【東京INPS Japan=浅霧勝浩】

日本の死刑制度を「いのちの尊厳」の視点から考えるシンポジウム「死刑制度を考える―いのちの尊厳を見すえて―」が9月5日、東京・四ツ谷の聖イグナチオ教会ヨセフホールで開かれた。|英語版|アラビア語|中国語|
主催は「死刑制度を考える宗教者・宗教研究者の会」、共催は死生学・共生社会研究所。イエズス会社会司牧センター、現代における宗教の役割研究会(コルモス)、公益財団法人全日本仏教会、国際宗教研究所、上智大学グリーフケア研究所、世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会、創価学会平和委員会、臨床仏教研究所の8団体が後援した。
シンポジウムには、刑法学者、ノンフィクション作家、犯罪被害者遺族、元刑務官、若い世代、宗教者らが参加し、それぞれの経験や立場から死刑制度を問い直した。
宗教学者の島薗進氏は、死刑を廃止するかどうかを決めるためではなく、互いの声を聞き、学び合うための場であると強調した。
そこで問われたのは、刑罰のあり方だけではない。被害者をどう支え、冤罪や暴力をどう防ぎ、人の生死を左右する判断について、制度を担う機関にどう説明責任を果たさせるかという問題だった。
国際情勢には相反する動きがある。アムネスティ・インターナショナルによると、2025年末までに145カ国が法律上または事実上、死刑を廃止した。一方、同年に確認された執行数は少なくとも2,707件に増加した。この数字には、実数を確認できない中国、北朝鮮、ベトナムの執行は含まれていない。
日本の法務省は、国民世論や凶悪犯罪の存在を理由に死刑の存続を支持してきた。しかし、国民の支持があることと、人権保障の観点から制度を正当化できることは、別の問いである。
取り返しのつかない刑罰に必要な保障

刑法学者の井田良氏は、日本が死刑制度の法的・憲法的な根拠を十分に検討してきたのかと問いかけた。特に問題視したのは、死刑判決の下で数十年を過ごす場合もある一方で、執行は当日になって告知されるという状況だった。
井田氏は、無実の人を有罪とする誤判と、刑の重さを決める際の誤りを区別した。犯罪が認定された場合でも、被告人に有利な事情が見落とされ、無期刑ではなく死刑が選択されることがある。
絞首刑についても、憲法上の残虐な刑と考えるべきだとの、自身の法的見解を示した。
「即時の死刑廃止だけが選択肢なのではありません。」
誤判防止策の強化、執行方法の見直し、一時的な執行停止など、取り組める改善はあるという。遺族の悲しみや怒りを認めつつ、その処罰要求だけで死刑を正当化することはできないと論じた。
抑止力についても慎重さが必要だ。米国の全米研究評議会(NRC)は2012年、検討した研究からは、死刑が殺人を増やすのか、減らすのか、影響しないのかを判断できないと結論づけた。これは、効果がないことを証明したという意味ではない。
一方、井田氏は市民の不安を真剣に受け止めるよう求めた。改革は単に刑罰を置き換えるのではなく、組織犯罪や再犯への対応も含めて考えなければならない。
死刑執行が人々に残すもの

ノンフィクション作家の堀川惠子氏は、20年近くに及ぶ取材経験を語った。取材から見えてきたのは、遺族の思いは一様ではないということだった。死刑判決を歓迎する人もいれば、加害者に生きて罪と向き合ってほしいと願う人もいた。
堀川氏は、死刑か無期刑かを判断する際の考慮要素を示した永山基準について、その基となる最高裁判決の作成に関わった元調査官への取材も振り返った。元調査官は、それらの要素を機械的に死刑を導く基準として扱うことに異を唱えたという。
堀川氏の著書『教誨師』は、死刑囚と向き合った仏教僧の歩みを描いている。堀川氏は、その僧侶の言葉を紹介した。
「死刑が執行されても幸せになった人間は誰一人いません。」
これは僧侶自身の実感であり、すべての遺族の経験を一括りにする判断ではない。それでも、刑の執行が終わることと、犯罪をめぐる苦しみが終わることは、必ずしも同じではないという重要な区別を示している。
堀川氏は執行を停止し、被害者支援、刑務官の心理的負担、費用、そして絞首刑そのものを、情報を公開して検討するよう求めた。
兄を失った遺族が投げかけた問い

2021年の大阪・北新地の心療内科放火事件で、院長だった兄を失った伸子さんが登壇した。その後、更生とは何かを理解し、新たな悲劇を防ぐために、受刑者や出所者との対話を始めた。
「再犯を防ぎ、悲しい思いをする人を増やしたくない。」
伸子さんは、賛否いずれかの立場に括られることを避けた。死刑を望む遺族もいれば、加害者に生きて罪を背負ってほしいと願う人も、事件について考えることに耐えられない人もいる。
「どれもその人の抱いている悲しみの形だと思っています。」
犯罪を犯した人にも人権はあると、伸子さんは認める。「加害者の人権を認めること自体は、被害者の人権を否定することにはなりません。」
しかし、命を奪われた人の権利や、残された家族の必要に、誰が応えるのか。支援は、遺族が死刑に賛成するかどうかによって左右されるべきではない。
国連が1985年に採択した犯罪被害者等のための司法の基本原則に関する宣言も、司法へのアクセス、公正な取扱い、原状回復や賠償、補償、援助を含んでいる。処罰だけが、被害に対する応答のすべてではない。
伸子さんはさらに問いかけた。
「死刑になる人を作らない社会とは、どんな社会なんでしょう。」
受刑者との対話からは、虐待や孤立の経験が浮かび上がった。背景を理解することは、犯罪を正当化することではない。しかし、暴力が起きた後の処罰だけでは、もっと早く支援があれば防げたのではないかという検討の代わりにはならない。
伸子さんは、保護者が経験を語り合う場づくりも始めている。それは本人が選んだ活動であり、他の遺族に求めるべき義務ではない。犯罪予防には、個人の善意だけでなく、制度による支えも必要だ。
「私は死刑に賛成でも反対でもなく」と伸子さんは述べ、命と罪と苦しみについて考え続けたいという決意を語った。
司法には誤りを正す力が必要

元刑務官の坂本敏夫氏は、外部との接触制限により、死刑確定者の変化が社会に見えにくくなっていると指摘した。
また、長年交流してきた袴田巖氏についても語った。袴田氏は死刑判決の下で数十年を過ごし、2024年の再審で無罪となった。この事件は、取調べ、証拠開示、そして遅滞なく救済を得られるかという問題を提起している。
司法への信頼は、判断を下す権限だけではなく、取り返しのつかない被害が生じる前に、誤りを認め、正せるかどうかにもかかっている。
坂本氏は無期刑の長期化にも疑問を投げかけた。日本の無期刑には法律上、仮釈放の可能性がある。問われるのは、社会の安全、被害者の思い、更生を示す事情が、実際にどのように評価されるかである。
沖縄出身の大学院生、崎浜空音氏にとって、死刑は被害者のための正義だという考えを初めて揺さぶったのは、フランス留学だった。その後の国際的な交流を通じて、冤罪による死刑判決の影響を受けた人々の声に直接触れた。
崎浜氏は沖縄の「命どぅ宝」―命こそ宝―という言葉を挙げ、死刑と戦争に反対する思いのつながりを語った。そして、結論が出ていなくても、若者が難しい問題について話し合える場をつくることの重要性を強調した。

対話から制度の説明責任へ
堀川氏は、従来とは異なる声が入り、固定化した立場を超えようとした今回のシンポジウムを評価した。島薗氏も、対話の継続を願った。

持続可能な開発目標のSDG16は、死刑廃止を明文で求めてはいない。一方、暴力の削減、子どもの保護、司法への平等なアクセス、説明責任ある制度、包摂的な意思決定を掲げている。
そこから、具体的に制度を検証する視点が得られる。被害者に継続的な支援は届いているか。疑いのある有罪判決を十分に検証できるか。刑務官の負担は把握されているか。犯罪予防は被害を減らしているか。市民は制度を判断するために必要な情報を得られるか。
死刑の存廃について意見が違っても、これらの問いを検証することはできる。
人は変わることができるのか。罪を償うとはどういうことか。社会は被害者をどう支え、暴力をどう防ぐのか。そして、人の生死を左右する権限を、国家にどこまで認めるのか。
その問いに向き合う新たな対話が、東京の一つの教会から始まった。
This article is brought to you by INPS Japan in collaboration with Soka Gakkai International in consultative status with UN ECOSOC.

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