【ニューデリーIDN=ラム・プニヤーニ】
スリランカ危機は、同国の市民、近隣諸国、そして世界を揺るがしている。あるレベルでは人道的危機、別のレベルでは独裁的な差別政策が市民、特に労働者、タミル人、イスラム教徒の少数派、一般市民に影響を与えていることがわかる。
何千人もの人々が大統領官邸を取り囲んで占拠し、ラニル・ウィクラマシンハ首相の私邸に放火している光景は、実に恐ろしいものだ。食料、ガソリン、医薬品の不足は、この島国の人々に計り知れない悲惨な事態をもたらしている。
スリランカの政治は、大統領に強大な権限を与える傾向にあり、独裁が政権の全体的な方向性であった。その独裁的な性質は、過去数十年間続いており、歴代大統領たちは、経済の基盤を破壊するような経済措置をとってきた。
マッタラ・ラジャパクサ国際空港のような気まぐれなメガプロジェクトとは別に、特に贅沢品の自由輸入と無謀な民営化政策が、ほとんど役に立たず、国庫を枯渇させた主要な要因であった。
スリランカ政府はまた、農業の全面的な有機化を強調するあまり無謀にも科学肥料の輸入禁止に踏み切るなど、食糧生産を大幅に低下させ深刻な食糧危機を招いた。
このような経済的な誤算は、一人の人間(あるいは一族の組み合わせ)が気まぐれに物事を決めるという独裁的な政権の性質と大いに関係がある。このような独裁政治の台頭は、タミル人(ヒンズー教徒)、イスラム教徒、キリスト教徒といった少数民族を抑圧し、疎外する政策を並行して行ってきたこととも大いに関係がある。
この国はインドと密接な関係にあり、アショーカ王が息子のマヒンダと娘のサンガミッタを派遣し、如来蔵王が提唱した価値観を広めたのもこの国である。また、多くのタミル人(ほとんどがヒンズー教徒)が農園労働者として、あるいは貿易関係で移住してきたのもこの地である。先住民のシンハラ人が仏教徒であるのに対し、タミル人のヒンズー教徒は12.99%と非常に多く、次いでイスラム教徒(9.7%)、キリスト教徒(1.3%)が多い。
スリランカは植民地支配から独立した国であることから、とりわけ宗教ごとに国民を分断統治した英国の政策により、民族のアイデンティティが強調される傾向にある。シンハラ仏教徒らは自らを「先住者」であると主張し、権利の優位性を持っていた。ヒンズー教徒(タミル人)は部外者、「非原住民」として紹介され、そのため何の権利も得られないとされた。
スリランカ出身の学者・活動家であるロヒニ・ヘンスマンは、「主要政党が主張する民族的・宗教的分裂の根源について包括的に説明しており、やがてこれが、特にマヒンドラ・ ラジャパクサとゴタバヤの反人民的・独裁的政権を生み出すに至ったのです。」と語った。(ロヒニ・ヘンスマン、悪夢の終わり、2022年6月13日、New Left Review)。
1948年の独立後、スリランカの二大政党は、18世紀に英国人によってインドから強制移住させられた100万人以上のタミル人から、選挙権と市民権を奪うことに合意した。ヘンスマンは、「この政策は、既に貧困にあえぎ、さんざん搾取されてきたタミル人労働者に、大多数のシンハラ人市民でさえ提出が困難であろうスリランカの祖先を証明する書類を提出するよう要求するという、明らかに差別的なものだった。」と指摘している。
ヘスマンは、自身の幼少期の体験を振り返り、「1958年当時、タミル人を標的にしたシンハラ人の一団がたむろしていたため、私の一家はコロンボ近郊の自宅を後にしなければならなかった。私の父親はタミル人だったからだ。」と語った。
1956年、ソロモン・バンダラナイケがシンハラ語を唯一の国語とすることを公約して政権を掌握した。これに対してタミル語を主要言語とするタミル人は反対運動を起こした。一方、右派シンハラ人組織の過激派僧侶が、タミル人弾圧が十分でないとしてバンダラナイケ首相を殺害した。すると未亡人のシリマヴォ・バンダラナイケが夫の後を継いて女性初の首相となり、インドのラール・バハドウール・シャーストリ首相と交渉して、50万人のタミル人をインドに送還する条約を結んだ。
1972年、新憲法が制定されシンハラ語が唯一の公用語となった。この憲法はまた、仏教に特別な地位を与えた。一方で、少数民族の権利の保護は廃止された。
その後、1972年と75年には、プランテーションの国有化という名目で、タミル人は生計を奪われ、飢餓にさらされるようになった。政権は徐々に右傾化し、表現の自由や民主的な権利は潰された。2005年にマヒンダ・ラジャパクサが政権を取ると、タミル人に対する攻撃が増え、政府の批判者が死の部隊の標的になった。
こうした露骨なシンハラ人優遇政策に対し、タミル系諸政党が設立したタミル統一解放戦線(TULF)は、タミル人の独立国家「タミル・イーラム」の創設を訴えた。また、そのために結成されたのが、タミル・イーラム解放の虎(LTTE)を代表とする過激派組織である。タミル人の不満がピークに達すると、LTTEはテロ活動を活発化して事態を悪化させた。
タミル人に対する戦争が開始され、国連の推計によると、4万人の市民が命を落とした。LTTEが民間人を盾にしたことと、当時の国防長官ゴタバヤ・ラジャパクサが病院や安全地帯を含む民間人の標的を爆撃するように要求したことである。ラジャパクサ家はまた、LTTEと戦うためにイスラム過激派に資金を提供し、彼らは過激化したという信頼できる情報があるにもかかわらず、情報提供者として政府が雇用していた・・・その信頼性への最後の一撃は、2019年のキリスト教の復活祭に発生した「スリランカ連続爆破テロ事件」で、国中で269人が死亡した。結局、この爆弾テロは、ラジャパクサ家が資金援助していたイスラム過激派勢力によって行われたことが判明した。
ボドゥ・バラ・セーナのような仏教右翼団体が先兵の役割を果たし、シンハラ人大衆はラジャパクサ家の政策を全面的に支持していた。しかしLTTEが消滅すると、新たな敵はイスラム教徒になった。国が支援する仏教僧のグループが、少数派のイスラム教徒を標的にするようになった。経済が低迷し、民主的な保護措置もないまま、政権は大衆の経済的な苦しみに対応できなくなった。強引な政策決定がこの国を破滅に追いやった。社会の大部分の人々の不満が高まり、現在のような恐ろしい事件が起こった。
この悲惨な統治スタイルから何を学ぶことができるだろうか。宗派間の対立の激化、「多数派宗教の危機感を煽る」(この場合は仏教)宣伝、少数派の人々を疎外する政策、数人の独裁者への権力集中があったことは、誰の目にも明らかである。独裁者(個人や仲間達)は、自分がすべてを知っていると考え、国家を破滅させ、民族間の対立を激化させるような決定を下す。(原文へ)
INPS Japan
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