【SciDev.Net=ランジット・デブラジ】
昨年8月、絵のように美しいヒマラヤ山脈に位置するブータン王国は、外国人観光客に課している「Sustainable Development Fee」(SDF = 持続可能な開発費用)と呼ばれる一人一泊あたりの観光税を半額の100米ドルに引き下げた。
この税金は、「雇用創出、外貨獲得、経済成長の促進における観光産業の重要な役割」を果たすもので、2022年9月には、観光によるカーボン・オフセットのため、SDFを約30年間続いた65ドルから200ドルに引き上げた。
しかし、新型コロナウイルス感染症の感染拡大を受けて制限してきた国外からの観光客の受け入れを再開後も、ブータン王国への旅行者数は期待通りに回復することはなかった。
この状況は、ブータン王国に限らず、アジア太平洋地域の多くの国々が抱える共通の課題である。環境負荷が大きいオーバーツーリズムへの対応と、新型コロナウイルス感染症によるロックダウンや自然災害で打撃を受けた経済を回復させるために不可欠な外貨獲得を両立させるという難しい課題に直面している。
国連世界観光機関(UNWTO)によると、観光産業は、新型コロナウイルスによるパンデミックの影響で最も大きな打撃を受けた産業である。
アジア地域の人気観光地では、新型コロナウイルス感染症の世界的流行以前から、オーバーツーリズムによる環境破壊や地域社会への負の影響が深刻化し、入域制限 や施設閉鎖といった対策が講じられてきた。
2018年には、タイのピピ・レイ島のマヤ湾が、映画 『ザ・ビーチ』のロケ地として知られるようになったことを契機に、観光客の急増による海洋生態系の破壊が深刻化し、一時閉鎖に追い込まれた。同年、フィリピンのボラカイ島も同様の問題を抱え、環境修復のために6ヶ月間閉鎖措置が実施された。また、インドネシアのバリ島においても、環境整備保全や生活文化の保全·維持など持続可能な観光づくりのための観光税を今年導入した。
しかし、これらの国々は、観光収入に大きく依存しているため、大幅な規制を課すことは難しい。アジア地域では、インフラ、所得水準、政治体制が国ごとに大きく異なるため、それぞれの国に合った持続的な観光モデルを導入しなければならない。
日本やシンガポールは、インドネシアやフィリピンとは異なる経済構造を有しており、観光産業における成長戦略も変わってくる。各国が直面する課題は、観光産業がGDPに占める割合をどのように設定し、外国人観光客の誘致拡大に伴う潜在的なリスクをいかに評価をするかにある。
ブータン王国は、収益を炭素貯蔵林の保全やクリーンエネルギープロジェクトを通じた持続可能な開発に投資する「高付加価値で少人数」の観光モデルを導入しており、南アジアで唯一の「カーボン・マイナス国家」(年間の温室効果ガスの吸収量が排出量を上回る国)となった。しかし、ブータンの人口密度は1平方キロメートルあたりわずか20人である。
これに対し、隣国のバングラデシュでは1平方キロメートルあたり1329人が暮らしている。両国は気候変動に対して脆弱であるが、その様相は大きく異なる。ブータンが氷河の縮小を懸念している一方で、バングラデシュは海岸線が海面上昇の影響を非常に受けやすいデルタ地帯である。
気候変動による異常気象は、アジア太平洋地域の沿岸部を中心に甚大な被害をもたらし、観光インフラへの直接的な打撃となっている。2004年のインド洋大津波が示すように、自然災害は観光地を壊滅させ、地域経済に深刻な影響を与える。
また、同地域は、新型コロナウイルス感染症だけでなく、SARSやMERSといった感染症の脅威にも晒されてきた。これら保健衛生上の緊急事態は、医療体制の逼迫や旅行制限、国境封鎖などを招き、観光産業は大きな打撃を受けた。企業の倒産、 雇用喪失、景気後退など、世界的な観光業界では十分に考慮されていない影響が、地域経済に広範囲に及んでいる。
新型コロナウイルス感染症の世界流行は、グロー バルな観光産業の相互依存関係と、国境を越えた健康危機に対する国際的な連携の重要性を如実に示した。
一方、観光客の急増は、地域社会に深刻な影響をもたらしている。家賃や不動産価格の高騰といった経済的な影響に加え、長蛇の列や騒音といった生活環境への直接的な影響や、歴史的建築物の損傷や宗教施設への冒涜といった文化的な側面への悪影響も無視できない。さらに、地域住民の生活基盤を支える資源にも大きな負担をかけ、食料価格の上昇や供給不安定化といった問題を引き起こす。
観光は、宿泊施設、航空便、現地の交通機関に関連して、世界の二酸化炭素排出量の約8パーセントを占めている。高所得国の訪問者がこれらの排出量のほとんどを占めており、旅行が増加するにつれて、観光による環境への影響も大きくなる。
世界観光機関(UNWTO)と国際交通フォーラム(ITF)が発表した2019年の報告書では、2030年までに国際観光による交通関連の排出量は2016年の水準と比較して25%増加し、国内観光による排出量は同期間で21%増加すると予測している。
また、オーバーツーリズムは観光地としての評判にも悪影響を及ぼす可能性がある。記念建造物に並んで入場したり、ホテルやホームステイの料金が値上がりしたり、食事代が法外な額になったりすることを喜ぶ観光客はほとんどいないだろう。
衛星データなどを活用した観光アナリティクスプラットフォーム「Murmuration」も調査によれば、世界中の旅行客の80%が、わずか10%の観光地に集中していると推定している。各国は、少数の観光地に集中するのではなく、観光地の代替地を開発することで負荷を分散する必要がある。
UNWTOの予測によると、2030年までに世界全体の観光客数が18億人に達する見込みであり、すでに人気の観光地への圧力がさらに高まる可能性が高い。
観光客の過度な集中による負の側面を緩和するためには、送り出し国と受け入れ国間の国際協力が不可欠である。両国が協力し、友好的なビザ制度の構築、観光客による破壊行為の防止、地域住民との共生に向けた取り組み、そして自然環境や文化遺産の保護のための資金やノウハウの共有を図ることで、持続可能な観光を実現することが可能となる。
また、新たな観光地や代替地の共同開発は、観光客の分散化を促進するうえで有効な手段である。 道路、ホテル、施設などの観光インフラへの投資を通じて、魅力的な観光ルートを創出し、多様な観光資源を開発することで、観光客の選択肢を広げることができる。
観光は、単なる外貨獲得手段にとどまらず、地域経済の活性化や文化交流の促進など、地域社会に多大な貢献を果たす重要な産業である。
すべての問題を解決する万能な解決策は存在しないため、地域住民、観光事業者、行政機関など、様々なステイクホルダーの意見を聞きながら、多角的な視点で解決策を模索していくことが重要である。(原文へ)
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