【カトマンズ/ドバイ Neali Times=シャンティ・バンダリ】
フィリピン出身のお客様たちは、会社の車を運転したり、エミラティ(アラブ首長国連邦の国民)家庭の専属運転手をしていると話していました。私はとても興味を持ち、夜になると彼女たちに電話してさらにアドバイスを求めました。
美容院の仕事は生活のために必要でしたが、私の本当の興味は別のところにありました。ただ、最初は交通量の多い道で運転するのが怖かったのです。しかし、お客様たちは「最初は大変だけれど、ルールやシステムを理解すれば安全に運転できるようになる。」と励ましてくれました。
当時、仕事のビザのカテゴリーによって運転免許を取得できるかどうかが決まっていました。たとえば、交通部門の従業員、管理職、警備員などに限定されていたのです。

私は資格がなく、非常にがっかりしましたが、交通関連の仕事を探し、学校バスの運転手の助手として働くことにしました。ネパールではこの役割を 「खलासी(カラシ)」 と呼びます。
子どもたちはとてもフレンドリーで、私の故郷にいる息子を思い出させてくれたため、仕事を楽しめました。給与は美容院での給料よりも300ディルハム少なかったですが、それでも運転免許を取得するための足掛かりになるならと、迷わず続けました。
運転教習所では、クラスで唯一の女性でした。他の受講生は私の出身や、なぜ運転したいのか興味津々でした。私は真剣に授業に取り組み、交通ルールを一生懸命学びました。絶対に免許を取るという強い決意があったのです。
その結果、筆記試験も実技試験も一発で合格し、安い車を購入しました。私の夢は母を車に乗せてドライブすることでした。そして2017年、母と息子がドバイへやってきました。二人にとって初めての海外旅行でした。
父への思いと家族との再会
その時の私はとても感情的になりました。というのも、私はUAEへ渡った直後に父を亡くしていたからです。父は私にタッチフォンを買ってほしいと頼んでいましたが、私は最初の給料をもらう前に彼を失いました。
もし父が生きていたら、ドバイの街を運転する私を見て喜んだはずです。そこで、私は母をドライブに連れ出し、彼女に携帯電話を買ってあげました。父にしてあげられなかったことを、母にはできたのです。
息子とは2年間離れていたため、最初は少し距離を感じました。しかし、帰国する頃にはすっかり甘えるようになり、離れる時には泣いて私にしがみついていました。


最初はタクシー運転手として働き始めました。タクシー運転手の女性は少なく、ネパール人女性も2人しかいませんでした。
最初の頃はアブダビの道を覚えるのが大変で、一つ曲がり角を間違えるだけで大幅に遅れることもありました。決まったルートを利用する常連客の中には、不満を言う人もいました。私は雇い主に苦情を言われたくなかったので、「通常の運賃だけ払ってください」と謝ることもありました。理解してくれる人もいれば、初心者だと分かっても通常の料金を支払ってくれる人もいました。
少しずつ道を覚え、5年間タクシーを運転しました。交通法規の最新情報を把握するために、地元のニュースもよく読んでいました。
ある日、フィリピンやアフリカ出身の女性たちがバス運転手をしているという記事を目にしました。それを見て、「私もバスの運転免許を取ろう」と決意しました。

バス免許を申請しに行った際、係員に「なぜバスを運転したいのか?」と不思議そうに聞かれました。私は自信を持って「私はバスを運転できます」と答えました。その返答に彼らは驚き、少し面白がっているようでした。
私は再び教習所に通いましたが、またもやクラスで唯一の女性でした。実技試験では35人の受験者のうち、女性は私一人。試験官が「レディーファースト」と言って最初に受験するよう促しましたが、私はあえて順番を後回しにしました。先に他の受験者の運転を観察して学びたかったからです。

元々緊張しやすい性格なのに、試験官に「最初にどうぞ」と言われるとさらに緊張してしまいました。しかし、最終的には35人中7人だけが合格し、その中に私も含まれていました。
免許を取得したものの、女性のバス運転手としての仕事を見つけるのは、免許を取るよりも難しいことでした。
アブダビでは、女性バス運転手に関する正式な政策がなかったため、雇用の機会がありませんでした。そこで、私はドバイでの仕事を探すことにしました。

ついに私を雇ってくれる会社が見つかり、研修を受けながらルートを覚えていきました。トレーナーの助けを借りながら、自分でルートと主要な停留所を地図に描きました。仕事が終わると、自分の車でルートを走り、道を確実に把握できるようにしました。
そして今、私は二階建てバスを運転し、観光客を伝統的なドバイと近代的なドバイの両方へ案内しています。
常に好奇心を持ち、自分自身を成長させ続けることはとても重要です。私はバスの運転免許を取得するために多額の費用を投じました。教習やその他のスキル研修にも投資してきましたが、それらはすべて自分の未来のための投資だと思っています。
この先、何が待っているのかは分かりません。私は現在41歳ですが、新しいことに挑戦し続けたいと思っています。年齢が私の意欲を左右することはありません。もしそうだったら、美容院の仕事を続け、リスクも取らず、給料の減額も受け入れなかったでしょう。
多くの人は安全な道を選びます。しかし、私は常に「女性にふさわしい仕事」という固定観念に挑戦し、自分の快適な領域を飛び出すことを信じてきました。
海外での仕事を考えているネパールの若者たちには、「スキルを持たずに移住しないように」と伝えています。紙の資格証書があっても、それが実際の能力に結びついていなければ意味がありません。
私はこの「ビッグバス」を運転する仕事を楽しんでいます。収入のことを考えるだけでなく、乗客に感謝されることが大きな喜びです。
バスに乗り込んでくる観光客たちは、私と一緒に写真を撮りたがります。また、「どうしてこの仕事を始めたの?」と興味を持って質問してくれます。
信号待ちの間、横断歩道を渡る人たちが手を振ってくれることもあります。こうした温かい声援は、まるで「特別ボーナス」をもらったような気持ちにさせてくれます。
何より誇りに思うのは、この観光業界で初めての女性二階建てバス運転手になれたことです。
ドバイに住むネパール人たちも、私を温かく迎えてくれます。
「ニュースで見ました!」
「SNSであなたのことを知りました!」
そんな言葉とともに、満面の笑みでセルフィーを一緒に撮ってほしいと頼まれることがよくあります。
最近、息子が「学校の先生や友達が、私のビデオインタビューを見て話題にしていた」と教えてくれました。

そして何より誇らしかったのは、ついに息子を二階建てバスに乗せて、ドバイの街を案内できたことです。(原文へ)
INPS Japan/ Nepali Times
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