【モプティ(マリ)IPS=マルク-アンドレ・ボワベール】
マリ中部のモプティにある福音教会の入り口では、ルーク・サガラ神父が日曜の集会を執り行う中、兵士らが戸口の両脇を固めていた。
こうしたマリ政府軍兵士の存在は、この街が僅か3週間程前まで、シャーリア法を適用しようとする反政府イスラム過激派集団によって占領されていたという事実を物語っている。
サガラ神父はIPSの取材に対して「今は安全です。フランスが介入したので、もうイスラム教徒が私たちを攻撃することはないと思っています。」と述べた。
モプティの北東60キロにあるコンナに過激派勢力が迫り、マリのディオンクンダ・トラオレ暫定大統領の要請によって、フランス軍が1月11日に軍事介入を行った。当時イスラム過激派は、首都バマコ奪取を目指して勢力を拡大しており、途中の町を次々と占領し、シャーリア法を適用し、キリスト教徒と穏健なイスラム教徒を迫害した。
2012年4月以来、マリ北部では、「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQUIM)」、「西アフリカ統一聖戦運動(MUJWA)」、さらに、マリ南東部一帯に住むトゥアレグ人から成るイスラム教集団「アルサン・ディーン」の連合による反政府武力闘争が激しくなってきていた。
伝えられるところでは、これらの反政府勢力は、各地の(イスラム教以外の)宗教施設や教会を破壊し、占領地に極端に厳格なシャーリア法を適用して、公開鞭打ち刑、処刑、手足切断などを行った。
国際人権擁護団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)」は、これらの集団が略奪や、少年兵の徴発、女性や若い少女への性的暴行を行っているとして、非難している。HRWのアフリカ上級調査員のコリン・ドゥフカ氏は、2012年4月に取材した際、「この数週間、マリ北部を支配している武装勢力は、誘拐や病院の略奪を行って住民を恐怖に陥れています。」と語っていた。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、この間の混乱によってマリでは国内避難民が25万人に達しているという。モプティは、北部各地から武装勢力の支配を逃れた難民が目指す主要な避難先の一つとなっていた。
マリの人口(1580万人)の5%を占めるキリスト教徒については、ある者はモプティを逃れ、ある者はイスラム過激派の勢力の支配を恐れながらも街に留まった。
モプティのイスラム教導師であるアブドライェ=マイガ師は、IPSの取材に対して、「どの宗教に属していても、過激派から危害を加えられる危険性がありました。私たちは皆、あのテロリストらの被害者なのです。私たちは皆、マリの国民であり、みんな一緒に逃げてきたのです。」と語った。
マイガ師の家族は、反政府勢力の支配下にあった北部最大の街ガオから逃れてきていた。「私の家族は、ガオからモプティに避難してきた際、キリスト教徒の家族を伴っていました。そこで私たちは、このキリスト教徒の家族が過激派の監視を逃れて移動ができるよう、伝統的な(イスラム教徒の)衣装を貸してあげました。」とマイガ師は語った。
すでに解放されたマリ中部の街ディアバリーでは、ダニエル・コナテ神父が、過激派勢力が街から駆逐されてから初めてとなる、礼拝の準備を進めていた。教会の壁に書かれた「アラーこそ唯一の神」という落書きや、床に散乱した銃弾が、つい最近までイスラム過激派勢力がこの地を占領していた事実を生々しく物語っていた。
「過激派らはこの教会を軍事拠点として使用しました。」とコナテ神父は語った。モプティが占領されている間、コナテ神父は家族とともに街から20キロ離れた村に身を隠し、マリ政府軍とフランス軍が過激派勢力を街から駆逐した1月21日以後に、再び戻ってきた。
しかしコナテ神父は、その建物は外観からは礼拝所であることが分らない造りなのに、なぜ過激派が教会だと気づいて襲ってきたか、訝しがっている。
教会に30人の信徒が集まり、「人を裏切るのは神ではなく、神を裏切るのが人」という讃美歌の声とともに礼拝の儀式が始まる中、コナテ神父は「私たちは、この地域の人々の中に、ここが教会だということを過激派勢力に教えた人がいるかもしれないと考えています。」と語った。
地元の人々は、イスラム過激派勢力の中に、かつてディアバリーに駐在した2人の元マリ政府軍の高官を見つけて以来、過激派勢力は一部地元住民の支援を得ていたに違いないと考えている。その結果、かつて平和的に共存してきたモプティの住民は、近隣者同士が互いに疑心暗鬼となっている。
ディアバリーの街が占領されている間、キリスト教徒でカソリック教師のパスカル・トゥレ氏は、街の郊外にある4ベッドルームの自宅に、イスラム過激派勢力に見つかって迫害されることを恐れる27人のキリスト教徒を匿った。
「街では全ての住民がお互いに顔なじみだから、(イスラム過激派勢力に)キリスト教徒の居場所を通報したのが地元住民なのは明白なことのように思えます。」とトゥレ氏はIPSの取材に対して語った。
しかし、トゥレ氏は、裏切り者に対する復讐は解決策にならないと確信している。
自宅に匿っていた人々は、ディアバリーの各々の自宅に帰って行った。「でも、キリスト教徒にとって、街での生活はかつてと同じようにはいかないでしょう。」とトゥレ氏は語った。
一方、紛争前の平和な時代の記憶を頼りに、またかつてのように地域住民が共存して生きていける時代がやってくるとの希望的観測を信じている人々もいる。イスラム教徒の元教師バカリー・トラオレ氏もその一人である。
「イスラム過激派がこの街を占領した際、たしかに標的にされたのはキリスト教徒でしたが、ディアバリーの住民全体が被害者なのです。幸い、過激派らは(間もなく政府軍とフランス軍に駆逐されたため)シャーリア法を適用する時間がありませんでした。もし適用していたら、街の皆が苦しむことになっていたでしょう。しかし彼らは成功しなかった。だから今、私たちは、以前と同じように、同じマリ人として、共存して生きていくことができるのです。」とトラオレ氏は語った。(原文へ)
翻訳=IPS Japan
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