【マニラIPS=ダイアナ・メンドーサ】
身体に泥を塗って犠牲者に扮することで政府の無策と責任放棄に抗議の意志を表す人々、紙の灯籠とロウソクを灯し、白い鳩と風船を空に放って死者を追悼する人々、白い十字架を掲げて市内の広大な墓地へと行進し、犠牲者に花を手向けて今一度涙を流す人々…。
これらは、台風「ハイヤン」の直撃を受けた「グラウンドゼロ」として知られるフィリピン中部のタクロバン市で11月8日に見られた光景である。
最大瞬間風速105メートルの強風と7メートルの高潮がタクロバン市の中心部と周辺地域を直撃し、想像を絶する被害をもたらした。死者は6500人以上、1年が経過した現在も数百人が行方不明のままである。
11月8日、陸地に上陸した台風としては人類観測史上最大の「ハイヤン」(フィリピンでは「ヨランダ」として知られる)がタクロバン市に上陸して1周年を迎えた。
この日、フィリピンのメディアポータルサイトには、被災一周年に関連した多数の記事が見受けられたが、その大半が、被災による喪失、絶望、孤独、飢餓、病気、そしてさらなる貧困の深みに追いやられている被災者の苦境を報じたものだった。一方で、英雄的行為や苦境に立ち向かう被災者の尋常ならざる強さについて報じた記事も多数あった。
災害の規模を把握する
マニラ南東580キロに位置するタクロバン市には復興の兆しのようなものがみられる。しかし、以前のような状態には戻っていない。国際支援コミュニティーの関係者によると、この地が元の活況を取り戻すには、さらに6年から8年、或いはそれ以上の時間がかかるかもしれないという。
それでも、この一周年記念は(インド洋沿岸の国々に壊滅的な被害をもたらした)2004年アジア津波の被害を受けたインドネシアのアチェ州のような他の被災地の経験と比べて、フィリピンがこれほど大規模な災害に見舞われたにもかかわらず、「迅速な第一段階の復興」を成し遂げたことに、各方面から称賛の声が寄せられる機会となった。
フィリピンに拠点を置くアジア開発銀行(ADB)は、被災一周年を前に発表した救援・復興状況を評価した報告書の中で、「復興の取り組みは引き続き困難を伴うものであるが」、数多くの成果があった、としている。

アジア開発銀行のスティーブン・グロフ副総裁(東アジア・東南アジア担当)は、先般開催された記者会見において「アジア開発銀行はフィリピンを拠点に50年以上活動していますが、その経験から言えることは、これほどの大規模な危機に直面して、フィリピンほど力強く対応している国はないだろうということです。」と語った。
カナダのニール・リーダー駐比大使も同じように、「(フィリピンが)災害から立ち直る能力は、私たちがこれまで目の当たりにしてきた他の如何なる人道危機よりも迅速なものでした。」と語った。
また専門家によると、「バヤニハン」と呼ばれる伝統的に地域住民の間に息づいている相互扶助の慣行が、気が遠くなるような復興プロセスにとって大きな助けになった、という。
「ヨランダは上陸した史上最大かつ最も強力な台風で、フィリピンの最もまず貧しい地域を含む広大な地域に被害をもたらしました。ヨランダ襲来から1年が経過した今、私たちはこの災害の規模や範囲をしっかり検討することが重要です。」とグロフ副総裁は強調した。
グロフ副総裁は、「この台風では1600万人或いは340万世帯が影響を受け、100万以上の家屋と、3300万本のココヤシの木、60万ヘクタールの農地、248本の送電塔、そして役場や公設市場といった公共の建物が甚大な被害を受けました。」と語った。
さらに、農地と市場を繋ぐ道路が305キロにわたって寸断されたほか、2万にわたる教室や、病院・保健所など400件にわたる医療施設が被害を受けた。
合計で、9地域、44州、171都市の1450万人以上が台風「ハイヤン」の被害を被った。今日においても、依然として400万人を超える人々がホームレスの状態のまま取り残されている。

フィリピンのベニグノ・アキノ3世大統領は被災者からの批判に直面している。8日の一周年記念日は、被災者が復興プロセスにおける政府の無策に対して怒りをぶつける場となった。
台風被災者グループ「民衆の波」の指導者の一人であるエルフレダ・バウティスタ氏は、ジャーナリストにこう述べた。「私たちはこの1年、政府の悪辣な棄民政策、汚職、詐欺、抑圧を目の当たりにしてきました。私たちはこの1年、この状況を確認するようなニュースや調査に接してきました。」
抗議参加らは、台風「ハイヤン」被災一周年のこの日、アキノ大統領を模った高さ9フィート(約274センチ)人形を燃やした。
11月8日の早朝、台風の犠牲者を追悼するために、風船や灯籠やロウソクを手にした5000人を超える人々が、タクロバン市を行進した。
カトリック教会はこの記念日を国民的な祈りの日と定めた。3000人以上が埋められている墓地におけるミサの開始にあたっては、鐘の音が鳴り、サイレンが悲しく響いた。
また数百人の漁師が、政府に対して新しい住居と仕事と生活を要求するとともに、政府の役人が援助資金や復興資金を流用していると非難した。
フィリピンのネット市民らは、テレビやコンピュータのモニターに映し出された台風に襲われているタクロバン市の様子をなす術もなく見ながら泣き続けたことを思い出した。
彼らは、英雄として賞賛されたフィリピン人たちの写真を投稿し共有した。この英雄たちは、軍用航空機から降りた生存者たちをマニラなどにいる親戚のところへ送り届ける役目を果たした。
新しい家屋や仕事、生活を与えるよう政府に要求した数百人の漁民が、支援と復興のためのお金を政府の役人が流用したと非難し、抗議活動を行った。
被災地域一帯の「災害前」「災害後」の写真も、ウェブの世界をめぐった。
多額の国際支援
被災1周年の前に近隣の被災地サマール島を訪問したアキノ大統領は、「私は復興作業を加速できればと望んでいるし、関係者に一層作業を早めるよう叱咤していくつもりです。しかし、悲しい現実は、復興に必要な膨大な作業量は、とても一夜にしてできるものではないのです。復興作業の成果が恒久的なものとなるように、作業を正しく進めていきたいのです。」と語った。

フィリピン政府は、今後災害が起こった時にさらなる被害を防ぐために27キロにわたって海岸線に高さ4メートルの堤防を築く計画を含め、被災地の再建のために1700億ペソ(約4446億円)が必要と算定している。
タクロバン市のアルフレッド・ロムアルデス市長は記者団に対して、依然として200万人がテント住まいであり、恒久住宅に移れたのはわずか1422世帯に過ぎないと語った。
台風から数か月で電柱が立ち、黒い泥は緑地に変わり、作物が素早く植えられ、ふたたび稲穂が実り始めたという点では、復興プロセスは成功している。
また政府や民間、国際援助関係者らは、災害後に公衆衛生対策を立て直している。
ADBは、復興プロセスの始期にあたって無償援助や無利子融資の形ですでに供与している9億ドルに加えて、ヨランダの被災者に対してさらに1億5000万ドル相当の公的支援を行うことが適当かどうか検討していると発表した。
米国国際開発庁(USAID)には、フィリピン全土で1万8400件のプロジェクトを行うために1000万ドルの技術支援を行う計画がある。これによって、タクロバン市以外で大きな影響を受けた地域がカバーされる。たとえばサマール東部のギワンは、アラブ首長国連邦からの復興支援で1000万ドルを受け取ることになる。
またカナダ政府は、レイテ州、イロイロ州の被災地の生活と水供給を復活させるため、375万カナダドルを支援するとしている。
フィリピン政府は、国際社会から寄付、提供、約束された資金については、透明性をもって確実に説明できるようにし、監視され、保全され、報告されるとしている。
復興計画を担当するよう指名されたパンフィノ・ラーソン上院議員は、「既に、タクロバンとサマール東部のいくつかの宿泊所が基準以下の資材で建設され、キックバックをもらうために基準以下の資材を使うよう業者と共謀した者がいるとの報告を受けている。」と語った。
「私はまさにこの報告を受けて、援助資金の流れを監視しなければならないと痛感しました。」とラクソン議員は語った。
復興のために国家やドナー機関から提供された数十億ペソ規模にのぼる資金の管理と運営の実態に関して不審な点がある場合には情報を提供するよう、ラーソン議員は国民に呼びかけている。(原文へ)
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