SDGsGoal10(人や国の不平等をなくそう)「 助けられるなら、助けよう。」―ウクライナ人支援に立ちあがったイスラエル人ボランティアたち(1)シェイク・ゴールドスタイン(「ミスダロン〈回廊〉」創立者)

「 助けられるなら、助けよう。」―ウクライナ人支援に立ちあがったイスラエル人ボランティアたち(1)シェイク・ゴールドスタイン(「ミスダロン〈回廊〉」創立者)

【エルサレムNGE/INPS=ロマン・ヤヌシェフスキー】

*NEG=ノーヴァヤ・ガゼータ・ヨーロッパ

ロマン・ヤヌシェフスキー by РОМАН ЯНУШЕВСКИЙ
ロマン・ヤヌシェフスキー by РОМАН ЯНУШЕВСКИЙ

イスラエル政府はロシアとウクライナに対して中立を維持しようと懸命に努力してきたが、対ロシア関係が急激に悪化したのは必然であった。それを助長したのは、「ヒトラーにもユダヤの血が流れていた」と主張したセルゲイ・ラブロフ外相の物議を醸したインタビューと、その後の鋭い言葉の応酬であり、最後はウラジーミル・プーチン大統領がイスラエルのナフタリ・ベネット首相に自ら謝罪することになった。

一方、一般のイスラエル人には、政府が直面していたような難しいジレンマはなかった。国民の大多数は、最初から一方的な軍事侵攻にさらされたウクライナを支持していた。

さらにロシアが主張する残忍な「特別軍事作戦」は、イスラエルに新しい現象を生み出した。ロシア語を話す人々だけでなく、多数のイスラエル人が、ウクライナ人の苦しみを目の当たりにして、彼らを助けなければならないと痛感したのである。その結果、多くの公的な取り組みやボランティアプロジェクト、人道的な支援金集めが自然発生的に始動することとなった。中には、それまでボランティア活動をしたことがなかった人々が組織したものも少なくない。ロマン・ヤヌシェフスキーが、こうした支援活動に参画した人々の内、8人に話を聞いた。(今回は1人目の取材内容を掲載します。)

ヤヌシェフスキー:ロシアのウクライナ侵攻はどこで知りましたか?

ゴールドスタイン:ロシアのウクライナ軍事侵攻は米国のマイアミで知りました。私は友人とプールのテラスに座っていました。私たちはお互いに顔を見合わせ、「この美しい場所で、どうやって休暇など楽しんでいられようか」と、即座にキーウに行くことを決めました。しかし2月25日現在、ウクライナの首都は砲火に晒されており、飛行機が飛ばなくなっていたので、ルーマニアの国境から陸路ウクライナに入国しました。多くの人々が戦火を逃れて国境に押し寄せており、私たちだけが反対方向に向かっていました。ジャガイモと小麦粉を運んでいるトラックの運転手が私たちを乗せてくれました。彼はとても怖がりで、狂ったように運転していました。

キエフでは、もちろん空襲警報や爆発音に見舞われました。やがて私たちはイスラエルの代表団に合流し、13人の小児がんの子どもたちをイスラエルのシュナイダー小児医療センターに連れていきました。それが、私と同じく IT起業家のオラン・シンガー氏との出会いでした。他のボランティアと一緒に、私たちは人道的タスクフォースを組織しました。IT業界の同僚や一般の人々に支援を呼びかけ、誰もが共通の目的のために貢献できるようにし、私たちはこのプロジェクトを「ミスダロン」(「回廊」)と名付けました。

小児がんの子どもたちを避難させた後、そこで立ち止まるわけにはいかないことは明らかでした。私たちは、ウクライナの比較的落ち着いている場所は避け、マリウポリヘルソンチェルニーヒウドネツィクなど危険な地域から人々を救出することにしました。紛争初期は、街から脱出できる人はバスに乗り込みましたが、高齢者や病人が後に残されていました。私たちは、彼ら全員を助けようと懸命に努力しています。一人一人救っていく。フェリー、救急車、ヘリコプターなど、あらゆる手段で避難させています。また避難させるだけでなく、定住させるための支援も行っています。例えば、ドイツに家族を連れてきたとします。住むところと食べるものが必要です。おそらく医者も必要でしょう。

シェイク・ゴールドスタイン by Шакед Гольдштейн

私たちの活動のもう一つの方向は、食料と医薬品を集めて病院や高齢者介護施設等に持っていくことです。政府や病院、そして自宅に留まると決めた人たちからの要請に基づいて支援活動をアレンジしています。

3つ目の方向性は、ウクライナ西部のリヴィウに性暴力を生き延びた人々(サバイバー)のためのシェルターを作ったことです。このような施設は、すでに他の団体によっていくつか作られていますが、いずれもウクライナ国外、主にポーランドにあります。現在、ルーマニアにも同様の施設を開きたいと考えています。これらの施設では、婦人科医、心理学者、ソーシャルワーカーが勤務し、被害者は完全なケアを受けることができます。また、託児所、幼稚園、学校など、子どもたちの教育を支援できる仕組みなので、親はこの狂気の中で平静を保つことができるのです。こうしたシェルターは、戦争が集結した後も長く運営されることでしょう。なぜなら、性暴力のトラウマは長らく消えないからです。

ヤヌシェフスキー:ロシア語かウクライナ語が話せますか?

ゴールドスタイン:私はウクライナとはもともと縁がなかったので、ロシア語やウクライナ語は分かりません。しかし、今ではグーグル翻訳を駆使して会話を成立させる術を身につけました。なぜ、アフリカやシリアではなく、ウクライナに来たのかと聞かれたことが何度かあります。私の答えは、世界中を救うことはできないが、少なくともここの人々を救うと思い定めたということです。私はこの戦争に衝撃を受け、少しでも人々の役に立ちたいと思うようになりました。

Photo from Jürgen Stroop Report to Heinrich Himmler from May 1943. / By Unknown author – Image: Warsaw-Ghetto-Josef-Bloesche-HRedit.jpg uploaded by United States Holocaust Museum, Public Domain

おそらく、ユダヤ人としてのホロコーストの記憶とも関係があるのだと思います。ホロコーストはナチス占領下のウクライナでも実行されました。ロシアの軍事侵攻はそれを想起させるものがあったのだと思います。ですからイスラエルの支援活動に参加することに全く抵抗はありませんでした。以来、この活動にのめり込んでいます。結局、それぞれの支援内容は、全く独立したケースで、もはや全てをあきらめて目を逸らすことはできなくなってしまうのです。

どうやら、私はそういう人間らしい。5年前からNGO「ヒブク・リション」(ファースト・ハグズ)でボランティア活動をしてきました。病院で孤独な子供たちを支援「ハグ(=抱擁)」する活動で、常に何らかの企画を考えて実行していました。ですからウクライナでもそれが出発点になりました。マイアミでホテルのプールの縁に座りながら、「どうしてこのような不条理がありえるのか。ここでは何もかもが平穏で満たされているのに、戦争が起こっているなんて!そしてここにいる誰も困っている人々を助けようとしていないなんて。」この状況を変えたい、人を助けたいという思いから始まりました。このような極限状態においては、すべては信頼と相互扶助の上に成り立っています。

できる限り手を尽くして一人でも多く救うのです。例えば、ここに傷病者を受入れる準備ができた病院があり、彼/彼女を病院に搬送することに同意してくれる救急車の運転手がいる。こうして誰かの家族を助けると、次はその人が骨を折って誰かを助けようとしてくれる。こうして私は、ウクライナでこの活動に関わってきたお陰で、人生で決して出会うことがなかったであろう、多くの素晴らしい人々に出会うことができました。

ヤヌシェフスキー:イスラエルの公的機関とは交流がありますか?

ゴールドスタイン:もちろん、外務省やミハイル・ブロツキ―在ウクライナ・イスラエル大使との交流はあります。私たちと政府当局はお互いを必要としているのです。彼らはより多くのリソースと可能性を持っています。一方、私たちはより柔軟で迅速、官僚主義や硬直した枠組みを持ちません。さまざまな外部環境によって、彼らが行動できなかったり、ある場所に行けなかったりする状況があり、そこに私たちが関わっていくのです。

ヤヌシェフスキー:支援活動のためにお仕事は辞めたということでしょうか?

Russian bombing of Mariupol/ By Mvs.gov.ua, CC BY 4.0
Russian bombing of Mariupol/ By Mvs.gov.ua, CC BY 4.0

ゴールドスタイン:最初の1カ月間、上司は私の自由にさせてくれました。しかし2ヶ月目には、半分をウクライナ、半分をイスラエルを拠点に仕事と両立を図りながら活動するように切り替えました。基本的には、今でもそうしています。

毎回、新しいケースや助けを必要とする人が出てくるので、無関心でやめるわけにはいかないのです。この人生ですべてを見てきたと思うかもしれませんが、不思議と飽きることのない、そんな人生の物語を歩んできた人が現れるのです。

例えば、つい20分ほど前、この戦争で夫を亡くし、自宅の庭に埋葬しなければならなかったマウリポリ出身の女性と電話で話をしていました。私たちは彼女をイスラエルに迎えたので、今は安全な場所にいます。しかし今、イスラエル政府当局は、彼女に給付金を支払うために必要として、夫の死亡証明書の提出を求めているとのことでした。でも、今の状況で彼女がどうやって証明書を入手できるというのでしょう。このようなトラブルが無数にありますが、できるだけ対応するようにしています。(原文へ

翻訳=INPS Japan

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