【ニューヨーク/ミュンヘンIDN=ソマール・ウィジャヤダサ】
「リベラルな世界秩序全体が崩壊しつつあるようだ。状況はまったく変わってしまった。」自身が議長を務める2019年ミュンヘン安全保障会議(MSC)を前に寄稿したオピニオン記事の中で、ドイツの元外交官ウォルフガング・イッシンガー氏はこう述べている。
「ウラジミール・プーチンがクリミア半島を併合し、2014年にウクライナ東部で血塗られた紛争を開始した時、多くの人々が、彼こそが世界の不安定化の主たる原因だと考えた。…その数年後に米大統領が現在の国際秩序を大きく揺るがすことになろうとは、誰も想像しえなかっただろう。ドナルド・トランプ大統領は、西側の価値観や北大西洋条約機構(NATO)に疑問を呈するがごとく、自由貿易にも疑問を呈している。このことは、我々欧州の人間にとってだけではなく、影響は極めて大きい。」
したがって、最大規模の代表団(超党派の50人からなる議員団)を率いて参加したマイク・ペンス米副大統領が、「トランプ主義」を拒絶する人々を激しく非難した長い演説を行った際に会場から拍手がなかったのは、不思議なことではない。ペンス副大統領は、この演説を「第45代アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプ氏からのご挨拶をお伝えします」という言葉で始めていた。
世界中から集まった約500人の参加者で埋められた会場は、水を打ったように静かであった。イッシンガー氏の寄稿文に表れた(米国への)反発と恐怖心の残響は、外交規範に大げさに従った会議参加者の態度によって明確に示された。
なぜなら、彼らの圧倒的大多数が、トランプ大統領は、多くの意味合いにおいて、変化の原因であるというよりもむしろ兆候であることに気付いているからだ。イッシンガー氏が記したように、世界の安全保障環境は「画期的な変化を経験しつつある。つまり、一つの時代が終わり、新しい政治的時代の輪郭が現れつつあるのだ。」
事態を修復する
「大きなパズル:誰がピースを拾う(=事態を修復する)のか?」というのが、今年のミュンヘン安全保障会議の大きなテーマである。ミュンヘン安全保障会議は1963年、分断された西ドイツと、そのもっとも重要な同盟国である米国、それに他のNATO諸国との間で外交政策に関する意見交換を行うために始められたものである。
ミュンヘン安全保障会議は、創設から55年、国際安全保障をめぐる主要な国際会議へと発展してきた。今回、国際秩序の中核的な要素をいかに保つかについて議論が行われる背景には、数多くの「不安定」要因がある。たとえば、欧州の防衛政策、シリア・イラク・アフガニスタンからの米国の撤退、欧州連合(EU)諸国のGDP2%をNATOに拠出すべきとのトランプ政権の要求、貿易・関税戦争、英国のEU離脱がもたらす混沌、世界中で跋扈する右翼ポピュリズム、ベネズエラで急速に力を増しつつある「体制変革」への動きなどを挙げることができるだろう。
国際安全保障は、イランとの核合意(JCPOA)や中距離核戦力(INF)全廃条約、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)、パリ気候変動協定といった、慎重に策定された多国間合意からの離脱をトランプ大統領が次々に発表したことで、さらなる危機にさらされている。
さらに、イエメンで進行中の惨事、神聖なる国際法に違反して主権の壁を超える国々、英国で起こったスクリパリ親子への毒物攻撃、トルコでのジャーナリスト、ジャマル・カショギの惨殺もまた、世界の安全保障を悪化させている。
米国・中国・ロシア間の世界のトップの座をめぐる争いに現を抜かした、権力に目のない政治家たちが引き起こしたこれらの紛争は、世界を終わりなき紛争の淵に叩き込み、世界の平和と安全を脅威にさらしている。
この状況は、1939年に勃発した第二次世界大戦前夜の状況、そして、フランクリン・D・ルーズベルト大統領が「平和がどこかで破られるとき、全ての国々の平和は危機に陥る」と語ったことを思い起こさせるものである。
対話か対立か
ミュンヘン安全保障会議で寄せられた多様なコメントは、何がいったい危機に晒されているかを明確に示している。
米国が主導したグローバル秩序が「多くの細かい部分に分裂してしまった」と嘆くドイツのアンゲラ・メルケル首相は、外交政策に対する自身のアプローチ、とりわけ、多国間主義やルールを基盤とした秩序、外交へのゆるぎなきコミットメントを力強く擁護した。
メルケル首相は「世界の危機のすべては結局のところひとつの問いに帰着します。つまり、『私たちは、たとえ困難でゆっくりとしたものであっても、多国間主義を信奉するのか否か?』という問いです。」と述べて(名指しは避けつつも)トランプ主義の精神を否定した。
トランプ大統領を「自由世界の指導者」と呼ぶペンス米副大統領は、「『アメリカ・ファースト』とはアメリカが単独で行動することを意味するのではなく、世界の指導者らや同盟国、国々に対して、アメリカはこれまでよりも強力になり、米国が世界の舞台で再び指導的立場に立つことをあらためて確認するためにここにやってきた。」と述べた。
このような傲慢な演説では拍手は生まれない。ペンス副大統領が「欧州のパートナーらはイラン核合意から手を引くべきだ」と述べ、ロシア・ドイツ間の石油パイプライン「ノルド・ストリーム2」を非難するに及んでは、なおさらだ。
ペンス副大統領は、トルコによるロシアのミサイル防衛システム「S-400」購入計画を念頭に、「NATOの同盟国が我々の敵から兵器を購入するのを手をこまねいてみていることはない。」さらに、「我々の同盟国が東側への依存を増すというのなら、西側の防衛を我々は保証できない。」と語った。
ペンス副大統領は、「中国による知的財産権の侵害や強制的な技術移転、その他の構造的諸問題が、米国経済や世界各国の経済の負担になっているという長期的な問題に、中国は対処しなければならない」ことを、トランプ大統領の指導の下で米国は明確にしてきた、と述べた。
ペンス副大統領はまた、ベネズエラ危機に言及して、トランプ大統領は「自由の擁護者」であり、欧州諸国に対して米国と共にベネズエラのニコラス・マドゥロ政権に対抗するよう訴えた。
英国のテレサ・メイ首相は、「(国民投票に従って)2019年にEUを離脱後速やかに、EUの共通外交・安全保障政策からも抜け出ることになろう。我々は、真に独立し、主権的な外交政策を持つことになる。」と述べた。
多くの発言者がロシアを標的にした。英国のギャビン・ウィリアムソン国防大臣は、世界をより危険な場所にしつつあるとしてロシアを非難し、ドイツのウルサラ・フォンデルレイエン国防相はロシアは欧州を分断しつつあると述べた。しかし、全体としてみると、過去よりも批判のトーンは弱まっている。
中国の楊 潔篪外交部長は「歴史は、多国間主義を擁護し、グローバルな協力を推進して初めて、より良き生活を求める人民の夢を実現できることを示している」と述べた。
ロシアのセルゲイ・ラフノフ外相は、NATOがロシア国境まで「拡大」し、双方が軍の展開と訓練を強化する中で空前の緊張を生み出していると厳しく批判した。ラブロフ外相は他国の外交指導者らと多くの二国間協議をもった。
ロシア外務省のマリア・ザカロワ報道官は、あらゆる問題に関して米国の一貫性のなさに苛立ちを示した。米国はその強大な軍事力と経済力にも関わらず「中東で失敗」し、「どの場所でもどの世界的な危機も解決できていない。」と指摘したうえで、「ミュンヘン安全保障会議の主な目的はロシアを悪者扱いすることにある。」と示唆した。
イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は、従来から会議での目標を劇的な形で示して自らの存在を誇示しようとする傾向があるが、今回はイラン製ドローン(無人攻撃機)の破片を振りかざし、同国を「中東最大の脅威」と呼んだ。
イランのモハンマド・ジャヴァード・ザリーフ外相はスピーチで米国を批判し、前日のペンス演説を激しく非難した。イランが「新たなホロコースト」の筋書きを立てているとのペンス副大統領の見方は「憎悪に満ちて」おり「無知」だと述べた。またザリーフ外相は、「病的に」イランを標的にする米国は「世界最大の脅威だ」と呼んだ。
生起しつつある新世界秩序
会議の閉会にあたって、議長のイッシンガー氏は「我々はたしかに問題を抱えている。」という残念な結論を出した。
そう、確かに問題はある。恐らくそれほど新しくもない問題が―。2007年ミュンヘン安全保障会議で、ロシアのプーチン大統領は、「一人の主人と一人の主権者がワシントンDCに鎮座している西側の同盟システムは『内から崩壊することになる』だろう。」と予想した。その予言は的中することになるだろうか。
今回のミュンヘン安全保障会では、侮蔑と当てこすりさえ交えた実に様々な発言と応答が飛び交った。これは、米国が、ロシアや中国、イランとだけではなく、同盟国とも対立の火種を抱えていることの証左だ。
米国は反対しているが、欧州諸国は東側に橋を架けつつある。ペンス副大統領は、欧州に対して、ロシアや中国と取引きすることは自らの安全保障を毀損することになると警告してきが、ロシアのパイプライン「ノルド・ストリーム2」のような大型プロジェクトや中国の「一帯一路」構想は、欧州で信頼を獲得してきている。
イッシンガー氏は、「暗い予想図は、何もないところから生まれるのではない。一部の西側諸国が自己中心的で対立的な心性を持つようになり、国際的な責任に関心を示さなくなれば、単独行動主義や孤立主義、保護貿易主義という悪果が生まれることになる。」と記している。
国際関係の専門家によれば、世界各地で起こっている紛争は、米国と欧州の影響力が低下しつつあり、ロシア・中国・米国といった大国が経済的・軍事的優勢を求めて競争していることの証であるという。
こうした「分裂」状況を背景に、世界の平和と繁栄をめざして、ルールを基盤とする国際秩序を模索しようとする願望が、今回のミュンヘン国際会議全体を覆っていたと言えるだろう。(原文へ)
※著者のソマール・ウィジャヤダサは国際弁護士。国連総会に対するユネスコ代表(1985~95)、国連合同エイズ計画(UNAIDS)代表(1995~2000)を務める。
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