この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。
【Global Outlook=ハルバート・ウルフ 】
現在、ウクライナ戦争の賛否の理由を論じたり、あるいはこの戦争の惨状を歴史的な論拠で説明するために、歴史になぞらえたアナロジーが非常によく用いられている。そこには、アドルフ・ヒトラーとウラジーミル・プーチンを同一視するなど、まったく当てにならないものがある。また、ウクライナ東部の「ジェノサイド」を主張するプーチン大統領の言動のように荒唐無稽なもの、あるいは「ファシストとネオナチからなるキーウの政権」や非ナチ化の必要性といったプーチン発言のようにプロパガンダを目的とするものもある。また、この残虐な戦争への激しい怒りを考えれば無理もないが、場違いとも言える歴史的比較もある。例えばヴォロディミル・ゼレンスキー大統領がイスラエル国会で演説した際、ホロコーストを引き合いに出したことである。この比較は、ホロコーストの恐怖を矮小化するものだ。(原文へ 日・英)
歴史的アナロジーを用いることは方向付けの枠組みを提供することができる。しかし、歴史に基づく道徳的見解を用いて主張を行うのであれば、一貫性をもって用いるべきである。ロシアの攻撃による国際法違反は非難されて当然あり、爆撃され、包囲されたウクライナの都市で現在行われている戦争犯罪を正当化するものは何もない。そうではあるが、現在西側で主流となっている「諸悪の根源」はクレムリンにあるという言説は、一方的であるのも事実だ。たとえ、チェチェンやシリア内戦でのプーチンのやり方がウクライナ戦争の指針になっていると見なせるとしてもである。国際法違反は、プーチンのような独裁者だけに限ったものではない。1999年にNATOがコソボで行った戦争、2003年に米国が主導したイラク侵攻も、明らかな国際法違反であった。これらの戦争の前、最中、後に強調された理由は、信用できる弁明として認めることはできない。バルカン半島の戦争で、ジェノサイドは避けられるはずだった。イラクでは、大量破壊兵器の存在という虚偽の主張が意図的になされた。
プーチン大統領が現在、ウクライナにおける自身の犯罪を正当化するために、まさしくこれらの歴史的アナロジーを用いているのは驚くべきことではない。民主主義国家が、法の支配、自由、人権という価値観を強く主張し、力説し続けることは重要であり、必要である。しかし、単にプーチンの行動を特異かつ許しがたい国際法違反として批判するだけで、これら民主主義社会による過去の悪行、過ち、罪を無視することは傲慢であるだけでなく、ダブルスタンダードの利用である。長らく米国の「裏庭」と評されてきた南アメリカへの米国の干渉を、誰が国際法違反として数えただろうか? それは過去に限った話ではない。米国は20年間にわたり、そして今も、キューバのグアンタナモ収容所を維持している。現在でも、真っ当な法的手続きを経ることなく囚人たちは抑留されている。その多くは、テロ関与疑惑に関する自白を引き出すための拷問を受けた。
今回のウクライナ戦争では、悲惨な状況の一方でポジティブな面も見られる。例えば、苦しむウクライナ国民に西側諸国が積極的に支援を提供していることだ。しかし、ここにもダブルスタンダードが見られる。ウクライナ国民の約4分の1に相当する1000万人近い人々が国内避難し、あるいはEUとの国境を越えようとしてこれまでにほぼ400万人の難民が生まれているのを見るのは極めて辛いことだ。市民社会や欧州諸国政府の取り組みは、感動的で称賛に値する。難民の融合に関する官僚的手続きは、組織の署名ひとつで速やかに取り除かれた。最初の3カ月間、難民は登録する必要すらなかった。人々は、自宅に難民を迎え入れた。ウクライナ人の移動を円滑にするため、公共交通機関は無料で利用できる。外国の都市に到着してわずか数日後には、ウクライナ人の子どものために学校が開設された。欧州市民として、われわれは誇りを持ってよい。
しかし、EU諸国における難民の扱いというとダブルスタンダードがあることは、白日の下に明らかである。アフガニスタン、シリア、エチオピア、ソマリアからの難民たちにはどうしたのか? 彼らが欧州社会に溶け込むことは、長年にわたり制度的に阻まれてきた。これまでEUは協調的な難民収容政策について頻繁に議論してきたが、成果は出ていない。皮肉なことに、現在ウクライナからの大量の難民を受け入れている国々は、これまでEUの難民収容政策を断固として拒否し、阻止してきた。筆頭はポーランドであるが、バルト諸国、スロベニア、ハンガリー、オーストリア、ルーマニアもそうである。ブリュッセルでは、非常に短期間のうちにウクライナ危機に対応するための財源が用意されたが、ウクライナ戦争の前は、EUの政策は常に論争をもたらし、難民に犠牲を強いるものだった。EU諸国の内務相たちは、各国からの難民の受け入れ割り当てをめぐって押し問答をしていた。一部の国の政府は、一人の難民を受け入れることすら断固として拒んだ。
中東とアフリカ東部の戦闘地帯から逃れてきた難民たちは、冬の間中、ベラルーシとポーランドの国境の間で立ち往生していた。彼らは、いまなおそこで暮らしている。いや、何の展望もなくそこでじっと過ごすことを強いられている。進むことも退くこともない。欧州のわれわれが、ロシアの天然ガスが手に入らなくなったら次の冬は暖房の温度を下げないといけないだろうかと思案している間も、この国境地帯では子どもが凍死している。また、ポーランドが国境のフェンスを乗り越えられないように強化しても、欧州は見て見ぬふりをしている。できるだけ多くの難民を追い払う「要塞ヨーロッパ」が、ウクライナ戦争勃発まで欧州のモットーだったのである。
同様の運命が、ギリシャのレスボス島にも当てはまる。島では多くの難民が、変化を見通せないまま何年間も悲惨な状況に耐え続けている。ドイツの日刊紙「南ドイツ新聞」による最近の報告では、ギリシャの状況が次のように記されている。「カラテペ・ビーチにある現在の『暫定キャンプ』の状況は、2020年9月に焼失したかつてのモリア・キャンプほど非近代的というわけではないかもしれないが、相変わらず、食事は食べられるようなものではないし、シャワーの水は冷たく、仮設トイレは汚れており、ネズミは猫が逃げ出すほど大きい」
いまや世界中で称賛されている「歓迎する文化」(「ヴィルコメンスクルトゥーア」、なんと素晴らしいドイツ語だろう)は、これらの難民には適用されなかった。EUの国境警備機関であるFRONTEXによるいわゆる「押し戻し」は、これまでのところ罰せられていない。FRONTEXは、庇護を求める人々をゴムボートごと海に引きずり戻し、ボートに乗った人々の命を顧みず、運命のなすがままにすることによって、国際人道法に常に繰り返し違反し続けている。一方ではアフガニスタン人、エチオピア人、エリトリア人、シリア人と、他方でウクライナ人との間に、何の違いがあるのか? 宗教か? あるいは肌の色か? ウクライナから脱出したアフリカ人やアジア人の学生たちが国境を越えるのに苦労したという事実も欧州における人種差別の醜い一面を浮き彫りにしている。いまや欧州には、ファーストクラスの難民とセカンドクラスの難民がいるというわけなのである。
確かに、民主主義国はその価値を誇りにしてよい。人間性、自由、言論の自由、人権の重視は不可欠である。しかし、ダブルスタンダードを用いるのはやめにしよう。確かに、戦争犯罪は責任を問われなければならない。しかし、法の支配は普遍的である。そして、まさしく法に基づく国際秩序を力説する人々こそ、自らもそのルールを厳格に守るべきである。
ハルバート・ウルフは、国際関係学教授でボン国際軍民転換センター(BICC)元所長。2002年から2007年まで国連開発計画(UNDP)平壌事務所の軍縮問題担当チーフ・テクニカル・アドバイザーを務め、数回にわたり北朝鮮を訪問した。現在は、BICCのシニアフェロー、ドイツのデュースブルグ・エッセン大学の開発平和研究所(INEF:Institut für Entwicklung und Frieden)非常勤上級研究員、ニュージーランドのオタゴ大学・国立平和紛争研究所(NCPACS)研究員を兼務している。SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の科学評議会およびドイツ・マールブルク大学の紛争研究センターでも勤務している。
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