【カトマンズNepali Times=スディクシャ・トゥラダー】
奴隷制の歴史は、人類文明の歴史とほぼ同じ長さを持つと言ってよい。ある説明によれば、土地は豊富だが労働力が不足していた時代に、強制労働が必要とされ、地主が生産拡大のために奴隷を利用したことが背景にある。
インド亜大陸およびネパールでは、奴隷制は強力な土地所有階級の支配と深く結びついていた。前近代ネパールでは、いわゆる「下位」カーストの人びとは土地を所有できず、世代を超えて続く債務労働によって借金を返済していた。また、犯罪行為の処罰として奴隷身分に落とされる場合もあった。
こうした暗い過去を掘り起こすのが、『Slavery and Unfree Labour in Nepal: Documents from the 18th to Early 20th Century(ネパールにおける奴隷制と不自由労働 ― 18世紀から20世紀初頭の文書)』という新刊書である。この本は、前近代ネパールの文書や写本を読み解き、政治と階層化されたカースト制度がどのように奴隷制を形づくってきたかを描き出す。

編集を務めたのはハイデルベルク科学・人文アカデミーの研究者マニク・バジャラチャリャ氏。書中には、ある年季奉公人が2年逃亡した末に再び捕らえられ、元本に罰金を上乗せしたうえで再度拘束されるという例も紹介されている。社会的に不利な立場に置かれたカーストの人びとは、地主による一方的な条件に従わざるを得なかった。
西部タライ地域では、カマイヤやカマラリと呼ばれる女性たちが、年季奉公型の奴隷労働制度の下に置かれていた。興味深いことに、奉公期間中にカマイヤの女性が地主である主人の子を出産した場合、その子は正当な相続人として扱われ、女性自身も奴隷身分から解放された。
しかし当時の法は、男性が奴隷女性と性的関係を持つことを容認する一方で、奴隷女性の夫がその男性を殺害することも許していた。こうした規定は、下位カーストの人びとを支配し、社会秩序を固定化するためのものである。家父長制の下での依存関係、カースト序列、ジェンダー差別は、奴隷制によって一層深刻化した。
確かにこのような家父長制的思考は、今日のインドやネパール社会にも根強く存在する。しかし奴隷制は、その差別を極端な形に押し広げ、単なる労働搾取をはるかに超える残虐性を伴っていた。この本には、罰金の内容や、どのような経緯で人が奴隷とされたのかといった、多くの事例が記録されている。
そしてカースト制度は奴隷制と密接に絡み合っていた。書中には、「聖紐着用カースト」「奴隷化されない酒飲みカースト」「奴隷化されうる酒飲みカースト」「水は受け取れないが接触は許容されるカースト」「不可触民」といった呼称が頻繁に登場し、当時のレッテル貼りと階層構造を如実に示している。
法と現実の隔たり
チャンドラ・シュムシェル・ラナ首相は1924年に奴隷制廃止の勅令を出したが、正式な施行は2年後である。彼はヒンドゥー教の教義は奴隷制を戒めていると述べ、奴隷所有者にすべての奴隷を解放するよう命じた。この動きは国際社会からも、そして奴隷たち自身からも歓迎された。一方で、彼が奴隷の女性と結婚したという噂が、彼を廃止へと動かしたとの話もある。いずれにせよ、形式上はネパールから奴隷制がなくなった。
彼がネパール初の英国公使ヒュー・J・ウィルキンソンに宛てた書簡には、奴隷解放基金を創設し、奴隷所有者に補償する資金調達を依頼する内容が記されている。その後の往復書簡では、両者が信託管理人の選定や基金の進捗について協議し、領収書までやり取りしている。

しかし、深く根付いた文化的慣行を法で変えるには時間がかかる。奴隷制も同様で、カマイヤやカマラリをはじめとする年季奉公の慣行は、その後も長く残り続けた。1990年憲法はすべての形の奴隷制を禁止したが、それでも制度は形を変えて続いた。
カマイヤ制度は2000年、カマラリ制度は2013年に廃止された。しかし、禁止措置や「ムクタ・カマイヤ(自由となったカマイヤ)」キャンペーンにもかかわらず、実態は根強く存続した。形式的に“解放”された後でさえ、元奴隷たちが社会に再統合されることは容易ではなかった。
この本には、極めて残酷で非人間的な事例も多く含まれるため、決して軽い内容とは言えない。しかしだからこそ、この書はネパールの長く波乱に満ちた歴史、とりわけ権利を奪われ排除されてきた人びとの歴史を記録する重要な文献となっている。(原文へ)
INPS Japan
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