【アブジャIDN=アズ・イシクウェネ】
悪ふざけは常にあったが、国際サッカー連盟(FIFA)会長のジャンニ・インファンティーノ氏がカタールでの分別のある記者会見で欧米の偽善を非難するまでは、誰もが気づいてはいたが見て見ぬふりをしていた問題だった。
不穏な気配は12年前、カタールがオーストラリア、日本、韓国、米国を破ってワールドカップ招致を勝ち取ったときに遡る。あの結果は予想外だった。
ペルシャ湾の国というと、欧米諸国にとって石油やガスの供給元、神秘主義やアラビアの豪奢な物語といったポジティブなイメージが報じられるが、アラブの国でワールドカップが開催されるとなると話は全く別だった。
欧州の関係者は、このニュースにすぐさま飛びついた。冬開催では、欧州の主要リーグの日程が乱れ、選手が疲労困憊してシーズンを終えることができないのではないか、と不快感を示した。もちろん、アラブの資金が欧州のトップリーグを支えていることを、彼らは都合よく忘れているのだ。
しかし日程を巡る混乱という言い訳が通用しなくなると、彼らは憤りの矛先を広げ、移民労働者やLGBTの権利という厄介な問題を持ち出して展開するようになった。カタール側は、移民労働者の権利を改善するために可能な限りのことをしている、FIFAはカタールにさらなる圧力をかけている、と説明したが、マスコミの大部分は満足しなかったようで、中でも英国のメディアは最も反感を持っていたようだ。
英国メディアは自国でのLGBT問題を無視したままカタールの問題を書き立てた。そうした記事の論調は、ホスト国の地域社会が持つ感性に関わりなく、あたかも欧州人には、サッカーが159年前にイングランドで始まった以来、ファンが共感し観戦できる文化的なルールを設定するだけでなくそれを主張する責任があるというような態度であった。
こうした欧州からの批判にインファンティーノ会長が「偽善だ」と喝を入れたのには正当な理由がある。インファンティーノ会長は開幕前日の記者会見で、「欧州は道徳的な教訓を説く以前に、過去3000年間に世界中で行ってきたことについて、今後3000年間謝るべきだ。」と発言した。
しかし、偽善は、搾取、奴隷、権利意識という西洋の歴史的関係に組み込まれた欠陥であるだけでなく、今日も世界の他の地域、特にアフリカとアラブ世界との関わりにおいて、今なおその特徴を色濃く残しているのである。
西側諸国で近年開催された数々のスポーツや社会イベントの背後にも、虐待や大規模な強制移転の経緯があるが、今回のワールドカップカタール大会に対して示した態度とは異なり、西側のマスコミは 自国の裏庭で起こっていることについては見て見ぬふりをした。
例えば1996年のアトランタ・オリンピックの際、オリンピック関連の取り壊しによって推定3万人が家を失い、少なくとも6千人の住民が公営住宅から退去させられた。
移転を余儀なくされた人々の多くは黒人で、家や地域社会を根こそぎ奪われ、二度と元の生活を取り戻すことはできなかった。彼らはカタールの移民労働者と同じように保護され、生活への尊厳を得る資格があった。
そして、世界中のメディアがこうした人々の声を取り上げてしかるべきであった。しかし、それは明らかに過剰な要求だっだのか、或いは、社会的弱者の権利は、オリンピックから期待される利益と比較して、取るに足らないものだったのだろうか。
この記事を読んでいる間にも、2024年のパリオリンピックの会場建設のために、多くの非正規移民労働者がフランス当局によって不法に利用されているという報道がなされている。業者の強力なネットワークが数百人の移民を安い労働力として使い、パリ郊外のサン・ドニにある陸上競技場の建設に、恥じることなく配備しているのだそうだ。
欧米のメディアやそこにいる人権運動家たちが、まだサン・ドニや、そうした虐待が横行している欧米の他の場所に行く道を見つけられるかどうかはわからない。おそらくワールドカップカタール大会の後、彼らはこれらの現場で働く主にアフリカ系の数多くの移民労働者に関心を抱くのではないだろうか?
しかし、この偽善はスポーツの分野に限ったことではない。9月のエリザベス女王の埋葬を前に、ロンドンでは何百人もの「ラフ・スリーパー」、つまりホームレスの人々が、ウェストミンスター周辺やロンドンの多くの地域から排除され、辺境の隔離キャンプに追いやられたのである。
女王のダイヤモンドとプラチナのジュビリーの時も、彼らの存在が祝典の華やかさを損なわないよう、強制的に排除されるという同じ運命をたどったのである。このような弱者には何の権利もないことは明らかなので、彼らのために立ち上がることは、英国のメディアにとってほとんど興味のないことであった。
はっきり言っておく。カタールであろうとなかろうと、弱者から搾取し、甘い汁を吸うような政府などあってはならない。しかし、米国の経済学者トーマス・ソウェルがその著書『移住と文化』で雄弁に語ったように、経済史の現実として、貧困にあえぐ移民労働者の中から、将来の起業家や革新者の世代が生まれることはよくあることである。
ところで、移民労働者は命をかけて地中海を渡るアフリカ人たちだけだと考えている人たちは、インファンティーノ会長の両親がより良い環境を求めてスイスに移住したイタリア人であることを念頭に置いておくとよいだろう。
面白いのは、マスコミが移民労働に関してカタール政府をスケープゴートにするのは簡単で好都合だと考える一方で、移民労働の主な雇用主であり受益者であるカタールの欧米企業に対しては偽善的な沈黙を保っていることだ。
ロンドン証券取引所に上場している大手請負業者から、ニューヨークを拠点とする裕福なコンサルタントまで、出稼ぎ労働者という魔物は、欧米の強欲が植え付けた種を、カタールが唯一無二のイベントを演出するために育んだものである。そして、出稼ぎ労働者、LGBTの腕章、禁酒への不満などという煽りをよそに、ワールドカップカタール大会は結果的にどんなイベントになったか。
ブラジルなどの人気チームはカメルーンに敗れ、アフリカで最も優れたチームであるモロッコはベルギー、スペイン、ポルトガルを破り準決勝に進出、チュニジアは前回優勝のフランスを開幕戦で打ちのめした。
そして、大会が進むにつれて、英国のメディアが悪意を持ってモロッコ人をアフリカ人と呼んだり、アラブ人と呼んだりして混乱したことにお気づきだろうか?
アルゼンチンは、サウジアラビアに2-0で敗れたショックから立ち直り、ワールドカップ史上最も劇的な決勝戦で優勝トロフィーを勝ち取った。しかし、2022年カタール大会では、さらに多くのことが思い出されることになる。
FIFAが発表した2022カタール大会収益高は75億ドルで、前回の2018ロシア大会の収益46億ドルを大きく上回り、新たなベンチマークを打ち立てたことになる。2018ロシア大会の組織委員会の報告書によると、この大会は2013年から18年の間に140億ドル(=GDPの約1.1%)と約31万5000人の雇用をロシア経済にもたらしたとされている。
この大会は、石油資源の豊富なカタールに、今後数年間で170億ドル(アルコール禁止が利益に影響したものの)、観光でさらに数十億ドルをもたらすと予測されている。最も重要なのは、この成功により、ランドマーク的なスポーツイベントに少なからず興味を抱いていたカタールが、近い将来、オリンピックの招致に乗り出すという位置づけになったことだ。
FIFAのゼップ・ブラッター前会長が「間違いだ」と考えていたカタールでの開催が、サッカー史上最高の大会になったというのは、なんともパラドックス的な話である。
出稼ぎ労働をめぐる論争に始まり、カタールの首長がリオネル・メッシにアラブの民族衣装である「ビシュト」と呼ばれる半透明の黒いローブを着させた騒動で終わったが、カタール人は胸を張って、メディア、とりわけ欧米のメディアに成功を認めさせたワールドカップだったと言うことができるだろう。(原文へ)
INPS Japan
*アズ・イシエクウェネはINPSの提携メディアLEADERSHIP紙の編集長。
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