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|イラク|本|クルド系ユダヤ人が思い出す失楽園

【サンフランシスコIPS=アーロン・グランツ】

米国政府の役人やメディアは、米国占領下にあるイラクで続く暴動に関して、互いに殺し合うイラク人の国民性を野蛮とみなして語ることが多い。9日の副大統領候補者の討論で、民主党のバイデン氏は「過去700年の歴史がイラク人はたがいに仲良くできない民族だと示している」と述べた。だが、それは真実だろうか。 

クルド系米国人ジャーナリストのアリエル・サバル氏の新作、「My Father’s Paradie: A Son’s Search for His Jewish Past in Northern Iraq(父の楽園:息子が求めたイラク北部のユダヤ人の過去)」には、イラクの別の歴史が美しく描かれている。

 この作品の中で、作者は1940年代にイラク北部のクルディスタンの小さな町ザホで育った父ヨナについて語る。この町ではユダヤ人、イスラム教徒、キリスト教徒が、「2700年間争うことなく」入り混じって暮らしていた。ヨナは屋根に上るのが好きな少年。父は毛糸屋を営み、祖父は染物職人だった。大好きなおじさんは怖い話や冒険の話を聞かせてくれた。 

第一次世界大戦後のバグダッドの人口の3分の1はユダヤ人だった。第二次世界大戦後には内閣、議会、裁判所で多くのユダヤ人が活躍した。「非常に洗練され、国際的で、多文化的な国だった」と作者のサバル氏はIPSの取材に応じて語った。 

皮肉なことに、イラクの社会的混和を中断させたのは、欧州の民族的虐殺だった。ナチスによるユダヤ人大量虐殺がユダヤ人国家創設につながり、1948年のイスラエル建国に近隣諸国は反対し、戦争に突入した。戦死者が増えると反ユダヤ感情が高まり、イラク国内のユダヤ人も排斥されるようになった。ザホのユダヤ人も町を脱出し、ヨナの家族はエルサレムのスラムに移り住んだが、クルド人ということで移住先でも差別を受けた。 

10代のヨナは工場で働きながら夜学に通い、その後米国に渡って母国語であるアラム語の教授になる。作品の中で作者の父の姿はやさしく、そして力強く語られていく。2005年に息子とともに故郷のクルディスタンを訪れたヨナは、かつての世界がすべて失われたことを知った。美化された過去は幻想でしかなかった。 

「父は今でもクルディスタンの思い出をとても大事にしている」と息子はいう。 

イラクの過去の楽園を描いた作品について報告する。(原文へ) 
 
翻訳/サマリー=IPS Japan 浅霧勝浩 

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