ニュース|日本-中東|中東和平に手を差し伸べる小さな街の試み

|日本-中東|中東和平に手を差し伸べる小さな街の試み

【東京IPS/IDN=浅霧勝浩

小金井市は人口11万3,389人の東京郊外の小さな街である。市内在住の外国人は僅か2,418人。この郊外の街が世界の出来事、ましてや紛争の最中にある中東地域の問題に積極的に関ろうとするなど想像する者はまずいないだろう。 

しかしそれこそ小金井市が今年の夏に実行に移したことである。小金井市は、イスラエル軍の空襲やハマスの自爆テロ等で肉親を失った9人の高校生遺族(4人のパレスチナ人と5人のイスラエル人)を招待したのである。

 招聘された高校生の中には、地図の上で日本がどこにあるかも知らなかった者もおり、果たして祖国から遠く離れた日本で、彼らの日常生活を無慈悲に覆いつくしている中東の長く暗い影から、暫し自らを解放できるだろうか?パレスチナ人とイスラエル人でグループに分かれたまま互いのコンタクトを避けるだろうか?それとも、相互不信と憎悪を横において、コミュニケーションを図るだろうか? 

中東から高校生遺族を迎えるにあたって、稲葉孝彦小金井市長、鈴木ひろ子小金井市議の脳裏を掠めたのはこのような懸念であった。また、高校生遺族たちがホームステイする小金井市民や伊東浄堯教育長も、様々な不安を抱きつつもプロジェクトの成功を祈るような思いで青少年たちの到着に備えた。 

稲葉市長は、中東情勢の複雑さを考慮して、万全の体制で臨んだ。市長は、「和平プログラム」期間を通じて、パレスチナ人とイスラエル人高校生をそれぞれ2人づつ一組のペアにして行動させることとし、万一の場合でも宿泊先の小金井市民が高校生たちに必要な支援が提供できるようホストファミリーの人選についても自ら率先して関与した。高校生参加者は(パレスチナ人の少女が1名参加できなくなったため)9人であることから、9人目の参加者は、1人でホームステイするが、近所に宿泊するパレスチナ人、イスラエル人ペアと常に3名で行動できるよう配慮した。 

また稲葉市長は、高校生代表団のイスラエル出発に当たって全員がテルアビブから揃って出発できるように尽力した。(2年前にパレスチナ人代表団の出国が認められず、京都府亀岡市の職員が日本の空港で待機する中、代表団の来日がキャンセルされた経緯があった:IPSJ)結果的にパレスチナ人代表団は、イスラエル人代表団とは別に隣国ヨルダンのアンマン経由となったが、両者はパリで合流し、7月28日に揃って来日を果たした。 

パレスチナ人とイスラエル人の高校生遺族代表団は、8月2日までの日本滞在中、着物の着付体験、茶道、生け花、阿波踊り、小金井市が企画した様々な文化交流プログラムに参加した。また、小金井市の高校生や一般市民もボランティア通訳として参加しこれらのプログラムを支えた。 

小金井市は、世界連邦自治体全国協議会(142の市町村自治体が加盟)のメンバー自治体である。2003年に同協議会が開始した「中東和平プロジェクト」は、中東情勢の悪化を背景に既に2年間の空白期間があり、稲葉市長はこのプロジェクトの存続と将来を深く憂慮していた。稲葉氏の平和への熱い思いは、同氏の幼児期の経験からくるものである。 

稲葉孝彦氏は第二次世界大戦末期に満州(現在の中国東北部)で生まれた。稲葉氏はほどなく父と生き別れ、ソ連軍の満州侵攻に伴う混乱の中、幾多の困難を経て母の手で日本への帰還を果たした。 

「私は涙なしに稲葉さんの当時のご経験を聞くことができない。」稲葉市長への取材に同席した鈴木市議は、「私は稲葉市長の幼児期の体験に基づく平和への強い信念がこの和平イニシャティブをなんとか救おうとの市長の強い動機となったと考えています。」と語った。 

「地球の反対側で現在も繰り広げられているイスラエル/パレスチナ紛争・・・この悲惨な現実に飲み込まれている両民族の青少年のことを考えるとき、心の痛みを禁じえないのです。」と市長は語った。「また、この和平イニシャティブを救ったのは、(小金井市にバトンタッチした)市長たちによる熱い思いなのです。」と付け加えた。 

事実、小金井市が名乗りを上げるまで、「中東和平プロジェクト」は2年間の空白期間を経なければならなかった。「しかし本プロジェクトは参加したパレスチナとイスラエルの青少年のみならず、プロジェクトに参加した全ての日本人にも強烈なインパクトを残しました。」と稲葉市長は語った。 

麻生太郎内閣総理大臣が、9月に開催された国際連合の総会で演説した際、紛争地域の和解に貢献する日本ならではのユニークな試みとしてこの『中東和平プロジェクト』について言及されたことは、従来このプロジェクトに関わってきた人々のプロジェクトに対する関心を改めて強くひきつけることとなり、大変嬉しく思っています。」 

麻生首相は、国連総会での演説に際して小金井市の名前は挙げなかったが、次のようにプロジェクトに言及した。「日本の市民社会が地道に続けてくれている、和解促進の努力をご紹介しました。高校生たちは、母国にいる限り、互いに交わることがないかもしれません。しかし遠い日本へやってきて、緑したたる美しい国土のあちこちを、イスラエル、パレスチナそれぞれの参加者がペアをなして旅する数日間、彼らの内において、何かが変わるのです。親を亡くした悲しみに、宗教や、民族の差がないことを悟り、恐らくは涙を流す。その涙が、彼らの未来をつなぐよすがとなります。」 

また、麻生首相は、「包括的な中東和平には、それをつくりだす、心の素地がなくてはならぬでしょう。日本の市民社会は、高校生の若い心に投資することで、それを育てようとしているのであります。この例が示唆する如く、日本ならばこそできる外交というものがあることを、私は疑ったことがありません。」と述べ、このイニシャティブの意義を絶賛した。 

本イニシャティブの今後の展望について尋ねたところ、稲葉市長は、つい先日、東京で開催された世界連邦自治体全国協議会の年次会合に参加したこと、そしてその際、本イニシャティブを2003年に立ち上げた京都府綾部市の四方八洲男市長が、いくつかのメンバー自治体の市長と来年度のパレスチナ/イスラエル青少年使節の受け入れについて協議をしており、前向きの感触を得ている旨を話してくれた。 

今回の小金井市主催のプログラムを通じて、参加したパレスチナ人とイスラエル人の高校生ペアから出てきたポジティブな声をひとつ紹介しよう。これは伊藤教育長夫妻宅にホームステイしたノアム・オーレン(イスラエル人、15歳)とサメ・ダルワゼ(パレスチナ人、17歳)の会話で、「お互いが、戦場で銃を持って再会するということがないよう祈りたいね。」というものであった。 

「彼らのこの会話はホストファミリーはもとよりこのプロジェクトに関わった全ての日本人に大変パワフルなメッセージを伝えたと思います。」と稲葉市長は語った。「パレスチナ/イスラエルの青少年参加者達は、今日平和な環境に暮らす日本の市民に、パレスチナ/イスラエルで現在も続いている紛争の現実について真剣に考える貴重な機会を与えてくれたと思います。」 

「従って、このプロジェクトに参加している青少年の数は少ないかもしれないけれども、日本の同世代の青少年や一般市民が、今日の世界の現実について心を開き、平和の大切さについて改めて考されられるような大きなインパクトを残したことは素晴らしいと思います。」 

この「中東和平プロジェクト」には“The Parents Circle – Families Forum” (PCFF:紛争遺族会)というパレスチナ/イスラエル側のパートナー組織がある。この団体にはパレスチナ/イスラエル紛争で肉親を失った双方の民族の遺族約500人が加盟しており、和解と慈悲の精神で憎しみの連鎖を共に断ち切るとともに、その精神を子供たちにも伝える活動を続けている。紛争遺族会は、本イニシャティブが開始された2003年以来、パレスチナ/イスラエル側の事務局として、両民族の青少年遺族からなる代表団を日本側に引率している。 

翻訳=IPS Japan

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