【グアテマラシティINPS=ダニーロ・バラダレス】
「駐屯地には、私たちをレイプするための部屋がありました。兵士は、時には3人、4人、5人といました。」こう法廷で証言したのは、グアテマラ内戦において国軍から性奴隷扱いを受けたローサ・ペレスさん(仮名)である。
顔を布で覆い、心理学者と通訳の助けを得て出廷したペレスさんは、国軍兵士が夫を拉致し、彼女自身は、北部イザバル県エル・エストール市のセプール・ザルコ国軍駐屯地において、性奴隷兼使用人として扱われた、と泣きながら証言した。
9月の最終週、グアテマラシティで行われた元軍人37人に対する容疑の予備的審問で、1982年から86年の間に性的虐待・奴隷労働を強いられたペレスさんを含む15名の先住民族ケクチマヤ族の女性が証言台に立った。
ペレスさんの証言によると、彼女ら女性たちは、駐屯地の指揮官ミゲル・アンヘル・カールから「駐屯地に行けば洗濯したり料理をしたりする人間が必要だ」と言われて連れてこられたという。その時は、軍駐屯地でその後長期に亘ってどんな恐ろしいことが待ち構えているか、考えてもみなかったという。
ペレスさんは、「当時は朝6時から兵士たちの食事を作り、洗濯をし、給仕したあと、様々な兵士にレイプされました。兵士たちは、『拒否すれば殺すぞ』と言ってレイプしながら銃を胸元に突き付けてきました。」と付け加えた。
「ある日、意を決して中尉に苦境を訴えたところ、『兵士らがそうする原因はあなたにあるのではないか』と言われました。」と証言したペレスさんは、日常的に強いられた性的虐待が原因で流産も経験した。
またペレスさんは、彼女自身が駐屯地に連れて行かれる前、3人の子どもの父親でもある夫が兵士たちに拉致された、と証言した。結局、ペレスさんは、数十年後に夫の遺体が発見されるまで、夫の消息がわからないまま不安な日々を過ごすこととなった。
1960年から96年にかけてのグアテマラ内戦の間、主に同国の高地に住むマヤの先住民族を中心に約20万人が殺害され、4万5000人が拉致された。国連の支援した「歴史解明委員会(Historical Clarification Commission)」の調査によると、遺体は秘密裏に指定された集団埋葬地や墓地の片隅、或いは国軍関連施設の敷地に埋められたという。
国連は、1999年に発表した同委員会報告の中で、それら犠牲者の90%以上が国軍の犯行によるものであり、人権侵害を受けた4人に1人は女性であった、と結論づけた。
山に逃げた母子を飢餓が襲った
なかでも、フアナ・モラレスさん(仮名)の証言は、最も悲惨なものであった。モラレスさん一家(夫婦と子供3人)はイザバル県とアルタ・ベラパス県の境に位置するサンマルコスという村で暮らしていたが、ある日、数人の兵士が突然家にやってきて夫を拉致し(夫の行方はいまだにわからない)、自身もレイプされたという。
「3人の兵士が入れ替わり立ち代り私の胸に銃を突きつけレイプしました。他の兵士たちはただその光景を見ていました。当時家の中には4才になる子どもがいたのですが、母親がレイプされている様子を見ながら泣き叫んでいました。」とモラレスさんは証言した。
モラレスさんは、自分と子ども3人の命を守るために近くの山に逃げ込んだ。「私たちには何も食べるものがありませんでした。トルティーリャ(トウモロコシ粉でできた主食)も何もないのです。まもなく子供たちは衰弱して病気に罹っていきました。」
「ある日娘が、『ママ。テーブルの上に卵があるよ。家に帰ろうよ。』って訴えたのを覚えています。3人の子供たちは一人、また一人と山の中で餓死していったのです。」とモラレスさんは、時々声を詰まらせながら、証言した。
モラレスさんは、結局6年間を山中で過ごした。ある日、サンマルコスの自宅に戻ると、家のあった場所には何もなくなっていた。「私は家を2軒所有していました。でも兵士たちはすべてを焼き払っていたのです。」
地元NGO「Women Transforming the World(女性が世界を変革していく)」のルシア・モランさんは、IPSの取材に対して、「グアテマラ法廷は、人類にとって歴史的に重要な先例を刻もうとしています。なぜなら世界のどこの国の法廷も、レイプや性奴隷に関する審問を開いたことがないからです。」と語った。
「性暴力は、戦争の武器として使われてきました。しかしこうした犯罪に対する正義の裁きが行われ始めたのは、ユーゴスラヴィア内戦及びルワンダ内戦を裁いた国際法廷が開かれた1990年代になってからです。」とモランさんは語った。
またモランさんは、1982年から88年の間、今回法廷で証言した女性たちが居住していた北部山岳地帯(Franja Transversal del Norte)では、国軍とゲリラ間の軍事衝突は起こっていない点を指摘した。にも関わらず国軍は、大地主や鉱業、石油産業の経済権益を保護するためとして、セプール・ザルコに駐屯地を設置した。
国軍は、1982年から83年にかけて、焦土作戦を敢行し、その結果少なくとも440の村が破壊され住民が殺害された。
「まさにこの時期に、国軍は自らの土地に対する法的な権利を主張していた農民リーダーたちのリスト作りを始めたのです。」とモランさんは語った。今回証言した女性15人に共通しているのは、夫がすべて農村活動家であったということ、そしていずれも国軍に拉致され、その後の消息が未明のままということである。
またある証言者は、彼女がいかにしてセプール・ザルコ国軍駐屯地でレイプされ使用人として酷使されたかを語った。
マルタ・ロペスさんは、「私は6ヶ月間、一日おきに朝8時から夕方5時まで駐屯地で働かなければなりませんでした。当時駐屯地では、いつも5人の兵士から性的虐待を受けました。」と語った。1982年に国軍兵士に夫を連行・殺害された彼女は、残された8人の子供たちを自宅に残したまま、駐屯地に出勤せざるを得なかった。夫は殺害された後、地中に掘られた穴に捨てられていたという。
国軍側の反論
女性たちが予備審問で証言を行う中、グアテマラ国軍の元予備役軍曹リカルド・メンデス・ルイス氏も法廷で証言に立ち、「たしかに国軍は内戦時にそのような人権侵害を行った。」「しかし同時に、ゲリラも同じことをやっており、正義は全ての人々に平等になされなければならない。」と証言した。
現在は実業家であるルイス氏は、2011年、左翼ゲリラによって自身が誘拐された事件について、当時事件に関与したとされる26人を告発する裁判を起こしている。今日、ルイス氏は、人権侵害の容疑で訴追された元軍人を支援する活動を行っている。
IPSの取材に応じたルイス氏は、証言台に立った女性達について、「検察が指定した証人や原告たちは、みんな教育レベルが低いのは明らかだ。正確な日付だって覚えちゃいない。つまり、彼女たちは、誰かに操られているかもしれないってことだ。」と語った。
ルイス氏は、検察のやり方は「偏見」に満ちており、「国軍に対する復讐を目論んでいるのは明らかだ。」と繰り返し語った。
そして、今回の予備審問の場合、「金儲け」も動機として作用している、と批判した。
「これまでにも米州人権裁判所は、グアテマラ政府に対して数百万ドルにおよぶ莫大な賠償金の支払いを命じているが、その大半は原告のポケットに入るだろう。」とルイス氏は語った。
翻訳=INPS Japan浅霧勝浩