【コロンボIDN=パリサ・コホナ】
歴史的に欧米諸国は、非白人世界は言うまでもなく、中国に対して常に曖昧な態度をとってきた。その振る舞いは、恐れ、疑念、興味、不安、優越意識、さらには不相応な競争相手に抱く強い嫌悪の感情さえ入り混じったものだった。
こうした態度は、恐らく、19世紀に中国(清帝国)を訪ずれた宣教師や外交官、商人らが著した文献を基にした認識によるものだろう。彼らは西洋キリスト教社会の圧倒的優位を確信して中国を訪れたが、そこで見たものは、自分たちの先入観に当てはまらず、西洋のやり方を進んで受け入れそうもない豊かな社会だった。
事実、中国人は自分たちの価値観を守った。西洋人が抱くこうした偏見は今も健在で、利己的な評論家や政治家は事あるごとに中国について尾ひれをつけた発言をしてきた。それは今日世界の脅威となっている新型コロナウィルス(COVID-19)の大流行の最中でも変わらない。
マルコ・ポーロの1271年から1295年に及ぶシルクロード旅行記と当時カタイと呼ばれた元朝の中国がいかに豊かで壮大であったかという話は、当時の西洋人には、概ね信じ難い空想の世界として片づけられた。東方見聞録(驚異の書、エル・ミリオーネとしても知られる)は、懐疑的な西洋人に謎めいた文化と非白人・非キリスト教世界の内情を紹介したものだった。その中には、巨万の富、西洋よりも優れた制度、モンゴル帝国の広大な版図が含まれており、中国、インド、日本、その他のアジア諸国や町を西洋世界に紹介した初めての文献であった。
その後何世紀にもわたって、西洋で根付いた中国に対する共通の認識は、概ね無理解に基づくものだが、警戒し疑念を持って対応すべき信用できない別世界の人々で、いつも苦しみ貧困に喘いでいるというイメージである。
中国と中国人に関する偏見が最近息を吹き返しつつある。ニュース報道や急ごしらえで編集された電子媒体のメッセージを含む多くの解説が、ここぞとばかりに、汚らわしく信用できない「チャイナマン(中国人やアジア人を現す蔑称)」のイメージを復活させている。
自己陶酔している欧州や米国に、洗練され複雑かつ強力な文化が数千年に亘って東方に存在してきたことをほぼ確信させるのに、2百年の歳月とジョセフ・ニーダム氏のような知の巨人による労作や多くの大学による研究が必要だった。こうした研究のお陰で、今日西洋社会で当然と考えられているものの多くが、すなわち、紙、火薬、絹、茶、陶磁器、コンパス、鋳鉄、鋤、あぶみ、印刷、脱進器、パスポート(モンゴル語でパイザ)等が、西洋よりも数世紀も前に中国で知られていたことが分かっている。
シンガポール元国連大使のキショール・マブバニ教授によると、1840年当時の中国は世界の生産高の25%以上を担う非常に裕福な国だった。しかしこの生産高の割合は、その後の列強諸国による植民地収奪と清朝の衰退により2%以下にまで落ちこむことになる。
今日再び頭をもたげつつある、恐ろしいほど人種偏見に満ちた「黄禍論」は、19世紀に西洋社会で広がった概念である。とりわけこの概念は義和団の乱が勃発した際に、欧米で広く使われるようになった。義和団は1900年に勢いを増し首都北京に入場した。
蛮行を推奨したドイツ皇帝ヴィルヘルム2世
1900年7月、ヴィルヘルム2世は兵士たちにいわゆる「フン族演説」を行い徹底した蛮行で中国人を抑えつけるよう次のような激を飛ばした。「欧州を出立して中国に出征するドイツ帝国の兵士は、『フン族』のように中国人(義和団か民間人の違いに関わりなく)に残虐行為の限りを尽くして義和団の乱を鎮圧せよ。…敵と相対する際、敵を木っ端みじんに粉砕せよ。情けは一切不要。捕虜にする必要はない。汝の手に落ちるものは、汝らの意のままに扱うがよい。1000年前のフン族を従えたアッティラ王が、その名をいまだに世に残酷な響きでもって轟かせているように、ドイツの名を同じように1000年中国人に知らしめ、二度と舐めた真似ができないようにせよ。」
ドイツ皇帝は遠征軍を指揮するアルフレート・フォン・ヴァルダーゼー元帥に対して、中国人は「生まれつき犬のように臆病でありながら卑怯な連中だ」として、残虐に対処するよう命じた。皇帝の側近であるフィリップ・オイレンブルク侯爵は友人に宛てた手紙の中で、皇帝は義和団にドイツ公使クレメンス・フォン・ケーテラー男爵が殺害された復習に、北京を徹底的に壊滅させ、全住民を殺害したいと希望している。」と記している。しかしドイツ軍が到着する前の1900年8月に、ロシア軍、日本軍、英国軍、フランス軍、米軍からなる連合軍が北京を陥落させた。
8カ国からなる連合軍は、義和団事件への復讐として北京を略奪した。その際街中で横行した強姦、略奪、放火の規模は、西洋の近代軍隊にとって中国人は人間以下とみなす認識を示すものだった。略奪の光景について、あるオーストラリア人作家は、「北京の通りで繰り広げられている恐ろしい光景を見よ。…汚れて引き裂かれたボロ布を纏った人々、あらゆる卑猥で不道徳な蛮行が横行している街に響く阿鼻叫喚、こうした光景を自分の国に当てはめて想像できるだろうか…うっ!なんとおぞましいことか。」と記している。
当時西洋人が抱いていた東洋人に対する優越意識や強い嫌悪感や疑念は、大抵は意識のレベルにとどまっているものだったが、こうした際に突然表に出てくることも稀ではなかった。こう振り返ると、西洋文明も、ただの上辺だけのもののように思えてならない。
新たに高まる中国嫌い
このような歴史や西洋列強が中国にもたらした幾多の困難にも関わらず、中国は自力で発展を遂げ、今では世界第2位の経済大国の地位を築き上げた。それにも関わらず、西洋世界や東洋の一部の国々は、中国や中国人をこれまでと同じ歴史的な不信の目で見ている。
「シノフォビア」(中国という国や人々、あるいは在外中国人や食生活を含む中国文化を嫌う感情)は未だに残っているが、新型コロナウィルスの流行以来、息を吹き返し、欧米社会では植民地や帝国主義の遺産、さらには世代を超えた人種差別と相まって再び広がりを見せている。今日、欧米メディアや系列局は、その度合いは様々だが、視聴者の中国嫌いに取り入ろうとしている。新型コロナウィルスの流行で表面化した一層根深い偏見や、中国政府や国民、彼らの食習慣をすぐにでも進んで非難しようとする姿勢は、中国人を悪魔扱いしてきた長い歴史に見られる兆候である。
2020年1月26日、オーストラリアで最も購読者数が多い2紙、すなわち、メルボルンの「ヘラルド・サン」紙が「中国ウィルスのパンダモニアム(中国のパンダと地獄絵図/悪魔の巣窟を意味するパンデモニアムをもじった造語)」というヘッドラインを掲載した一方で、シドニーの「デイリー・テレグラフ」紙が「チャイナ・キッズ(アジア人の蔑称チャイナマンをもじった表現)は自宅待機」というヘッドラインを掲載し、これに抗議し謝罪を求める51,000件以上の請願が両新聞社に寄せられるという事態に発展した。世界にはまだまだ良心的な人々が健在だ。
フランスでは、「ル・クーリエ・ピカード」紙は、1月26日付の表紙にマスクをつけたアジア人女性を「イエロー・アラート(黄色い警告)」というヘッドラインと共に掲載した。同紙はまた、「イエロー・ぺリル(黄色い禍)」と題した論説も掲載した。とりわけ「黄色い禍」というのは歴史的にいわく付きの表現だけに、フランス在住のアジア人からの非難を浴び、彼らの中から「私はウィルスではない(#JeNeSuisPasUnVirus)」というハッシュタグキャンペーンが起こった。こうみると、西洋世界のリベラル(自由主義)というものも、表面的なものではないか、と誰もが思い始めるだろう。
ロンドンの中華街をはじめ英国における中国系ビジネスは、例年だと旧正月の買い物客で賑わう時期だが、新型コロナウィルスが流行し始めてからは、食品や不衛生な職場習慣からウィルス感染するという風評が広がり、買い物客が激減した。概して、あらゆる公共交通機関で、反中国人感情が広がった。
新型コロナウィルスの流行以来使用されているこうした人種差別的な解説は、世界保健機構(WHO)が国際社会に対して創立以来義務付けている公約を順守するよう改めて要請しているにもかかわらず、なかなかなくならないでいる。1月30日、WHO緊急委員会は、感染症対策を実施する際に偏見や差別を助長しないよう警告した国際保健規則(IHR)第3条の原則に留意するよう、全ての国に対して勧告する声明を発表した。
18世紀末に英国が清朝との関係を構築しようとした最初の継続的な試みは、当初は拒絶されたものの、主に両国間の貿易に焦点を当てたものであった。英国はその後150年間にわたって、中国が諸外国との関係で最も苦難を強いられた多くの出来事(阿片戦争、円明園略奪、1900年の義和団事件後に中国に課した賠償金、北京の略奪や強姦、植民地として中国に割譲させた香港の統治等)に関与してくことになる。中国人はこの時代を「屈辱の世紀」と呼んでいる。
1997年に香港が中国に返還されて以来、香港では民主化を求める抗議の声があがっている(英国はこの動きへの関与を認めていない)が、英国の対中政策は、かつての対決姿勢から徐々に関与政策に主軸を置くものに変化してきた。中国経済が英国経済を凌駕し、英国は中国との関係を見直す必要に迫られている。両国の役回りは逆転し、今では英国が中国政府に懇願する立場になっている。
中国からのキャッシュフローを切望する英国
ブレグジットに伴う先行き不透明なジレンマを抱える英国政府は、これまでにもまして中国からのキャッシュフローを確保したいと考えている。評論家らは、英国政府は今後中国資本をどれだけ必要としているかを理解しており、既に中国に対する批判を控えるようになっている、とコメントしている。
英国人の中国人に対する優越意識は、阿片戦争の勝利に始まった。英国は、広東に対する艦砲射撃で数千人を殺傷した後、中国側に穿鼻草約(合意には至らなかった)を押し付けた。その後1842年に結ばれた南京条約により戦争は終結したが、英国はこの条約で香港の割譲と5つの港の開港(これにより英国は自由に中国人に阿片を売る権利を獲得した)を中国に認めさせた。
英国は1843年には中国に虎門寨追加条約を締結させ、領事裁判権を獲得するとともに片務的最恵国待遇を認めさせた。さらに1856年から60年に勃発した第二次阿片戦争では、第8代エルギン伯爵(エルギンマーブルを英国に持ち帰った人物)が大英帝国を代表して天津条約に署名している。さらに1860年10月、北京を占領した英仏連合軍は、皇帝の離宮円明園を略奪し焼き払い、中国政府に新たに北京条約を締結させた。その結果、英国は香港の対岸にある九龍半島の割譲と北京への外交官の駐留件を獲得したほか、その後数年の間に清朝各地(漢口〈現在の武漢〉、高雄、淡水〈現在の台北〉、上海、厦門)に領事館を開設していった。
米国における反中国感情は、少なくとも中国人移民が米国に流入しはじめ、最初の大陸横断鉄道の建設に大きく貢献した19世紀中ごろから存在する。鉄道建設では数千人の中国人労働者が犠牲になった。1960年代以降、中国人移民に対する偏見や衝突はさらにエスカレートし1882年には、中国人移民の移住や国籍取得を禁ずる人種差別的な中国人排斥法(1943年に廃止)が制定された。
米国人が抱く中国人に対する偏見の起源は、中国に滞在中の米国人商人や宣教師、教師、外交官が、自分たちが遭遇した「不可思議な人々」について、本国に送り続けた侮蔑的な報告書に見ることができる。こうした見方が北米から出たことがない米国人に伝わり、黄禍論がまことしやかに語られる誘因となった。その後反中国感情は米国社会に生き続け、冷戦期のマッカーシズムにも認めることができる。
この時期、「黄禍論」という概念は、新聞王ランドルフ・ハーストが所有する米国の新聞各紙を通じて一般に普及した。また、当時著名な再臨派教会の牧師でアングロイスラエリズムの信奉者でもあったG.G.ルパートは、1911年に「黄禍論:東洋対西洋」を出版し、その中で、聖書のヨハネ黙示録16章12節に記されている「日の出るほうから来る王たち」に基づいて、中国、インド、日本、朝鮮が将来英国と米国を攻撃するが、イエス・キリストが彼らを阻止するだろう主張した。
1870年の帰化法は黒人の市民権を認めた一方で、中国人をはじめとするアジア人は、アメリカ社会に同化できないとして除外された。中国人移民は、選挙権や裁判で陪審員と務める権利も否定された。また、数十の州が外国人土地法を通過させて、市民権を持たない人々が土地を取得することを禁じた。
とりわけ、プレッシー対ファーガソン裁判で少数意見を述べたジョン・マーシャル・ハーラン最高裁判事でさえ、中国人について「私たちとあまりに違うためにアメリカの市民になることが認められない人種が存在する。その人種の人は、わずかの例外をのぞいて、わが国から絶対に締め出されている。たとえば中国人と呼ぼうか。」と述べている。
中国に対するトランプ政権の不可解な敵意
トランプ政権は中国に対して不可解な敵意を示してきたが、一方で、内政面で権威主義的な傾向を強め、海外で自己主張を強める中国政府の動向に、多くの国々が警戒感を募らせている。欧米諸国は反撃するアジア人に馴染みがない。
政権内で最も中国を声高に非難しているマイク・ポンぺオ国務長官は、「医療専門家を(中国に)入国させるのにあまりにも多くの時間がかかった。もっと協力的であってしかるべきだ。」と述べ、新型コロナウィルスが広がった際の中国の対応には明らかに透明性が確保されていなかったとして非難した。
この指摘は明らかにプロパガンダを意識したものだったが、これはそのまま、次第に米国内で脅威を増しつつある新型コロナウィルスの拡散に対する米国政府の一貫性を欠いた対応にも当てはめることができよう。
対中強硬派が非公式な話として、新型コロナウィルスが中国共産党の正当性を弱めると述べているが、これは恐らく、はかない望みに過ぎないだろう。
国際的に公衆衛生上の緊急事態が発生している最中にこのような敵意に満ちた発言がなされたのは残念なことだ。まもなく西側メディアは、トランプ政権が中国に同情していない点を取り上げるとともに、WHOによる明確な説明があるにもかかわらず、中国政府の対応は、透明性に欠け、高圧的で、医療対応が遅い等と批判する記事を書き立てた。また、プロパガンダを目的とする批判的で侮蔑的な映像も電子メディアを通じて大量に拡散した。
しかし今や、中国が新型コロナウィルスの拡散を制御したかにみえる一方で、欧米諸国で深刻な被害が広がるに至り、西側メディアは、報道の従来の論調を変えるようになってきた。つまり、昨年12月に中国が新型コロナウィルスの拡散に直面した当時にみられたような厳しく、軽蔑的で無情な論調は影を潜め、今ではよりバランスのとれた報道が主流になってきている。
中国が、欧米の経済、政治モデルに従うことなく世界の主要な経済・軍事大国として台頭したことが、明らかに今日の反中国感情の背後にあると思われる。中国の台頭は、米国のような国々の犠牲の上に成り立っているとみなされてきた。
2019年4月、クリストファー・レイ連邦捜査局(FBI)長官は、米上院の公聴会で、中国は「(米国)社会全体にとっての脅威」と述べた。また2019年5月には、米国務省のキロン・スキナー政策立案局長は、中国は「今後アメリカは史上初めて、白人国家ではない相手(中国)との偉大なる対決に備えていく。」と語った。もちろん、スキナー局長は、かつ米国の覇権に挑み、1945年に原爆攻撃を受けた日本のことを忘れていたようだ。1980年代、米国の怒りは、盛んに経済的な影響力を伸ばしていた日本に向けられていた。
こうした米国の立場は、ときに矛盾し説明が困難なものに思えるかもしれない。かつて国連安全保障理事会で拒否権を行使できるメンバーとして中国(当時は中華民国)を推したのは米国である。中華民国は、太平洋戦争時、米国の対日戦争に協力していた。米国は、国連安保理で既に拒否権を持っていた欧州3カ国との均衡を持たせるために、欧州以外の国(=中華民国)の参加を望んだのだろうか。当時、米国は中華民国との間では、両国の影響力を持つ個人や宣教師同士の効果的な繋がりがあった。蒋介石総統は、キリスト教メソジスト派の信者であった。はたしてこのような要素が当時の米国政府の考え方に影響力をおよぼしただろうか。
しかし、米中関係は毛沢東率いる共産党が中国大陸を席巻し、蒋介石を台湾に追いやるようになると急速に悪化した。さらに共産党政権の中国は、軍事的にも朝鮮半島における米国の野望を挫いた。朝鮮戦争時、米国の政策責任者の間では、中国を核攻撃する考えが俎上に上っている。また、ベトナムでは、中国による対北ベトナム政府支援が、米国が後ろ盾となっていた南ベトナム政府を1975年に最終的に敗北に追いやった重要な要素であった。
米中関係は、リチャード・ニクソン大統領、ヘンリー・キッシンジャー国務長官の時に、ソ連を牽制するという共通の利害が合致して、中国との関係修復がなされたが、中国に対する疑念は依然として水面下で燻っていたようだ。中国は、西側との関係改善を利用して米国や西側諸国からの投資と技術移転を求め、史上最も印象的な奇跡的経済発展を成し遂げた。中国はさらに、そこから得た莫大な富を活用して、伝統的な勢力範囲を大きく超えて外交的な影響力を遠くはアフリカにまで伸ばす広域経済圏(一帯一路)の構築を目指している。
中国は、欧米諸国にとって主要な経済の競争相手となった。しかし残念なことに、この事態は欧米諸国、とりわけ米国に対する脅威として、公然と解釈されている。欧米の政策立案者にしてみれば、世界を舞台にヨーロッパ(=白人、キリスト教文化)でない競争相手がいるという現実は、考えるだけで不安をかきたてるものなのだろう。米国はありとあらゆる手段を用いて、中国を非難し対抗する姿勢を示し始めた。米国はまた、中国とロシアを戦略的競争相手と見なし始めており、その結果、気前の良い中国との関係から恩恵を得ようとする国々は、米中関係を不安要因として意識しなければならなくなった。
中国を非難する武器として使われる新型コロナウィルス騒動
そうした中、新型コロナウィルス問題が、中国を非難するもう一つの武器として用いられるようになった。米シンクタンク「外交問題評議会」のデビッド・フィドラー(インディアナ大)教授は、「私たちは、異なる政治目的のために虚報を流布させることでウィルスの大流行を兵器化するという現象を目の当たりにしている。この大流行は、兵器化の動きが地政学上の変化とつながっている点で特異なものだ。つまり、台頭する中国の力と影響力に対する恐れが中国の疫病対応を批判する論調を形成し拡大している。新型コロナウィルスの流行は、アフリカで流行しているエボラ出血熱の場合と異なり、次第に過酷さを増す米中間の権力政治のバランスと絡んでいる。」と述べている。
米中間の関係悪化は実に残念であり、いずれの国にとっても利益にならないばかりか、この点については、国際社会全体にとっても同様だ。米国と中国にはいずれも、両国や世界のためになる協力ができる大きな潜在能力がる。しかし、歴史や、一般庶民の不安を利用する野心的な政治家が抱く根深い疑念が、大多数の人々を知らず知らずのうちに不幸な衝突に巻き込む悲惨な状況を引き起こしかねない。(原文へ)
*視点の内容は著者個人の見解であり、必ずしもIDN-INPSの編集方針を反映したものではない。
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