インドの「失われた部族」とイスラエルの新たなアリヤー作戦
【エルサレムINPS Japan=ロマン・ヤヌシェフスキー】
2026年春、イスラエルは近代ユダヤ史上でも極めて異例の移民事業を開始した。インド北東部に暮らすブネイ・メナシェ共同体の数千人をイスラエルに迎え入れる、政府支援の取り組みである。|ENGLISH|RUSSIAN|
イスラエル当局にとって、この計画は単なるアリヤー(イスラエルへの移住)事業にとどまらない。聖書に登場する「イスラエルの失われた10部族」の一つの子孫が、古代からの歴史的な帰還を果たすものと位置づけられている。
民を一つに結ぶ取り組み
新構想に基づく最初の大規模便は2026年4月、インドのミゾラム州とマニプール州から約240人の移民を乗せ、ベン・グリオン空港に到着した。「夜明けの翼」と名付けられたこの作戦は、2025年末にイスラエル政府が承認した、より広範な国家予算による計画の幕開けとなった。
イスラエル政府とユダヤ機関によれば、2026年末までにブネイ・メナシェ共同体の約1200人がイスラエルに到着する見通しである。長期計画では、2030年までに、インドに残る共同体のほぼ全員にあたる約5000~6000人を移住させることを目指している。
これは近代史上、「失われた部族」の伝承に結び付けられる共同体を対象とした、最大規模の組織的アリヤー事業の一つとなる。イスラエル当局は、この計画をイデオロギー的、歴史的な意味合いを持つものとして公然と位置づけている。ベンヤミン・ネタニヤフ首相はこの取り組みを「重要でシオニズム的」と評し、アリヤー・統合相のオフィル・ソフェル氏は、離散した民を集めるというイスラエルの国家的使命の一環だと述べている。
この作戦は、家族再統合とも深く関わっている。過去20年余りの間に、ブネイ・メナシェの数千人がすでにイスラエルへ移住したが、官僚的制約やイスラエルの移民政策の変化により、多くの場合、親族をインドに残さざるを得なかった。新計画は、残された家族の移住を完了させることを目的としている。
イスラエルの団体「シャヴェイ・イスラエル」によれば、現在、約5000人のブネイ・メナシェがイスラエルで暮らしている。同団体は2000年代初頭から、彼らのアリヤーを支援する中心的役割を担ってきた。多くはガリラヤ地方やノフ・ハガリル、キリヤト・ヤム周辺など、イスラエル北部に定住している。
ブネイ・メナシェとは何者か

ブネイ・メナシェ共同体は主に、ミャンマーとバングラデシュに近いインド北東部の辺境地帯に暮らすチン、クキ、ミゾ系の部族集団にルーツを持つ。彼らはチベット・ビルマ語派の言語を話し、歴史的には地域固有の部族宗教を信仰していたが、19世紀から20世紀にかけての大規模なキリスト教宣教活動により、この地域の宗教的景観は大きく変化した。
現代のブネイ・メナシェとしてのアイデンティティは、20世紀を通じて徐々に形成された。共同体には、「シンルン」または「チンルン」と呼ばれる古代の故地に関する伝承や、遠い西方の地から移動してきたとする口承が残されていた。1950年代になると、一部の部族指導者が、これらの伝承を聖書に登場するマナセ族の物語と結び付けるようになった。マナセ族は、2700年以上前、アッシリアによる北イスラエル王国征服後に追放された「失われた10部族」の一つとされる。
やがて、これらの共同体の数千人がユダヤ教の慣習を取り入れるようになった。安息日を守り、聖書に基づく祝祭日を祝い、特定の食物を避け、ヘブライ語の祈りを受け入れた。最終的に共同体の指導者らは、ユダヤ人との正式な再結合とイスラエルへの移住を求め、イスラエルの宗教当局や関連団体に接触した。
転機となったのは2005年である。イスラエルのセファルディ系首席ラビが、ブネイ・メナシェをイスラエルの子孫として正式に認めた。ただし、彼らの正確な系譜には不確実な点があり、主流のユダヤ教から何世紀にもわたって隔絶していたため、共同体の成員は、イスラエルの帰還法に基づく市民権取得に先立ち、正式な改宗手続きを受けることを求められている。
このアリヤー事業の中心的組織が、イスラエル元政府関係者のマイケル・フロイント氏が設立したシャヴェイ・イスラエルである。同団体は長年にわたり、インドでの宗教教育プログラムへの資金提供、改宗手続きの支援、移住便の調整を行ってきた。
「失われた10部族」の謎
ブネイ・メナシェの物語が多くのイスラエル人を引き付けるのは、それがユダヤ教における最古級の歴史的謎、すなわち「失われた10部族」の行方に関わるものだからである。

聖書と歴史的伝承によれば、古代イスラエル12部族のうち10部族は、紀元前8世紀にアッシリア帝国が北イスラエル王国を征服した後、歴史の表舞台から姿を消した。何世紀にもわたり、ユダヤ世界では、これらの部族の痕跡を残している可能性のある孤立した民族をめぐる伝説が語られてきた。
ブネイ・メナシェの事例が特異なのは、それが単なる象徴的、精神的な主張にとどまらない点にある。「失われた部族」の伝承につながる可能性を自認する数千人が、集団としてイスラエルに移住し、正式な宗教的承認を受け、ユダヤ人としてイスラエル社会に統合されつつある。この規模の移住が、特に「失われた部族」の物語と結び付いて行われる例は、近代ではほとんど前例がない。
一方で、歴史家や遺伝学研究者は慎重な見方を崩していない。
現在のところ、ブネイ・メナシェが古代マナセ族の直系の子孫であることを示す決定的な考古学的、文献的、遺伝的証拠は存在しない。多くの研究者は、その関連性を「あり得るが証明されていない」と見ている。最も有力な根拠は、口承、一部の儀礼上の類似性、そして共同体が長年抱いてきたイスラエル人としての自己認識である。一方、批判的な見方をする人々は、現代のブネイ・メナシェのユダヤ教的実践の一部は、特に20世紀に比較的新しく形成されたものだと指摘している。

イスラエル国内でも見解は分かれている。宗教当局者の中には、ブネイ・メナシェを、何世紀にもわたりアジアで孤立していた古代イスラエル人集団の真正な残存者と見る人々がいる。一方で、彼らを古代イスラエル人の直接の血縁的子孫ではなく、聖書の伝承に触発された誠実な改宗者と見る立場もある。イスラエル政府自体は、歴史的主張を断定することをおおむね避け、共同体のユダヤ教とシオニズムへの献身を強調している。
今回のアリヤー作戦は、インド北東部の不安定化を背景に進んでいる。2023年以降、マニプール州で続く民族間暴力により、共同体の多くが避難を余儀なくされ、移住手続きを完了させようとする動きが加速した。共同体の指導者らは、イスラエルの新たな取り組みを、人道的使命であると同時に、数十年来の夢の実現だと表現している。
多くのイスラエル人にとって、この物語が持つ感情的な力は、科学的な確実性にあるのではない。むしろ、インドの遠隔の山岳地帯に暮らす人々が、自らを「故郷へ帰る者」と信じてユダヤ国家に到着するという、歴史的象徴性にこそある。
ブネイ・メナシェだけではない「失われた部族」説
「失われた部族」と結び付けられてきた集団は、ブネイ・メナシェだけではない。
最も頻繁に論じられる共同体の一つが、エチオピアのベタ・イスラエルである。彼らのユダヤ人としてのアイデンティティはイスラエルによって正式に認められ、「モーセ作戦」や「ソロモン作戦」により、多数がイスラエルへ移住した。多くの伝承では、彼らはダン族と結び付けられるが、その正確な起源については、歴史家の間で今も議論が続いている。
しばしば言及されるもう一つの集団が、アフガニスタンとパキスタンのパシュトゥン人である。一部のパシュトゥン部族には、自らを古代イスラエル人と結び付ける口承があり、部族名の中には聖書の部族名に似たものもある。しかし、主流の歴史家は、その証拠は極めて不確実だと見ている。
南部アフリカのレンバ人も注目すべき事例である。遺伝学研究では、レンバ人の祭司階層の一部に中東系の遺伝的指標が確認されており、ユダヤ世界の外にありながら、古代近東系の祖先を示す一定の証拠を持つ数少ない集団の一つとされる。それでも研究者の間では、それが古代イスラエル人に由来するものなのか、あるいはより広範な歴史的中東移住を反映するものなのか、見解が分かれている。
中央アジアの共同体、クルド人の一部、中国や日本の特定集団も、時に「失われた部族」説と結び付けられてきた。ただし、多くの場合、その証拠は断片的であるか、主として民間伝承の域を出ない。
ブネイ・メナシェを際立たせているのは、その物語が伝説の域を超え、国家政策へと移行した点である。2026年、飛行機が到着し、家族が移住し、古代聖書に由来する物語が、歴史的に証明可能かどうかにかかわらず、現代イスラエルの物語の中に織り込まれつつある。

この記事に言及されている「ユダヤ人の失われた十部族が日本に渡来した」という「日ユ同祖論」は、アッシリアに滅ぼされた古代イスラエルの人々が日本へ渡り、その文化や血縁が現代の日本人に引き継がれているとする説。主な根拠として、日本の神事や歌とヘブライ語の類似性(北海道の民謡「ソーラン節」の囃子詞「ヤーレンソーラン」は、ヘブライ語で「神に喜び歌う、独りで歌う者(あるいは神が答えてくださった)」という意味を持つと解釈される等)、秦氏の渡来などが挙げられるが、歴史的には実証的な証拠がない空想的な説として扱われている。
この物語には、少なくとも4つの国連持続可能な開発目標(SDGs)が関連している。
SDG 10(人や国の不平等をなくそう):ブネイ・メナシェのアリヤーは、地理的に孤立し、周縁化されてきた少数派をイスラエル社会に統合する取り組みである。共同体の多くは、インド北東部の経済的に開発が遅れた地域の出身であり、移住後には言語、教育、雇用面での障壁に直面する。
SDG 16(平和と公正をすべての人に):ブネイ・メナシェの事例は、法的承認、市民権、宗教的地位、制度的包摂といった問題を含んでいる。また、この作戦は難民危機や紛争に伴う避難ではなく、平和的な人道的移住の取り組みとして語られることが多い。
SDG 4(質の高い教育をみんなに):教育は、ブネイ・メナシェのアリヤーの過程で重要な役割を果たしている。移住の前後に、多くの参加者がヘブライ語教育、ユダヤ教教育、職業訓練、文化的オリエンテーションを受ける。
SDG 11(住み続けられるまちづくりを):多くのブネイ・メナシェ移民は、ガリラヤ地方やイスラエル北部の周辺地域に定住している。これは地域共同体と人口の維持・強化に寄与するとともに、文化的多様性の保全にもつながる。また、この物語は、伝統、アイデンティティ、共同体の継続性といった無形文化遺産の保護にも関わっている。
This article is brought to you by INPS Japan in collaboration with Soka Gakkai International in consultative status with UN ECOSOC.

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