【ビエンチャンIDN=パッタマ・ビライラート】
「足るを知る経済」という言葉が有名になったのは、1997年のアジア金融危機の最中のことであった。タイの故プミポン・アドゥンヤデート国王が国民に対して、「もうひとつの『アジアの虎』になるために工場を建設するよりも、国民にとって重要なことは『足るを知る経済』を実現することだ。」と呼びかけたのだ。
「『足るを知る経済』とは、経済がほどよく持ち、ほどよく食する様であり、このようにほどよく持ち、ほどよく食することが自己の維持となり、自身にも十分と思わせることである。」とプミポン国王は述べた。それ以来、この経済発展の理論が2万3000以上のタイの村々で採用されてきた。そして今、隣国のラオスにも広がりつつある。
首都ビエンチャンの活気に満ちた「朝市」からわずか13キロのところにあるドンカムサン農業技術大学の校内に、「足るを知る経済哲学を基盤とした持続可能な農業開発学習センター」がある。この「学習センター」は、学生が有機農産物の栽培、魚の養殖、畜産の方法を学べる場所を提供している。
「ビエンチャンはきわめて近代的で、農業部門で働く人はどんどん少なくなっています。」と、タイ国際協力庁のヴィティダ・スバクア氏はIDNの取材に対して語った。
スバクア氏の言葉は、ラオス計画投資省全国統計局が行った調査によっても裏付けられている。同調査によると、ラオスの農業人口はこの10年で激減しており、「2010年の全人口(700万人)中の77%から、2020年には69%まで減っている。都市部で働くために農業を辞めているからだ。」という。
ラオス農業の推進力を維持し、農業社会を支える農学生を育てるべく、ドンカムサン農業技術大学校のチッタコーン・シサノン校長は、「足るを知る経済哲学を基盤とした持続可能な農業開発学習センター」を新設することとした。
シサノン校長は、自身が2003年から06年にかけてタイに留学し、同国の足るを知る経済の学習センターを訪問したことで、同じような学習センターをラオスにも設置する構想を固めていった、とIDNの取材に対して語った。ラオスとタイの自然資源には類似したところがあり、ラオスにもこのような農業学習センターを作ることは可能だと考えたという。
タイ国際協力庁が2007年にラオスのシサノン校長の大学を訪問したことで、この構想は実現することになった。「当大学の教育アプローチは『足るを知る経済』と親和的なものであったため、私はタイ国際協力庁に接触して、当校の教員や学生、近隣の住民がこの経済のアプローチによって農業を学ぶ場を得られる学習センターの設置を持ちかけたのです。」とシサノン校長は語った。
タイ国際協力庁のスバクア氏は、「『足るを知る経済』哲学は、1990年代の金融危機に対処する中で生まれてきたものであり、タイ政府はこの哲学を経済活性化のために応用し、結果としてそれ以降、タイの国家経済社会開発計画に盛り込まれるようになりました。」と指摘した上で、「タイはかつて援助受け入れ国でしたが、開発援助を受ける傍ら、他国からノウハウを学びタイの文脈に応用していきました。1963年以降は徐々に援助国に転じ、自らの経験を他国に与えることができるようになってきています。」と、目を輝かせながら語った。
「この経済哲学の中核的なテーマは、『理解し、アプローチし、発展させる』です。したがって、この経済哲学のアプローチを実際の開発プロジェクトに反映させる前に、援助対象国と会合を繰り返して、彼らがどんな支援を必要としているのかを理解することを心がけています。ひとたび援助受け入れ国のニーズを理解したら、タイの関係省庁と連携して、援助プロジェクトの調整・策定を進めていくのです。」とスバクア氏は付加えた。
「足るを知る経済」には、中庸(節度)・道理(妥当性)・自己免疫力の三つの要素に加え、適切な知識と道徳という二つの条件がある。中庸とは、「多すぎず、少なすぎず」という意味で理性と共に応用されるもので、仏教的な中庸の道を基礎にした東洋的な概念である。合理性は、何らかの選択をするにあたって、学理や法的原則、道徳的価値、社会的規範によってそれが正当化される、という意味である。そして自己免疫力とは、優れたリスク管理を行うことで、内外の変化によって起きるリスクに対して、自己充足的に柔軟な対応をすることを強調するものである。
この学習センターで牛の世話をしているアヌソン・サヤボンさんは、「私はこの経済哲学が意味するところを十分理解していると思います。私の家族は、他の兄弟のように家の農地で働くのではなく、私がこの大学の農業開発学習センターで勉強することを望みました。ここでは生産管理や土壌を豊かにする方法を学べるので、入学した甲斐はあったと思います。気候変動で自然の生産力が不安定になっていることから、ここでの学習は今後ますます必要なことだと思います。」と語った。
「この学習センターは、畜産実習と植物栽培という農業の2大領域を網羅しています。私は畜産の方の責任者ですから、毎朝ここにきて牛の面倒をみています。牛が病気になっていたら、注射もします。一方クラスメート達は、大学の構内の反対側にある農地で農作物を育てています。」とサヤボンさんは語った。
シサノン校長はサヤボンさんの説明を補足して、「実際、当校の学習センターには22の学習施設があり、創設以来、それぞれの施設が、コオロギやカエルの培養施設の例にみられるように地元の農業のやり方に合わせています。時間をかけて、一部の施設では市場で売れる製品を作るようになってきています。『足るを知る経済』哲学とは単に家族のニーズを満たすための農産品を作ることだけにあるのではなく、持続可能な生活の方法を見つけることでもあります。従って、より広域の市場で自分たちが育てた農産物を売れるようにするための努力をしているのです。」と付け加えた。
「例えば、有機メロンが最も売れ筋ですが、市場の需要を満たせていません。近隣の住民は当学習センター産のメロンには化学薬品を使っていないことを知っているので、メロン自体は簡単に売れます。そこでこの有機メロンをウェブサイトでも宣伝し、潜在的な顧客層を広げる取り組みをしています。そうすることで、当校の教員は販売利益を学習センターの運用費用に充てることができます。『足るを知る経済』哲学とはそういうものだと私は理解しています。」とシサノン校長は語った。
ラオスの「ビジョン2030」と「社会経済開発戦略10年計画(2016~2025)」には、2030年に向けた農業部門のビジョンとして、「食料安全保障を確保し、比較優位で競争力のある農産品を生産し、クリーンかつ安全で持続可能な農業を発展させ、強靭で生産性の高い農業経済の近代化に段階的に移行し、地域の発展を国家全体の経済基盤へと結び付けていく」ことを目指すと記されている。
このビジョンに基づき、ラオス政府は農業、大工、金属加工、建築を学ぶ者に月20万キップ(11米ドル)を支給しているが、これらの分野で学びたい10代の若者はわずかである。
ラオス国立大学の学者であるホマラ・フェンシサナポンさんは、大学生が減っているとの懸念を口にした。「2019年以来、ラオスの学生の数は小学校から大学レベルまで38%減少しました。コロナ禍もそうですが、親が子供を養うための十分なお金を持っていないことが主な理由です。」
シサノン校長も同じ見方だ。「現在、ラオスの生活費はインフレのために高騰しています。世界銀行やアジア開発銀行もラオス政府を通じて融資をしていますが、多くの人々は融資を受けられません。そこで私は、この学習センターの運営を持続可能なものにして長期的には教員と生徒に収入をもたらすことができるよう取り組んでいます。」
「毎年、さまざまな開発組織から多くの訪問客があります。現在は、日本の国際協力機構(JICA)の支援を得て教員達にマーケティングを学ばせています。研修後は、ここの農産物をオンラインで販売したいと考えています。また、センター前に店舗を開設する資金提供を世界銀行に働きかけており、2025年にはセンターを観光客に開放したいと考えています。こうした取り組みを通じてこの施設と関係者の生活はなんとか維持されるでしょう。」とシサノン校長は語った。
ドンカムサン農業技術大学が、「足るを知る経済」哲学を実践しているラオス唯一の機関ではない。今ではアッタプー、ボケオ、カムアン、サイニャブリーの4か所にも「足るを知る経済哲学を基盤とした持続可能な農業開発学習センター」は展開している。
「ラオスは言語や文化面でタイと変わらないので、『足るを知る経済』アプローチが実りある結果をもたらすことができるのです。」とタイ国際協力庁のスバクア氏は語り、さらには、ラオスだけではなく東ティモールもこの経済哲学を応用しているという。「タイの農民が東ティモールの農民の指導者にこの経済哲学をどう農業分野に応用するかを教えています。今や彼らは自身を訓練できるようになってきています。このように国際協力を通じて開発コンセプトを具体化していくのがタイ国際開発庁の使命です。」(原文へ)
[1]『タイ人間開発報告2007:充足経済と人間開発』(バンコク、国連開発計画)
INPS Japan
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