも歩いて農家を探し、家財が残っていたものは貴重品をジャガイモや野菜など食べるものと交換しなければなりませんでした。」と語った。また、原爆投下直後は病院などの医療施設が破壊され、医療関係者も多くが即死或いは被爆していたことから、医療体制がほぼ皆無ななか、人々はなすすべもなく亡くなっていった惨状を覚えている。」

山下さんは高校卒業後就職したが、ある日、身体に異変を感じ、検査の結果放射能の影響を受けていることが判明した。貧血がひどく突然倒れることもしばしばあり、転職を余儀なくされた。当時の日本では、放射能に対する一般的な認識がなく、こうした健康上の問題を抱えた被爆者に対する無理解が、しばしば「原爆に汚染された人間」などといった差別・中傷となって表れ、被爆者は就職、結婚差別に苦しんだ。山下さんは、原爆病院に勤務し、多くの被爆者が原爆症に苦しみ、亡くなっていく様子を日々目の当たりにした。

山下さんは当時を振り返って、「とても辛い日々でした。自分もいずれは患者さんたちのようになるのでないかと思ったんです。患者さんたちの生活を毎日看ていることはいたたまれなかった。いっそどこか誰も知らない所、私がいても、『この人は原爆患者だ』と思われないどこかへ行ってしまいたいと思うようになったのです。」と回想した。

From the book: “Yasuaki Yamashita’s A-Bomb Testimony” Photo credit: Guillermo Ayala Alanis

そこで1968年、山下さんはメキシコ五輪の際、メキシコシティにある「日本プレスオフィス」で働くことになり、そのまま移住を決めた。つまり念願だった、誰にも被爆の過去を知られることなく、差別のない生活を送れる場所を見つけたのだ。メキシコで出会った人々はみな親切で、山下さんはしばらくの間、この新天地で、働いてお金を稼ぎ、豊かで新たな生活スタイルを築き、平和に暮らしていけると感じていた。しかし、しばらくすると原爆症の症状が再発しはじめ、親友の一人にそのことを打ち明けて、知り合いの医者を紹介してもらった。

1995年のある日、山下さんが長崎の被爆者であるという秘密を知った友人の息子から電話があった。その若者は、自分が在籍している大学で開かれる会議に山下さんを招きたいと言った。しかし、被爆の経験を話すことは辛い過去の記憶を呼び起こすことになるとして、山下さんは「とても被爆証言などできない。」ときっぱり断ったという。

しかし、山下さんは「そこをどうしても」と何度も懇願され、ついに招待を引き受けることにした。

この時、山下氏さんは、被爆証言を引き受けたからには、被爆を実際に体験した自分こそが、被爆の実相を多くの人々に伝えていく重い責任があると、自らの使命を改めて自覚したという。

山下さんは、被爆経験を覚えている世代が80代となり、直接経験談を伝えられる時間が限られてきているが、少しでも多くの人々に、核兵器が使用されれば、無数の人々が殺戮され、たとえ生き残っても世代を超えて塗炭の苦しみを負わされることになる、つまり「二度と使用されてならない兵器」であると、一人でも多くの人に伝えていきたいと考えている。

「核兵器こそが危険な敵であり、(人に対する)憎しみはさらなる憎しみの連鎖をもたらします。だからこそ、私たちは歴史のある時点で、核攻撃に対する赦しの気持ちを持たなければなりません。」と語った。   

“Yasuaki Yamashita’s A-Bomb Testimony” was published in commemoration of the 78th anniversary of the atomic bombing of Nagasaki.

広島では、核攻撃の結果、その年のうちに14万人、長崎では約7.4万人が亡くなったと推定されている。

『山下泰昭の被爆証言』は経済文化基金が編集した『Vientos del Pueblo Coletion』から4万部発行されている。(原文へ

Guillermo Ayala Alanis
Guillermo Ayala Alanis

* ギエルモ・アヤラ・アラニスはメキシコのジャーナリスト・テレビレポーター。メキシコ国立自治大学(UAM)ソチミルコ校では核軍縮を研究、国際関係学の修士号を取得。カザフスタンには、2019年に国際プレスチームのメンバーとしてセミパラチンスク旧核実験場とセメイ、アスタナでは「ナザルバエフ賞」を取材した。「アスタナ国際フォーラム」には、ユーラシア研究グループのレポーターとして取材。

INPS Japan/GESE

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