【米ニューヨークINPS Japan/ATN=アハメド・ファティ】
エジプトでは、至るところで「開発」を目にすることができる。その上を車で走ることもできれば、橋を渡ることも、空から写真に収めることもできる。開発は、橋となり、高速道路となり、新都市となる。大統領が出席する華々しい開通式となり、砂漠から姿を現しつつある新行政首都となって目の前に現れる。
しかし、写真にはなかなか写らないものもある。
スーパーで何を棚に戻そうかと悩む家族。薬代を数える年金生活者。貯蓄が目減りしていくのを見つめる中間層の家庭。そして、将来の生活費があまりにも高くなったため結婚を先延ばしにする若いカップル。
これもまた、「開発」の姿なのである。
あるいは、より正確に言えば、上から設計された開発の代償を、下にいる人々が支払うときに生まれる現実なのだ。
9月23日、世界の指導者たちはニューヨークの国連本部に集まり、「発展の権利に関する宣言」の採択40周年を記念する。そこでは、人間の尊厳、平等、参加、そして「誰一人取り残さない」という理念について、さまざまな発言が交わされるだろう。その議論の中で、エジプトについても語られなければならない。それは、エジプトが何も建設してこなかったからではない。むしろ、数多くのものを建設してきた。より難しい問いは、そもそもエジプト国民自身に、「進歩とは何を意味するべきなのか」を決める機会が与えられてきたのかということである。
40年前、国連は人間を開発の中心に据えた。人々は開発に参加し、それに貢献し、そしてその恩恵を受ける存在であるべきだとされた。
この点から見ると、エジプトの歩みには居心地の悪い現実が浮かび上がってくる。
エジプトでは、開発政策が国民と協議して決められるというより、決定された後に国民へ告げられることが多かった。国家が選び、借金をし、建設し、その後で説明する。そして国民が優先順位に疑問を投げかけても、率直な国民的議論を歓迎する場が待っているわけではない。
長年にわたる逮捕、活動への制約、政治的圧力によって、エジプトの野党勢力は弱体化してきた。独立した市民社会も、活動の余地を確保するために長年苦闘している。NGOは厳しい法律、捜査、資金調達上の制約に直面してきた。ジャーナリストは、政府への批判が重大な結果を招きかねない環境で仕事をしている。政党もまた、明文化されていなくとも誰もが理解している一定の限界の中で活動している。
それでも私たちは、「参加型開発」について語る。
では、誰が参加しているのだろうか。
国民に尋ねることなく国をつくる
エジプトには、より良いインフラが必要だったという主張には十分な根拠がある。人口1億人を超える国には、道路、交通網、電力、住宅、そして都市の拡大が必要だった。
本当の問題は、何を優先するかということだ。
どのプロジェクトを最優先するのか、誰が決めたのか。どれほどの速度で進めるのか、誰が決めたのか。どこまでの債務なら受け入れられるのか、誰が決めたのか。何を後回しにすることができたのか。そして、ごく普通のエジプト国民が、そうした選択に実質的に異議を唱えることのできる場は、どこにあったのだろうか。
開発とは、単なる技術的な作業ではない。政治そのものでもある。
大型支出に関する一つひとつの決定には、誰が権力を握っているのかが映し出される。予算を見れば、誰の必要が「緊急」とされ、誰の必要は「後回し」にできると判断されているのかが分かる。そして経済調整のたびに、最終的に誰が痛みを背負わされるのかが明らかになる。
エジプトでは、その痛みの多くが家庭に押し寄せている。
エジプト・ポンドは大幅に価値を失った。物価は急上昇し、購買力は低下した。かつて中間層が当たり前のように考えていたこと――外食、私立学校、医療、家電製品の買い替え、子どもの結婚支援、そしてわずかでも貯蓄すること――が、いまでは一つひとつ慎重な計算を必要とするものになっている。これらは単なるぜいたくではない。
人々が、自分たちの生活が前に進んでいるのか、それとも後退しているのかを判断する、小さくとも重要な物差しなのである。
「経済は改善している」と国民に説明することはできる。「外貨準備が増えている」「国際金融機関が新たな審査を承認した」と説明することもできる。
しかし、人々は結局、自宅に帰って冷蔵庫を開けなければならない。
経済理論が政治的現実と出会うのは、まさにそこである。
終わることのない「忍耐」の要求
エジプト国民は長年、同じような説明を繰り返し聞かされてきた。忍耐してほしい。改革は必要だ。痛みは一時的なものだ。犠牲はいずれ報われる。成長がやってくる。投資がやってくる。繁栄が後に続く。
そうした説明の中には、正当なものもある。
エジプトがウクライナ戦争を始めたわけではない。ガザでの戦争を始めたわけでもない。そしてもちろん、湾岸地域を揺るがし、エネルギー市場を混乱させ、世界で最も重要な海上輸送ルートの一部を再び緊張にさらしたイランをめぐる戦争を始めたわけでもない。
エジプトにとって、この最新の戦争は、地図上の遠く離れた安全な場所で起きている出来事ではない。その影響は、石油・ガス価格、投資判断、保険料、紅海、ホルムズ海峡、そしてエジプト経済が依存している海上輸送路を通じて直接伝わってくる。エジプトは、自ら始めたわけではない戦争の代償を支払っている。
その事実は認めなければならない。
しかし、それを国内のあらゆる困窮を説明する万能の理由にしてはならない。
国外の危機が、エジプトの経済モデルを設計したわけではない。国家予算の優先順位を決めたわけでもない。どれだけ債務を増やしてよいのかを決めたわけでも、どの巨大プロジェクトが「待てない」のかを決めたわけでもない。政治的競争を抑え、市民社会の活動空間を狭め、独立した監視機能を弱体化させ、市民社会が政府の決定に異議を唱えにくくしたのも、外部の危機ではない。
それらは国内で下された選択だった。
この区別は重要である。
強靱な経済とは、次の戦争や原油価格ショック、あるいはスエズ運河の混乱を単に生き延びる経済ではない。一般市民が、あらゆる危機の恒常的な衝撃吸収装置にされることを防ぐ経済でもなければならない。
なぜなら、あらゆる危機の代償が最終的に同じ食卓にたどり着き、食料、エネルギー、交通費の上昇や購買力の低下という形で家計を直撃するなら、「強靱性」という言葉の意味も、食卓のどちら側に座っているかによってまったく違って聞こえてくるからだ。
そして、まさにそこで、経済的困難と政治的説明責任は切り離すことができなくなる。
健全な公共空間が存在する社会では、野党が支出の優先順位に異議を唱える。ジャーナリストが調査する。市民社会が政府の決定に異議を申し立てる。議会が説明を要求する。専門家が公の場で論争する。人々が組織化する。そして政府が、時には方針を変える。
こうした回路が弱体化しても、誤った政策そのものが消えるわけではない。
ただ、異議を唱えることが難しくなるだけだ。
これは、権威主義的統治がもたらす影響の中でも、最も語られることの少ない代償の一つなのかもしれない。それは人権問題であるだけではない。経済問題にもなり得るのである。
写真の中のエジプトと、食卓を囲むエジプト
ある意味で、エジプトには2つの姿がある。一つは、極めて目につきやすいエジプトだ。新しい高速道路。新都市。目を引く建設事業。大規模な国家プロジェクト。政府の公式映像に登場するエジプトである。そこには近代性があり、野心があるように見える。
もう一つのエジプトは、家庭の食卓を囲んでいる。そこで語られるのは、物価、学費、薬代、家賃、肉の値段、そして給与の価値だ。息子は国外へ出るべきだろうか。娘は結婚費用を賄えるのだろうか。5年後、退職後のために蓄えてきた資金には、まだ意味があるのだろうか。
そうしたエジプトが、開発に関するプレゼンテーションに登場することはほとんどない。
しかし、本当に重要なのは、こちらのエジプトなのである。
一般市民の安心と尊厳を向上させることのできない「発展の権利」は、やがて単なるスローガンになってしまう。
参加を伴わない開発は、さらに深刻なものへと変わる危険がある。すなわち、人々の名の下に進められながら、その選択にも、その結果にも、人々が実質的な当事者として関与できない事業である。
誰が「成功」と呼ぶのか
国際金融機関にも責任がある。彼らは債務、財政赤字、為替相場の柔軟性、外貨準備、改革目標を監視する。これらはもちろん重要だ。しかし、一般家庭がなお痛みを背負い続けている中で、経済調整プログラムを「成功」と呼ぶことには、どこか倫理的に欠けた部分がある。
誰にとっての成功なのか。
政府は省庁の中から経済を測る。金融機関は表計算ソフトの数字から経済を測る。人々はスーパーで経済を測る。時として、その3つの現実は、まったく重ならない。
国連の「発展の権利に関する宣言」が目指したのは、まさにこの隔たりを埋めることだった。そこでは、人間こそが開発の中心的主体であるとされた。
国家ではない。
金融機関でもない。
巨大プロジェクトでもない。
一人ひとりの人間である。
発展は「権利」であって、政府からの恩恵ではない
9月に世界の指導者がニューヨークに集うとき、エジプト政府は実際に成し遂げてきた成果を示すことができる。そして、それは示してよい。
しかし同時に、より厳しい問いも投げかけなければならない。
実質的な政治参加が制限されている状況で、開発を「参加型」と呼ぶことができるのか。市民社会が脅威として扱われる状況で、「人間中心の開発」と呼ぶことができるのか。野党政治が弱体化し、独立した声が圧力の下で活動している状況で、市民は本当に開発の方向性を決めることができるのか。
そして、経済的負担の多くを背負っている国民が、その負担を生み出した政策決定にほとんど影響を与えることができないのなら、政府は本当に「開発は成功した」と主張できるのだろうか。
これらは、開発そのものに反対する問いではない。まさに「発展の権利」が問いかけるために生まれた問題なのである。
エジプトは大きく変わった。道路が変わった。街の景観が変わった。通貨が変わった。経済が変わった。政治の風景も変わった。
そして何百万人ものエジプト国民にとって、日々の暮らしは以前より厳しくなった。
40年を経たいま、本当に問うべきなのは、「エジプトは発展したのか」ではないのかもしれない。
発展したこと自体は明らかだ。
問うべきなのは――
その発展は、誰のためのものだったのか。そして、一般のエジプト国民がその費用を負担し、そのために犠牲を払い、その結果とともに生きていくことを求められたのであれば、彼らにはいつ、その「発展」が何を目指すべきなのかを決める権利が与えられたのだろうか。
Original URL: https://www.amerinews.tv/posts/egypt-s-development-boom-built-in-their-name-paid-from-their-pockets
INPS Japan
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