【カイロIPS=エマド・ミーケイ】
エジプトの若いキリスト教徒女性アビール・ファクリ(Abeer Fakhry)さんは、ただ暴力的な夫から逃れて、自分を愛してくれる男性と一緒にいたいだけだった。しかし彼女は、いつのまにか、自分の家族から追われ、コプト教会(キリスト教東方諸教会の一つ)から追われ、イスラム原理主義集団から追われ、最後にはエジプト軍に追われる存在になってしまった。
「私はただ幸せになりたかっただけ。」と彼女の存在が知られるきっかけとなったユーチューブの中でアビールは語っている。彼女の語った内容は、エジプトで家庭内暴力に晒されているキリスト教徒の女性が助けを求めても教会の教えから離婚は許されず、耐え難い婚姻生活を余儀なくされる実態を浮き彫りにした。
エジプトのキリスト教会は、圧倒的多数を占めるイスラム教徒に差別されていると不満を訴えているが、その一方でこの事件は、教会自らが信徒の自由を拒否している実態を明らかにした。アビールは、メディアの取材に対して、アシュート県(エジプト南部)の同村のキリスト教徒男性との結婚生活が、いかに間もなく悪夢と化したかを語っている。
アビールによると、夫は、日常的に口汚く彼女を罵り暴力を振るった。彼女は貧血気味になり、3ヶ月ごとに輸血を要する体になってしまった。彼女は離婚を申し出たが、シェヌーダ3世(コプト正教会の教皇アレクサンドリア総主教)率いる保守的なコプト正教会は、彼女の訴えを拒絶した。
「私は改宗すれば婚姻関係を解消できると言われました。それでイスラム教への改宗を考え始めたのです。」とエジプトのキリスト教系テレビ局の番組に出演したアビールは述べている。そんな時、アビールは、アラビア語のカリグラフィー学校に通うバスで車掌をしていたイスラム教徒ヤセンと知り合う。
昨年9月23日、彼女はアル・アズハルモスクで改宗し、ヤセンと結婚した。しかし、そのときから彼女の悲劇は始まった。2人が行き先を変えて転々とする中、アビールの家族が2人を追ってきたのである。
多くのコプト教徒は信者の減少、とりわけ自分たちの子どもの世代が許容できないペースでイスラム教に改宗している現状に不安を抱いている。米国のピューリサーチセンターの調査報告書( The Pew Forum on Religion and Public Life)によると、かつて過半数を誇ったエジプトのキリスト教も今では人口8600万人の僅か4.5%しか占めていない。しかもこの値はカトリックやプロテスタントといった全てのキリスト教諸派を合計した数値なのである。
ホスニ・ムバラク前政権は、コプト教会がイスラム教に改宗した元信者を追って再改宗を迫ることに関して黙殺する態度をとった。コプト教徒は元来リベラルな家庭が少なくなかったが、保守的な教皇シェヌーダ3世の唱える「改宗は背信行為であり死罪に値するほどの重罪」という概念を受け入れる信徒が近年増加しており、人口の大半を占めるイスラム教徒としばしば摩擦を引き起こしている。
アビールの事件が起こる少し前、サルワという3人の子どもを持つ7年前にイスラム教に改宗していた若い元キリスト教徒の母親が、キリスト教徒の家族によって子ども1人とともに殺されるという事件が起こった。さらにこの事件ではイスラム教徒の夫も負傷している。同じような運命を辿ることを恐れたアビールは、カイロの北40キロに位置するベンハ村に身を隠した。
しかし3月、彼女はついに家族によって捕らえられ、各地の教会の間を転々と移された末、カイロ郊外の貧民街インババ地区の教会に連行された。その後アビールはなんとか携帯電話を確保し夫に連絡した。
絶望したヤセンは、ムバラク政権崩壊後に活動を活発化してきているイスラム原理主義のサラフィ(Salafis)主義者の団体に助けを求めた。まもなく数十人のサラフィ主義者達がインババ地区のコプト教会(Mar Mina church)の外に集まり、イスラム教徒とキリスト教徒の衝突が始まった。その結果、8人のイスラム教徒と4人のキリスト教徒が亡くなり、約210人が負傷、2つの教会が焼き打ちされるという、近年で最悪の宗教抗争となった。
多くの人々は、ムバラク政権崩壊がこのような宗派対立を呼び込んだことに恐れをなした。事件の翌日、多くのキリスト教徒達はカイロの街頭に出て、イスラム原理主義からの保護を求めてムバラクの帰還を訴えはじめた。
ムバラク前大統領は、サラフィ主義のようなイスラム原理主義の動きを警察機構を動員して暴力的に抑えつけていた。一方、コプト教会に対しては、教皇シェヌーダ3世がムバラク政権と息子ガマルの大統領後継を支持する見返りに、国内少数派のコプト教信者に対する支配を黙認する立場をとっていた。
一方、教皇シェヌーダ3世は、コプト教徒が1月25日に始まり翌月にムバラク前大統領を追放するに至った民衆蜂起に参加するのを禁じた。
ムバラク時代からの幹部が依然として大勢を占めるエジプトメディアは、インババ事件のスケープゴートとしてアビールを非難した。新聞各紙はアビールを「全ての問題の元凶」と呼び、彼女の資質を疑う論説が数多く報道された。
彼女自身は両集団の衝突の間に教会を抜け出したのだが、こんどはエジプト国軍に捕えられてしまう。国軍の将軍たちは、アビールを宗教闘争を煽ったとして非難している。
アビールは現在、悪名高いカナタ(Qanater)女性刑務所に収監され、人権擁護団体を含むあらゆるサイドから非難を一身に受けている。人権擁護団体は、イスラム教からキリスト教への改宗をした人物の擁護にのりだすことは度々あるが、アビールの擁護については慎重な立場をとっている。
アビールは先週地方テレビ局が行った電話インタビューに応じたが、今後のことに話が及ぶと声を震わせ、「このあと私の運命がどうなるのか、何がおこるのか分かりません。私はただ、皆さんと同じように、普通の生活を送りたかっただけなのです。」と語った。(原文へ)
翻訳=IPS Japan戸田千鶴
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