【ニューヨークIDN=ジェフリー・サックス】
戦争が勃発したり、長引いたりするのは、両者の力関係についての誤算が原因であることが多い。ウクライナの場合、ロシアはウクライナ人の戦う決意と北大西洋条約機構(NATO)が供給する兵器の威力を過小評価し、大失態を犯している。しかし、ウクライナとNATOもまた、戦場でロシアを打破する能力を過大評価している。その結果、双方が勝つと信じているが、双方が負ける消耗戦になっている。
ウクライナは、ブチャにおけるロシア軍による残虐行為が明らかになり、あるいは軍事的見通しに対する認識を変えたために、ロシアとの和平交渉を一旦断念したとされるが、今再び、3月下旬当時のように、交渉による和平への模索を強化する必要がある。
3月末に協議されていた和平条件は、ウクライナの中立と安全保障、クリミア半島やドンバス地方の地位などの争点に対処するための期限を定めたものであった。ロシアとウクライナの交渉担当者らは、トルコの仲介者と同様に、交渉に進展があったと表明していた。その後、ブチャからの報告を受けて交渉は決裂し、ウクライナの交渉担当者は、「ウクライナ社会は今や、ロシアに関するあらゆる交渉構想に対して、ずっと否定的だ。」と語った。
しかし、交渉の必要性は依然として緊急かつ圧倒的である。このままでは、ウクライナの勝利どころか、壊滅的な消耗戦になる。合意に至るには、双方が期待するものを再考する必要がある。
ロシアはウクライナを攻撃したとき、明らかに迅速かつ容易な勝利を期待していた。ロシアは、2014年以来、米国、英国、その他の軍事支援と訓練を何年も受けてきたウクライナ軍の戦力増強を大幅に過小評価していた。さらにロシアは、NATOの軍事技術が数で優勢なロシアの兵力にどの程度対抗できるかを過小評価していた。間違いなく、ロシアの最大の誤りは、ウクライナ人が戦わない、或いは寝返ると仮定したことだ。
しかし今、ウクライナと西側支援諸国は、戦場でロシアに勝てる可能性を過大視し過ぎている。ロシア軍が崩壊しそうだというのは希望的観測だ。ロシアはウクライナのインフラ(現在攻撃を受けている鉄道路線など)を破壊し、ドンバス地方や黒海沿岸の領土を獲得・保持する軍事力を有している。ウクライナ人は断固として戦っているが、ロシアを敗北に追い込めるとは到底思えない。
また、欧米の金融制裁も、それを課した政府が認識しているよりもはるかに不十分で効果に乏しい。ベネズエラ、イラン、北朝鮮などに対する米国の制裁は、これらの政権の政治を変革していないし、ロシアに対する制裁はすでに導入時の誇大宣伝をはるかに下回るものとなっている。ロシアの銀行を国際決済システム「SWIFT」から排除することは、多くの人が主張するような「核のオプション」ではなかった。国際通貨基金(IMF)によれば、ロシア経済は2022年に約8.5%縮小するとされているが、これはたしかに深刻だが、破滅的とは言えない。
さらに、制裁は米国、特に欧州に深刻な経済的影響を及ぼしている。米国のインフレ率は40年ぶりの高水準にあり、近年連邦準備制度理事会(FBR)が生み出した何兆ドルもの流動性のために、今後も続くと思われる。同時に、サプライチェーンの混乱が拡大し、米国と欧州の経済は減速し、あるいは収縮さえしているかもしれない。
ジョー・バイデン大統領の米国内における政治的立場は弱く、今後数カ月で経済状況が深刻化すればさらに弱体化する可能性が高い。戦争に対する国民の支持も、経済が悪化すればするほど低下していくだろう。共和党は戦争をめぐって分裂しており、トランプ一派はウクライナ問題でロシアと対立することにあまり関心がない。民主党もスタグフレーションへの反発を強めており、11月の中間選挙で民主党の過半数が失われる可能性が高い。
戦争と経済制裁の悪影響は、食糧とエネルギーを輸入に依存する多数の開発途上国でも悲惨な事態を生み出すだろう。これらの国々で経済危機が生じれば、世界中で戦争と制裁体制の中止を即刻求める声が上がるだろう。
一方、ウクライナは、死者、強制移住、破壊という点で、痛ましい被害を受け続けている。国際通貨基金(IMF)は、2022年のウクライナ経済が35%縮小すると予測している。これは、住宅、工場、鉄道車両、エネルギー貯蔵・送電能力、その他の重要なインフラがロシア軍により容赦なく破壊されたことを反映している。
中でも最も危険なのは、戦争が続く限り、核のエスカレーションが現実に起こる危険性があることだ。米国が現在求めているように、ロシアの通常戦力が実際に敗北に追い込まれた場合、ロシアが戦術核兵器で対抗する可能性は十分にある。黒海上空でスクランブル発進した米露の航空機が相手側に撃墜され、直接の軍事衝突に発展する可能性もある。米国が地上に秘密部隊を展開しているとのメディア報道や、米国情報機関がウクライナのロシア将官殺害やロシアの黒海艦隊旗艦の撃沈に協力したことを明らかにしたことは、その危険性を強調している。
核の脅威という現実がある以上、双方は交渉の可能性を決して捨ててはならない。それが、60年前の10月に起きたキューバ危機の教訓である。ジョン・F・ケネディ大統領は、ソ連のミサイルをキューバから撤去する代わりに、米国は二度とキューバに侵攻しないことと、トルコからミサイルを撤去することに合意して危機の終結を交渉し、世界を救ったのである。それは、ソ連の核の脅迫に屈したのではない。ケネディ大統領は賢明にもハルマゲドンを回避したのである。
3月末時点で交渉テーブルの俎上にあった条件(新しい安全保障の確約と引き換えにウクライナの中立化に応じる。クリミア半島や東部ドンバス地方の帰属問題について時間枠を設けて解決を図る)に基づいて、ウクライナの平和を確立することはまだ可能である。これは、ウクライナ、ロシア、そして世界にとって、唯一現実的で安全な道であることに変わりはない。世界はそのような協定に賛同するだろうし、自国の生存と幸福のためには、ウクライナもそうでなければならない。(原文へ)
INPS Japan
この記事はプロジェクト・シンジケートが配信したもので、著者の許可を得て転載しています。
関連記事: