【ウィーンINPS Japan=オーロラ・ワイス】
2030年には、欧州に住むイスラム教徒の数が6000万人に達すると予測されている。ピュー研究所によると、イスラム教徒が総人口の10%以上を占めると予測される欧州の国は以下の10か国である:コソボ(92.5%)、アルバニア(83.2%)、ボスニア・ヘルツェゴビナ(42.7%)、北マケドニア(40.3%)、モンテネグロ(21.5%)、ブルガリア(15.7%)、ロシア(14.4%)、ジョージア(11.5%)、フランス(10.3%)、ベルギー(10.2%)。現在、ベルギー、フランス、ドイツ、スウェーデンを含む欧州でのイスラム化の進行を目の当たりにしている。
かつて政治的イスラムはビザンチン帝国を完全にイスラム化した。中東、トルコ、北アフリカはかつてキリスト教地域であり、アフガニスタンは仏教徒、パキスタンはヒンドゥー教徒、イランはゾロアスター教徒の地だった。しかし一方でポスト・イスラムの国(イスラム教徒の国から他の宗教が大勢を占めるようになった国)は存在しない。ピュー研究所の推計によれば、2015年時点で世界のイスラム教徒人口は18億人、つまり世界人口の約24%を占めており、現在キリスト教に次ぐ世界第2の宗教だが、最も急速に成長している主要宗教である。この人口増加の傾向が続けば、今世紀末にはイスラム教徒の数がキリスト教徒を上回ると予測されている。
フランスの若者イスラム教徒の57%がシャリーア法を国家憲法よりも上位と考える
しかしながら、イスラム教徒のコミュニティは分断されており、一部は過激主義や暴力を追求する一方で、他の一部はそれに対抗している。穏健派のイスラム教徒グループは、イスラム過激主義やテロリズム、ジハーディズム、過激なイスラム主義などの暴力を非難している。
欧州に住む多くのイスラム教徒は、主に都市郊外の閉鎖的なコミュニティで暮らしており、これらの地域は事実上、国家の法律の適用を受けていない。これらのコミュニティではシャリーア法が適用されており、住民はイスラム税を支払っている。フランスの公的世論調査によると、フランスの若者イスラム教徒の57%がシャリーア法を国家憲法や国法よりも上位にあると考えている。
シャリーア法はイスラム教の宗教法であり、コーランやその他の教典に基づいている。その最も過激な形態では、死刑、石打ち、手足の切断、女性の権利の制限を規定している。シャリーア法は政治的イスラムと密接に関連しており、イスラム教の教義文書の51%が政治に関する内容だ。この政治の目標は、すべての人々をムハンマドとアッラーに服従させることにある。
過去1400年以上にわたり、ムハンマドとアッラーへの服従は多くの文化をイスラム化へと変えてきた。現在、政治的イスラムの教義や戦術を理解することで、その拡大を防ぎ、暴力や人間の苦しみを回避するための手助けが可能だ。欧州における世論調査の結果から、多くの専門家は、教育制度の世俗化に全力を注ぐべきだと考えている。これは、市民の発展と解放のための条件を整えるためだ。
ボスニア・ヘルツェゴビナ – イスラム教義を持つ未来のEU加盟国
ボスニア・ヘルツェゴビナでは、イスラム教徒が人口の約40%を占めており、その特異な権力構造ゆえに共和国の性格を定義してきた。イランはまた、同国政府の世界観を支持するムスリム指導者ネットワークを強化してきた。欧州におけるイランのシステムの中心には、ボスニア・ヘルツェゴビナの初代大統領であるアリヤ・イゼトベゴヴィッチ氏がいた。彼は「イスラム信仰と非イスラム信仰および非イスラム機関との間に平和や共存はあり得ない」と述べた1970年の「イスラム宣言」を出版し、その世界観を明確にした。
イゼトベゴビッチ氏は、イスラム教徒が道徳的および数的に十分に強くなり次第、非イスラム的権力を破壊するだけでなく、新しいイスラム的権力を構築する必要があると主張した。イランでアヤトラ・ホメイニ師がイスラム革命を成功させたのち、彼は「イスラム宣言」を実現するための呼びかけを再開し、イスラム主義政治運動を組織し始めた。その後数年で、彼は国家転覆の罪で投獄された。
後に、欧州でイスラム共和国を設立するという目標を追求するため、イゼトベゴビッチ氏は1991年夏にリビアを訪れ、財政的および政治的支援を求めた。ボスニア・ヘルツェゴビナでの軍事情勢の変化、特にサラエボ包囲の激化と、イスラム教徒と地元のクロアチア軍との間の協力の断続的な状況の中で、1992年春にはムスリム部隊がいくつかのイスラム主義組織の「志願者」によって強化された。彼らはイランのジハードへの呼びかけに応じてボスニア・ヘルツェゴビナに到着し、イスラムの名のもとに殉教を望んでいた。
彼らは、イラン、アフガニスタン、レバノン(ヒズボラ)、その他いくつかのアラブ諸国から訓練を受けた戦闘経験豊富な義勇兵で構成されていた。ボスニア軍のアミン・ポハラ将軍によれば、中東から180人のムジャヒディーンが8月中旬までに到着したと確認している。イランの情報筋によれは、その数が1000人を超えるともされている。彼らは戦うためだけでなく、一部は現在でもそこにとどまっている。
過激主義は、一部のイスラム宗教指導者によって広がり、これらの指導者はボスニア・ヘルツェゴビナでISISへのリクルート活動を主導していた。しかし、イスラム国の崩壊はバルカン地域のイスラム過激主義運動の終焉を意味しなかった。外国の専門家が書いているように、ボスニア・ヘルツェゴビナ(BiH)には、現地で生まれた独自のイスラム運動が存在しており、これは過去の指導者たちの生活や行動の結果として大きく影響を受けている。その中には、1990年代に数千人のイスラム過激派を歓迎し、イスラム諸国からの数十億ドルの資金援助を喜んで受け入れたアリヤ・イゼトベゴビッチも含まれる。これらの資金援助とイスラム宣教組織の支援は、欧州及びその他の地域に極端な形態のイスラムを広める目的で行われた。最近では、ボスニア・ヘルツェゴビナの連邦(FBiH)における反ユダヤ主義運動の展開や、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国軍(RBiH)のメンバーがハマスへの支援を申し出たことなどが注目された。
不透明な組織、第三世界救援機関(TWRA)
オーストリアの首都ウィーンは、テロ資金や武器密輸の中心地となっている。
ウィーンに拠点を置く第三世界救援機関(TWRA)の文書や銀行口座を調査した結果、オーストリアの捜査官は、1996年に発行された『ワシントン・ポスト』のジョン・ポムフレットの記事によると、イスラム教国や過激派イスラム運動からボスニアに流れた3億5000万ドルを追跡した。この資金の少なくとも半分が違法な武器購入に使用され、ボスニア政府軍に密輸されたと西側諜報機関は推定している。
TWRAは、スーダン出身の活動家ファティ・アル=ハッサナイン氏によって設立された。彼はNIF(国家イスラム戦線)のメンバーで、サラエボで医学を学んだ後、ボスニア・ムスリム民族主義者と繋がり、1987年にウィーンでTWRAを設立した。この組織はユーゴスラビアにおけるイスラム教徒少数派の権利を守るためのものだった。
1992年にボスニアで戦争が激化すると、彼はセルビア人に囲まれたイスラム教徒を支援した。特にアリヤ・イゼトベゴヴィッチ氏と彼の民主行動党(SDA)を武器で支援した。この資金はTWRAを通じてボスニアの戦闘員に支払われた。推定によれば、1992年から95年の間に、サウジアラビアの国際イスラム救済機構(IIRO)や他のイスラム主義NGOからの寄付によって集められた資金は約3億5000万ドルにのぼる。
このような活動は目立つこととなり、ボスニアで死亡したムジャヒディンの遺体からIIROの身分証明書が見つかるなどしている。テロリストの地下組織において、TWRAがボスニア政府への資金提供に利用されたとも考えられている。その中には、イスラム過激派の支援者として疑われている富豪のサウジアラビア出身者オサマ・ビンラディンも含まれていた。当時ビンラディンはスーダンを拠点にしていたが、その後アフガニスタンに移り、アメリカ軍への攻撃を呼びかける声明を発表した。
TikTok ジハード
近年、欧州連合(EU)でのテロ攻撃の実行者が仮想空間で過激化していることが示されている。インターネットは過激派の見解を広め、メンバーをリクルートする主要な手段の一つとなっている。ソーシャルネットワークは、ターゲットとなる大規模な視聴者層にリクルートメッセージを送信し、プロパガンダを広めるためにテロ組織に簡単なアクセスを提供している。EUの2020年テロに関する報告書によれば、近年ではWhatsAppやTelegramのような暗号化メッセージアプリが、攻撃の調整や計画に大規模に利用されている。
仮想空間がイスラム過激派のリクルート活動に新たなトレンドを開いた一方で、いくつかの組織は学校、大学、宗教施設(モスクなど)、さらには刑務所を中心に新メンバーのリクルートに焦点を当てている。社会的なつながりを失った人々は、新たな信念を受け入れ、過激化したグループに加わる傾向が強い。
テロ攻撃が欧州の民主主義にとってどれほどの脅威となるかは、最近ウィーンで行われる予定だったテイラー・スウィフトのコンサートで多くの命を奪う計画が防がれたことからも明らかである。しかし、10月末にボスニア・ヘルツェゴビナの警察署に未成年の過激派が侵入し、警官1名を殺害、もう1名に重傷を負わせた事件では、命を救うことができなかった。この事件は、同国で過去15年間に起きた5度目のテロ攻撃でもある。
20233年10月7日にハマスがイスラエルに対してテロ攻撃を行い、その後イスラエルがガザ地区の民間人を殺害する形で報復を行ったことで、中東で始まった出来事は多くの人々を過激化させた。2019年にISISが敗北した後、完全に消えたと思われていた暴力を煽るネットワークが再び覚醒しているのを目撃している。しかし、このような過激運動が簡単に消えると考えるのは無謀だった。というのも、その後、EU加盟国で数十件のテロ攻撃が実行され、約60人が逮捕されており、その3分の2が13から18歳の若者だった。この新たな現象である「TikTokテロリスト」は、ソーシャルネットワークを通じて13歳、14歳、15歳の未成年をテロなどの重大犯罪の実行者として勧誘している。(原文へ)
オーロラ・ワイス(Aurora Weiss)は、CSPII(国際政治イスラム研究センター)からエキスパート認定資格を取得している。
This article is brought to you by INPS Japan in partnership with Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.
INPS Japan
関連記事:
|マリ|キリスト教徒もイスラム教徒も―「私たちは皆、テロリストの被害者だ」