【プノンペンIPS=アンドリュー・ネット】
1975年に政権を握ったクメール・ルージュは、いわゆる伝統文化を堕落、頽廃の象徴として組織的に破壊した。音楽も例外ではなかった。国民の誰もが知っている歌手のシン・シサマウス(Sin Shisamaouth)、セレイソシア(Sereysothea)を始めとする多くの歌手が彼らに殺害された。
当時最も人気のあった女性歌手ロス・セレイソシアのショート・ドキュメンタリーの上映実現に奔走するグレッグ・カヒルは、「当時のカンボジアは、アジア音楽シーンの中で最も進んでいたが、クメール・ルージュはレコーディング・スタジオやレコードなど音楽に関する全てのものを手当たり次第に破壊した」と振り返る。しかし、多くのレコードが海外亡命者のお蔭で生き残った。そしてサイケデリックからラテンまで様々なスタイルの数千に及ぶ曲が国際的関心を呼ぶに至った。
その1つが、カンボジアの戦前の音楽シーンを描いた映画「ゴールデン・ボイス」。もう1つが、ロサンゼルスを拠に活躍する映画監督ジョン・ピロッジが制作中の「Don’t Think I’ve Forgotten」(私が忘れたとは思わないで)だ。2002年の犯罪スリラー映画(マット・ディロン脚本、製作)「シティー・オブ・ゴースト」でもカンボジア音楽が主題歌に使われている。カンボジア生まれのチホム・二モル(Chhom Nimol)をリード・ボーカルとするロサンゼルスのバンド「デング・フィーバー」が演奏する当時のヒット曲のカバー・バージョンもヒットしている。
戦前の音楽をヒップ・ホップなどに取り入れ、よりモダンな表現を目指している広告会社のソク・ビザルは「聞けば聞くほど、戦前音楽が如何に進んでいたかがわかる。タイにもベトナム、ラオスにもこの様な音楽はなかった」と語る。
カンボジアの戦前音楽の発展には2つの理由がある。1つはシアヌーク国王の庇護だ。国王は宮廷音楽家に新たな音楽的試みを奨励したのだ。宮廷音楽家の1人であったシサマウスは60年代カンボジアに西洋音楽を紹介。70年代には国内レコード会社の設立が相次ぎ、レコードの販売網、クラブなどが大いに発達した。第2の理由は、ベトナムの米軍ラジオで放送されていたR&Bやカントリー、ロック・ミュージックの影響である。これら音楽の影響は、伝統的カンボジア楽器で演奏された戦前音楽の中に明らかである。
ビザルは最近自社レーベルを立ち上げ、若いクメールのヒップ・ホップ、ラップバンドのプロモーションを行っている。彼は、5年の内にカンボジア・カルチャーが台頭すると確信している。
カンボジア音楽シーンについて報告する。(原文へ)
翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩
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