【ロンドンLondon Post=ラザ・サイード】
国際安全保障と中央アジア地政学を取材する立場から、また、ソ連時代にセミパラチンスク核実験場の被害を受け、1990年代に世界第4位規模の核兵器を自発的に放棄したカザフスタンの経験に照らせば、カシム=ジョマルト・トカエフ大統領が繰り返し発してきた「核の危険が高まっている」との警告は、十分に正当化される。カザフスタンは450回を超える核爆発を経験し、長期にわたる環境破壊や健康被害、社会的トラウマを抱えてきた。この歴史は、核不拡散を訴えるうえで同国に道義的な重みを与えている。


トカエフは一貫して核リスクの高まりに警鐘を鳴らしてきた。とりわけ2025年9月の国連総会演説では、軍備管理条約体制の崩壊に強い懸念を示し、破局を回避するため核保有国間の高官級対話を呼びかけた。さらに同年12月、東京の国連大学での講演では、世界の安全保障を核抑止に依存させることはできないと改めて強調し、日本と共有する核の惨禍を踏まえつつ、核の脅威を低減するための多国間行動を訴えた。
カザフスタンの立場から見れば、これらの懸念は扇情的な警鐘ではない。ロシアと中国という核大国に隣接し、経済的相互依存を抱えつつ、核不拡散条約(NPT)や中央アジア非核兵器地帯条約(セミパラチンスク条約)にコミットしてきた国としての現実に根差すものである。
世界の核情勢も、トカエフの警告を裏づけている。2025年には、誤算や意図的使用の危険を高める具体的なエスカレーションが顕在化した。ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の『年鑑2025』によれば、核兵器保有9カ国の核弾頭総数は約12,241発にのぼり、そのうち9,614発が軍用備蓄に含まれる。さらに、軍備管理体制が弱体化するなか、各国は一斉に核戦力の近代化を進めている。これは、冷戦後の削減局面から、新たな軍拡競争へと転じつつあることを示している。

また、「原子力科学者会報(Bulletin of the Atomic Scientists)」は2026年1月、終末時計を「午前零時まで85秒」に進め、史上最短とした。理由として核リスクの高まりを挙げ、ウクライナなどの紛争における核使用を示唆する発言の増加にも警鐘を鳴らしている。
東西の架け橋を自任するカザフスタンにとって、この趨勢は地域の安定そのものを脅かしかねない。セミパラチンスク核実験で放射線が土地と人々を世代を超えて汚染した記憶は、いまも国家の安全保障観に強い影響を及ぼしている。トカエフが提唱する「生物学的安全保障・安全に関する国際機関(International Agency for Biological Safety and Security)」構想も、威嚇ではなく信頼醸成を優先する、こうした国際的潮流への実務的対応として理解できる。

正当化の最大の根拠は、軍備管理の枠組みが崩れつつある点にある。米露の戦略核を法的に制限する最後の拘束的枠組みである新戦略兵器削減条約(New START)は、2026年2月5日に期限を迎える見通しだ。ロシアは2023年に条約履行への参加を停止し、査察やデータ交換は中断された。米国も同様に運用上の対応を取り、検証の仕組みは機能不全に陥っている。プーチン大統領が2025年9月に、上限を自主的に1年間延長する案を提起したとも報じられたが、現時点で合意枠組みは確立していない。
2019年の中距離核戦力(INF)全廃条約の失効や、オープンスカイ条約をめぐる一連の後退に続くこの流れは、不透明性を高め、危機管理を難しくする。透明性が失われれば相互不信が強まり、近代化競争を加速させかねない。SIPRIが指摘するように、核保有国は例外なく戦力を更新しており、とりわけロシアと米国が世界の核弾頭の約9割を占める。
カザフスタンから見れば、この枠組みの弱体化は、近隣に冷戦期のような不安定さを呼び戻しかねない。核放棄を選択した背景には、安全保障上の保証と多国間規範への信頼があった。しかし、その前提が揺らぎつつある。トカエフが2025年のアスタナ国際フォーラムなどで訴えた対話再開の呼びかけは、こうした空白を埋めようとする試みである。超大国間の緊張が続くなか、透明性の低下は誤算の余地を広げ、事故やエスカレーションを通じた核使用リスクを押し上げる。多国間規範に依拠してきた旧ソ連圏国家として、こうした後退はとりわけ切実であり、代理戦争や核を伴う威嚇の余波が中央アジアに及ぶ可能性も高まる。
ウクライナ戦争におけるロシアの核を伴う威嚇は、こうした懸念の現実味を示す具体例である。戦争は2026年に入って4年目を迎え、ロシアは西側の支援を抑止する狙いで戦術核に言及するなど、核をちらつかせる発信を繰り返してきた。さらに2023年には、核不拡散条約(NPT)上の非核兵器国であるベラルーシに非戦略核戦力を配備し、核態勢の外縁を広げた。2025年には言辞が一段と強まり、10月に核動力巡航ミサイルを試験したとの報道や、ノヴァヤゼムリャでの核実験再開をめぐる議論が伝えられた。加えて、核保有国に支援された通常戦力の脅威を想定し、核使用の敷居を下げる方向でドクトリンを見直したとの指摘もある。NATO領域へのドローン侵入が欧州の警戒を高めるなか、米側の評価では、ロシアは「存在的脅威」と認識した場合に「受け入れがたい損害(unacceptable damage)」を与え得る能力を誇示しようとしているという。
こうした動きは、核の威嚇を日常化し、使用タブーを侵食する。核の規範を研究してきたニーナ・タンネンウォルドは、この戦争が規範的制約を「深刻に損なった」と論じている。ロシアと約7,600キロの国境を接し、集団安全保障条約機構(CSTO)を通じて結びつくカザフスタンにとって、これは実存的問題である。エスカレーションは、セミパラチンスクを想起させる放射線影響の危険を生み、エネルギー連携や中立外交にも打撃を与えうる。トカエフが第8回世界伝統宗教指導者会議などで繰り返してきた警告は、「核戦争の確率が数十年で最も高い水準にある」とする専門家の見立てとも重なり、緊張緩和を促すカザフスタンの働きかけを正当化する。

第二の重要な根拠は、中国の核戦力が急速に拡大している点にある。2024年半ばまでに中国の核弾頭数は600発を超え、2019年の約300発前後から倍増したとされる。さらに2030年までに1,000発を超え、2035年に向けても増勢が続くとの見立ても示されている。中国は運搬手段の「三本柱(トライアド)」を整備しつつ、複数のサイロ建設や新拠点の整備も進めていると報告されている。
米国防総省などは、こうした増強が大国間競争のもとで中国の能力を多様化させ、米露との間で軍拡の連鎖を生みかねないと指摘する。能力の拡充は対抗措置を誘発し、偶発的なエスカレーションのリスクを高める。アジア太平洋の緊張が高止まりするなかで、危機管理の難度は増している。

中国と約1,700キロの国境を接するカザフスタンにとって、これは直接のリスクである。米中、あるいは中露の緊張が地域に波及すれば、多角外交(マルチ・ベクトル外交)やウラン輸出にも影響が及び得る。トカエフが東京での講演で強調した「完全軍縮」や、包括的核実験禁止条約(CTBT)の発効促進は、核実験再開の動きを抑える観点からも、この流れに歯止めをかける提案と位置づけられる。加えて、中国を含む大国によるミサイル技術の拡散をめぐる懸念(イランや北朝鮮との関係を含む)がくすぶることも、地域の不安定化要因として、核の過去を持つカザフスタンの「ゼロ容認」姿勢を補強している。
カザフスタンが軍縮の提唱国であると同時に、原子力の平和利用を進める国でもある点は、トカエフの主張の信頼性を高めている。国際原子力機関(IAEA)の低濃縮ウラン(LEU)バンクを受け入れ、非核兵器地帯の拡大を促してきた同国は、抑止ではなく協力を通じた安全保障のあり方を示してきた。他方、国内では原発建設計画が議論されており、厳格な保障措置の確保が不可欠となる。世界的に軍事化の潮流が強まるなかで、現実の安全保障と国際規範の両立を図ろうとする姿勢も浮かび上がる。こうした「被害国から先導国へ」という位置づけは、かつて自国が経験した核リスクの再来を警告する根拠ともなっている。
結論として、トカエフの懸念は正当であるだけでなく、緊急性が高い。条約体系の弱体化、ウクライナ戦争におけるロシアの核を伴う威嚇、中国の核戦力の急拡大は、核リスクが増大していることを示す具体的要因である。世界が分断へ傾くなかで、中堅国カザフスタンは理性に基づく対応を訴える。対話の再建、NPT体制の補強、そして軍備ではなく平和への投資―それが同国の呼びかけだ。これを単なる外交辞令として退ければ、2025年に顕在化した緊張の連鎖と、終末時計が示す危機感を過小評価することになる。求められているのは、警告を受け止め、実際の行動につなげることだ。対応が遅れれば、トカエフが指摘する危機は不可逆的な局面に入りかねない。(原文へ)
This article is produced to you by London Post in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.

INPS Japan
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