SDGsGoal16(平和と公正を全ての人に)|インタビュー|核兵器の物語は終わっていない(カイ・バード『オッペンハイマー:「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』の著者)

|インタビュー|核兵器の物語は終わっていない(カイ・バード『オッペンハイマー:「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』の著者)

オッペンハイマーの共同伝記作家カイ・バード氏、ネパール文学祭を前にネパーリ・タイムズ紙に語る

【カトマンズNepali Times】

The Nepali Times
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カイ・バード氏の父は米国の外交官で、幼少期をさまざまな赴任地で過ごした。 インドの寄宿学校を卒業後、ジャーナリズムを専攻し、昨年公開された映画『オッペンハイマー』原案となった『オッペンハイマー:「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』をはじめ、『グッドスパイ:ロバートエイムズの生と死』(2014年)、『はぐれ者/ジミー・カーターの未完の大統領職』(2021年)等を執筆したノンフィクション作家である。

バード氏は何度もネパールを訪れ、2007年から11年までネパールに滞在した。彼は2月17日にポカラで開催されるネパール文学フェスティバルで講演する予定で、今週カトマンズに到着後、ネパーリ・タイムズの取材に応じた:

ネパーリ・タイムズ: あなたはコダイカナルの学校で学び、インド亜大陸でジャーナリストとしてのキャリアを始め、ネパールで数年を過ごしました。その後もこの地域に何度も足を運ばれていますが、その理由を教えてください。

カイ・バード氏:南アジア、特にネパールに親近感を抱いているのは、コダイカナルで学び、列車の3等車両でインド中を旅し、妻のスーザン・ゴールドマークとフリーランスのジャーナリストとして自分のキャリアをスタートした若き日の経験があるからです。私はこの地域の複雑さ、混沌、不確実性、絶え間ない驚きが大好きです。また、この地域の食べ物、色、匂い、そして古代と現代が混在している雰囲気にも大いに惹かれます。

ネパーリ・タイムズ:あなたは、バンディ兄弟、ロバート・エイムズ、ジミー・カーター、オッペンハイマーについての本を執筆しています。伝記に惹かれる理由と、他のノンフィクションのリサーチや執筆との違いは何ですか?

バード氏:30歳のジャーナリストだった私は、本を書いてみたいと思い立ち、偶然伝記の世界に足を踏み入れました。題材はウォール街の敏腕弁護士ジョン・J・マクロイ氏で、当初は2年かかると思っていましたが、最終的には10年かかって800ページの伝記を書き上げました。私は公文書館をはじめ取材で様々な資料を調べる工程が宝探しのようで夢中になりました。ノンフィクションは、週刊誌のジャーナリズムよりもずっと困難な作業ですが、それ以上にやりがいを感じたのです。伝記は、複雑な歴史を伝えるのに最適な手段だと思います。ストーリーテリングであり、ほとんど小説のようです。しかし、小説であるならば、それは何百、何千もの脚注を伴う小説と言えるでしょう。また、別の人物の人生についての物語であるため、作品は極めて個人的で身近なものになります。そしてその過程で、歴史の教科書よりもずっと深く歴史を学ぶことができるのです。

ネパーリ・タイムズ:あなたの伝記には共同執筆のものもありますが、それはどのようなものですか?どのように役割を分担しているのですか?

バード氏:たしかに共著は難しい作業です。最初の伝記作品もそうでしたが、8年後に共著者と決別しました。伝記作家には、他の作家と同じように大きなエゴがあるものです。だから実は、マーティ・シャーウィン氏が、すでに20年を費やしていたオッペンハイマーの伝記プロジェクトに参加しないかと誘ってきたとき、私は躊躇しました。私は当初、伝記をめぐって友情を危険にさらすことはできないとマーティに言いました。すると彼は笑って、結局は私は説得されました。このパートナーシップは非常に成功し、とても楽しかった。マーティは当初主に資料の調査に専念していました。その後、私がオッペンハイマーの子供時代の草稿を書き始めると、それに刺激されたのか、彼もついに書き始めました。私たちは何度も行き来し、お互いの原稿を交換し互いに書き直しました。協力はかなり円滑なものになりました。

ネパーリ・タイムズ:『オッペンハイマー:「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』でオッペンハイマーについての共同執筆を選んだ主な理由は何ですか?

バード氏:オッペンハイマーの伝記は、原子時代を理解する上で非常に重要な物語であり、私たちは常にこの時代と向き合っていかなければなりません……オッペンハイマーは人類に原子の火を与え、世界を永遠に変えてしまいました。何十年も核兵器とともに生きてきた人類が、あまりにも現状に甘んじてしまっていることを、私は危惧しています。核兵器の脅威の陰で私たちが生活している現状は未だ進行形であり、最悪の結末(=核爆発による人類滅亡)を迎える可能性もあるのです。しかし、オッペンハイマーの生涯は、科学者でありながら公共の知識人としての役割を果たしたこともあり、今日の私たちに様々な示唆を与えています。今日の世界は、科学技術に溢れています。人工知能(AI)の出現によって、人類は再び新たな 「オッペンハイマーの瞬間(=新たな技術による人類滅亡の危機)」に直面しています。そして私たちは、この新たな技術に適応するためにどのような選択肢があるのかを説明できる、思慮深く明晰な科学者を必要としているのです。

ネパーリ・タイムズ:今日、世界の民主主義国で、オッペンハイマーが受けたようなマッカーシズム(魔女狩り)が再現されていると感じますか?

バード氏:はい、もちろんです。オッペンハイマーの伝記には、(今日でいえば)ドナルド・トランプのような分裂政治の台頭が描かれています。オッペンハイマーは、第二次世界大戦後、全米を席巻したジョセフ・マッカーシー上院議員による共産主義者(赤)狩りの犠牲となった代表的な著名人の一人となった。そして今日、世界中で、テクノロジーとグローバル化によって、圧迫されている少数民族や、宗教的マイノリティ、移民・労働者らに対する同様の排外主義が起きているようだ。それは不安に煽られた被害妄想の政治であり、反知性主義の糧となっています。多くの人々にとって、世界はあまりにも速く変化しているのかもしれません。そして、変化のペースが人々を狭量にさせています。科学的専門知識を尊重する代わりに、一部の人々は科学者や知識人を悪魔化しようとします。これは集団としての人類の概念を損ないます。私たちは、グローバリゼーションとテクノロジーが、何億人もの人々を中流階級に押し上げたことを認識すべきです。

The atomic bomb dome at the Hiroshima Peace Memorial Park in Japan was designated a UNESCO World Heritage Site in 1996. Credit: Freedom II Andres_Imahinasyon/CC-BY-2.0
The atomic bomb dome at the Hiroshima Peace Memorial Park in Japan was designated a UNESCO World Heritage Site in 1996. Credit: Freedom II Andres_Imahinasyon/CC-BY-2.0

核兵器の恐ろしさを認識しつつ核軍拡競争とのバランスをどうとるかという、オッペンハイマーが苦悩したジレンマは、今日こそ、かつてないほど重要な意味をもっているように思われるのです。

広島への原爆投下から僅か3ヵ月後、オッペンハイマーはこれらの新兵器は「邪悪」であり、「侵略者のための兵器であり、恐怖の兵器」であると警告しました。彼はまた、どんなに貧しい国でも、どこの国でも原子兵器を開発できるだろうと予言しました。こうして現在、米国、英国、フランスだけでなく、中国、北朝鮮、インド、パキスタン、イスラエル、そしておそらく近い未来イランが核武装することになるでしょう。嘆かわしいことに、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、ウクライナで戦術核兵器を使用すると脅しています。私たちは非常に危険な世界に生きているのです。

ネパーリ・タイムズ:映画『オッペンハイマー』の公開が世界各地で紛争が勃発している時期と重なったことで、映画公開後、あなたの本のテーマに対する関心が再び高まっているのでしょうか?

Oppenheimer poster/The Nepali Times
Oppenheimer poster/The Nepali Times

バード氏:クリストファー・ノーラン監督が映画『オッペンハイマー』の撮影を2022年2月に開始したのは、偶然にも、ロシアがウクライナに侵攻したのと同じ月でした。しかし、このストーリーは世界中の人々の共感を呼び、特に核兵器の危険性についてあまり考えたことのない若い世代の共感を呼んだと思います。

ネパーリ・タイムズ:映画『オッペンハイマー』は、そのデリケートなテーマゆえに、今年ようやく日本でも公開されることになりました。しかし、2008年に出版された原作の本自体は、日本でどのように受け止められましたか?

バード氏:『オッペンハイマー:「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇(American Prometheus: The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheimer)』(2005年米国で刊行)の日本語版全2巻がありましたが、映画『オッペンハイマー』が全世界で公開されるまで、売れ行きは今ひとつでした。おっしゃるとおり、映画は今月初めて日本で公開されます。

ネパーリ・タイムズ:あなたはかつて紛争時代にネパールで暮らし、この度、ポカラで開催される文学祭で講演するために戻ってこられました。ネパールの印象はいかがですか?

バード氏:私が初めてネパールを訪れたのは1969年、観光で1週間の短い滞在でした。まだ18歳にもなっておらず、大学に通うために米国に戻る途中でした。その後、1973年に数カ月、76年と80年に再びネパールを訪れました。そして、妻が世界銀行のカントリー・ディレクターとしてネパールに赴任していた2007年から11年まで、私はここに戻って住みました。また、2015年には地震の直前に数週間カトマンズを訪れました。そして今、また1週間ほど戻ってきました。この数十年でネパールは大きく変わりました。ネパールはまだ混沌とした場所ですが、美しい国であり、この9年間で起こった変化に私は驚いています。(原文へ

INPS Japan/Nepali Times

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