【南スーダンIPS=ザック・バドーフ】
ティモシーがスーダン人民解放軍(SPLA)に11才でむりやり入れられたとき、最初にされたことはぶたれることだった。そしてティモシーは駐屯地で、他の兵隊の荷物を運んだり、服を洗ったり、薪を集めたり、食事を作ったりするよう命じられた。
ティモシーには十分な食べ物が与えられなかった。なぜなら、彼自身によれば、「食べ物は村から集めなきゃいけなかった。SPLAからは特に与えられなかった」からだ。
ティモシーは4月末にSPLAから除隊された少年兵91人のうちのひとりである。2005年に南北スーダンの間で和平協定が結ばれて内戦に終止符が打たれたはずだったが、実際には少年兵が雇われ続けていた。依然として、SPLAには900人の少年兵がいるとみられている(2005年には3000人)。
SPLAは、国連との協定で、今年12月までに少年兵の使用をやめると約束している。しかし、ある元少年兵によれば、今でも「軍に戻らないか」と電話がかかってくることがあるという。
少年兵の社会復帰を阻んでいるものは、食料難だ。ひとたび軍から放逐されると、食べる手段を失ってしまうのである。
南スーダンのユニティ州には「南部スーダン動員解除・軍縮・社会復帰委員会」(SSDDRC)が置かれているが、資源不足のために、除隊された少年兵に対する援助を十分行えずにいる。頼りになるのは、世界食糧計画(WFP)のような国際機関だ。
ティモシーは、幸運なことに、家族が彼を食べさせることができた。WFPは、ティモシーの家族の別の子どものために3ヶ月分の食糧を供給することで、側面支援した。ティモシーは、もう軍隊に戻るつもりはない。
南スーダンの少年兵除隊問題について報告する。(原文へ)
翻訳/サマリー=山口響/IPS Japan浅霧勝浩
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