【サンティアゴIPS=グスタヴォ・ゴンザレス】
20世紀のチリの独裁者ピノチェトは10日午後、裁きを受けることなく心不全のため陸軍病院で死去した。人々には人権侵害と汚職にまみれた政治家という記憶だけが残ることとなった。
91歳で亡くなったピノチェトは人権侵害で4件、汚職裁判で2件の被告となっていた。選挙で選出された社会主義のアジェンデ政権を崩壊させた1973年9月11日のクーデターにおいて、ピノチェトは追従しながら、狡猾に立ち回った。
その後17年間にわたり鉄拳で国を支配し、死亡・行方不明者は3,000人、拷問を受けたのは少なくとも3万5,000人、亡命者は80万人に上る。
ピノチェトは決して罪を認めようとはしなかった。秘密警察最高幹部としてコンドル作戦を実行したマヌエル・コントレラスは、ピノチェトは人権侵害の罪をかぶった側近に不実であると非難している。
権力掌握以来、ネオリベラルな自由主義経済を取り入れ、社会保障、医療、教育を民営化し、軍に保護された独裁政権を守る憲法体制を作り上げた。このメカニズムと健康の理由で訴追を免れ続けたピノチェトも、ようやく法廷に向き合わなければならないところであった。
10日になくなったアウグスト・ピノチェト前大統領が国民に残した傷について報告する。
翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩
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