SDGsGoal16(平和と公正を全ての人に)「私は生きぬく」ーカザフスタンの核実験被害者に関するドキュメンタリーを先行公開

「私は生きぬく」ーカザフスタンの核実験被害者に関するドキュメンタリーを先行公開

【国連IPS=ナリーン・ホサイン】

ニューヨークでは11月27日から12月1日にかけて、核兵器とその廃絶の試みが注目を浴びることになる。核兵器禁止(核禁)条約は、2017年の採択と21年の発効以来、90カ国以上が署名し、そのうち69カ国が批准あるいは加入を済ませている。

UN Secretariate Building. Photo: Katsuhiro Asagiri
UN Secretariate Building. Photo: Katsuhiro Asagiri

今年は同条約の第2回締約国会議が開かれる年であり、締約国やNGOが集まって、核禁条約と、軍縮問題から生起する幅広い問題の再検討を行う。今週国連で予定されているサイドイベントでは、核実験が民間人に与える人道的影響について検討し、これらの問題をより深く掘り下げる。

究極的には、核兵器がもたらす真の被害は、核実験やその後の放射性物質の放出によって取り戻しのきかない影響を受ける生命だ。カザフスタンは1991年に独立して以来、国際社会において核軍縮の取り組みを先導している。それは、ソ連時代の1949年から89年の40年に亘って同国東部で行われた核実験によって被害を受けた人々がたくさんいるからだ。

国連本部で行われたドキュメンタリー映画の先行上映は、核実験がもたらす人的被害を人々に鮮明に意識させるものとなった。「私は生きぬく:語られざるセミパラチンスク」は、カザフスタンと中央アジアの核軍縮に焦点を当てた、カザフを拠点とするNGO国際安全保障政策センター(CISP)によって制作された。創価学会インタナショナル(SGI)の支援を受けて制作されたこのドキュメンタリーは、かつてセミパラチンスク核実験場があった地域に住む人々へのインタビューを収録している。これらのインタビューで観客は、核実験が当時の地域住民の生活に与えた影響や、その後、彼らや未来の世代が対処することを余儀なくされた課題について知ることになる。

I Want To Live On: The Untold Stories of the Polygon. Documentary film. Credit:CISP

先行上映イベントではまた、カザフスタン国連代表部や核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が共催し、CISPやSGIからパネリストを招いたシンポジウムも開かれた。サイドイベントには、カザフスタン政府代表としてアルマン・バイスアノフ外務省国際安全保障局長、SGIから寺崎広嗣平和運動総局長、CSIPからアリムジャン・アクメートフ代表がパネリストとして加わった。また、核実験被害者の第三世代であるアイゲリム・イェルゲルディが登壇した。彼女の証言によって、核実験が人間の健康や福祉に与える影響、日常生活に与える影響が当事者の経験として伝えられることになった。

20分という短い上映時間の中に、このドキュメンタリーは重要なポイントをいくつも詰め込んでいる。この地域に住む人々が悩まされた健康問題は、何世代も経った今も彼らを苦しめている。癌を患っているイェルゲルディは、この地域で報告されている癌患者の数は、数十年前に行われた核実験によるものだろうと述べた。パネルで彼女は、「私が2015年に診断されたとき、(高齢の)罹患者がいました。しかし近年、この病気は若年化しています。」 すなわち、最も若い世代の間でガンの診断が増えてきているというのだ。イェルゲルディは、核実験が実施されたときに生きていなかったとしても、今日、この地域の住民の多くが核実験の結果とともに生きていることを証言した。このドキュメンタリーに登場するインタビューに答えている人たちは、放射線の影響による健康被害で愛する人を失ったり、あるいは自分自身が放射線の影響と共存し、それに応じて生活を変えざるを得なかったりしたことを語っている。

第2回TPNW締約国会議サイドイベント:「私は生きぬく:語られざるセミパラチンスク」(国連本部)Filmed and edited by Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan
The screening of “I Want To Live On” was held on Nov 28 during the 2nd Meeting of State Partiesto TPNW at UN Headquarters. Photo by Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.

おそらく、最も恐ろしいことは、この現実に政府がどう対応したかという点であろう。語り手たちによると、この軍事的な実験の真の性格は住民らに当初知らされることはなかったという。バイスアノフ局長が言うには、1991年の実験場閉鎖のころまでには150万人が放射性降下物の被害にさらされたという。被害者への補償は実験場閉鎖後の1993年に一度限りなされただけであり、将来世代はカバーされない。しかも、当時の超インフレ経済によって、支給された額は大したものにはならなかった。被害者第三世代のドミトリー・ヴェセロフは、自身の健康に影響を与えた先天的な遺伝障害があったにも関わらず、医療当局はかなり最近までこれを障害とは認めてこなかった、と語った。

Director of CSIP Alimzhan Akmentov(2nd from left), and Algerim Yelgeldy, a third-generation survivor of nuclear testing (Right). Photo by Katsuhiro Asagiri, President of IPS Japan.

パネリストのアクメートフ代表は、このドキュメンタリーは「人々に影響を与え続けるだろう」との希望を述べた。また、核軍縮を論じる学者や国際機関に対しては、主張を提示する報告書や知見が重要だと語った。しかし、そこにはリスクもある。「(その知見の)背後に民衆がいることを私たちは忘れがちだ。影響を受けた人間がいるということを忘れてはならない。」

SGIの寺崎総局長は「核実験の脅威と被害の実相」を描く上でこのドキュメンタリーは優れたものであり、「人々の生きた現実と経験」に着目する機会になればと願っていると述べた。核兵器が必要だという思い込みに異議を唱えるために、あらゆる場所で人々が声を上げることが不可欠であり、SGIは「グローバル・ヒバクシャに関する意識を高め、核禁条約第6条・7条に規定された被害者支援と環境修復を促進するための取り組みを続ける。現実の人間の声はそのような取り組みにおいて不可欠だ。」と語った。

また以前のインタビューで寺崎総局長は、人類の良心に訴えて核兵器廃絶を呼びかける、と述べていた。「核兵器が使用される危険性がある限り、私たちは、核兵器がもたらす暴力的な脅威と人間性への冒涜に対する意識を失ってはならない。私たちは共に、核兵器の存在を許さないという毅然としたメッセージを世界に発信し、核兵器廃絶への道を歩み続けよう。」

パネリストとドキュメンタリー映画は、核実験とその影響に関する透明性の向上を求めている。カザフスタンの事例は、核兵器の拡大を求める国々を抑えるものとして役立つことだろう。カザフスタンの事例は、核実験の真のコストはとても賄えるものではないことを示している。語り手の一人ボラトベック・バルタベックが話しているように、「私たちの苦しみはおそらく歴史に刻まれることになるだろう。歴史においては、何も忘れ去られることはないのだ。」(原文へ

INPS Japan/IPS UN Bureau

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