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SDGsGoal10(人や国の不平等をなくそう)|ナミビア|ドイツの忘れ去られた大量殺戮(アデケイェ・アデバジョ汎アフリカ思考・対話研究所所長)

|ナミビア|ドイツの忘れ去られた大量殺戮(アデケイェ・アデバジョ汎アフリカ思考・対話研究所所長)

【ヨハネスブルクIDN=アデケイェ・アデバジョ】

一部の政治指導者らが国連総会に出席するためにニューヨーク入りする中、9月22日に反人種主義世界会議(ダーバン会議)20周年を記念して開催される「アフリカ系の人々への賠償、人種間の平等」に関する議論は、とりわけ重要である。ダーバン会議では、賠償に関する議論は、かつて帝国主義国としてアフリカ系の人々を奴隷にした欧米諸国によって議論を阻止されたが、今回の20周年会合では、議題として取り上げられることになっている。

これに関して、最近重要な進展があった。今年5月、ドイツ政府は、1904年から08年の間に入植者らがドイツ領南西アフリカ(ナミビア)が犯した大量殺人について、自国によりジェノサイド(大量虐殺)だったと公式に認め、援助事業に11億ユーロ(約1470億円)規模の資金提供を行う方針を表明した。

1884年、ドイツ帝国の鉄血宰相オットー・フォン・ビスマルクがアフリカ南西部の保護領化を宣言した。その後、冷酷な軍事指揮官クルト・フォン・フランソワ大尉が、先住民に対する一方的な虐殺を行った。1904年1月、ドイツ人入植者らの浸透により土地や家畜を奪われた先住民のヘレロ族が、サミュエル・マハレロ等ゲリラに率いられて蜂起し、約100人の白人入植者を殺害した。

9か月後、人間鮫の異名を持つロタール・フォン・トロータ将軍は、土地と家畜を失ったことで向う見ずにも反乱を引き起こした罰として、ヘレロ人そのものの殲滅を命じる通達を出した。その内容は、「ドイツ領内で見つかったヘレロ人は、武装、非武装、老若男女を問わず、抹殺すること。」という過酷な内容だった。

ヘレロ人は各地で勇敢に抵抗したが、ドイツ軍のマシンガン、大砲、銃剣の前に圧倒された。1904年8月のウォーターバーグの戦いでは、ドイツ軍はヘレロ人の抵抗を撃破すると、捕虜を鞭打ち、縛り首などで大量に処刑しながら、逃れるヘレロ人を三方から包囲しつつ、水が乏しいカラハリ砂漠に追い込んで、大半を渇きと飢えで殲滅した。

ドイツ領南西アジア全土で展開された、こうした掃討作戦で生き残ったヘレロ人は、スワコプムント、リューデリッツ、ウィントフックに新設した強制収容所に家畜用列車で移送され、数千人が投打、強姦、奴隷労働のために命を失った。犠牲者の中には、結核、チフス、天然痘の人体実験の対象として感染させられた者もいたことが明らかになっている。また、優生学に基づく政策が適用され、囚人たちは亡くなった血縁者の遺体から肉をそぎ落とし、大釜で煮て頭蓋骨を取り出す作業を強制された。そうして収集された人骨のサンプルは、優生学の研究に資するため、約3000体分がドイツ本国に輸送された。

Main church in Windhoek, Namibia. Christuskirche in Windhoek, of the German Evangelican-Lutheran Church/ Freddy Weber – Own work, CC BY-SA 3.0

同年にヘンドリック・ヴィットボーイに率いられたナマ人の蜂起も、同様の残忍さで鎮圧され、各地で捕らえられたナマ人は、ドイツ軍がシャーク島に新設した絶滅収容所に送られた。1908年までに、推定9万人(ヘレロ人の8割、ナマ人の50%)が、20世紀最初のジェノサイドで殺戮された。今でもナミビアのスワコプムントや首都ウィントフック駅の車両基地の地下には、無数のヘレロ人の遺骸が眠っている。多くのドイツ人や歴史家らは、この大量虐殺が20年後のナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)につながったとの見方に同意している。

追悼と和解

ナミビアには旧宗主国のドイツ軍人等の記念碑はたくさんあるが、ヘレロ・ナマクア虐殺の犠牲者を追悼するものはほとんどない。虐殺が始まって100年目となる2004年当時、ドイツ政府は、左派系学者や議員からの圧力もあり、事件に関する追悼と謝罪の意を初めて表明した。

しかし、ドイツ国内の博物館に保管されていた虐殺の犠牲者らの頭蓋骨が、適切な埋葬のためにナミビアに返還されだしたのは2011年になってからである。また、ベルリンの博物館が、アフリカにおけるドイツの植民地化の歴史に関する展示を始めたのは、2015年にフランク・ウォルター・シュタインマイヤー外相(当時)が、108年にわたる否定と曖昧な態度に終止符を打ち、事件は「戦争犯罪でありジェノサイドであった」を発言してからのことであった。

賠償のバランスシート

しかし、虐殺をめぐる賠償を巡っては、ドイツ政府がナミビア政府との間に合意に至るにはさらに6年にわたる交渉が必要だった。今年5月、ドイツ政府は(ジェノサイドの)犠牲者が被った甚大な苦しみに対する責任を認める姿勢を示すために、11億ユーロを「復興と開発援助」資金として、土地改革、農村地域のインフラ整備、ヘルスケア、エネルギー、教育、水、職業訓練といった重要な分野を対象に、向こう30年に亘って拠出することに合意した。

しかし、これらの犯罪は、「現在の基準」に照らしてジェノサイドと認定した、としており、(事実上、欧州諸国に都合が良いように欧州諸国によって作られた)当時の国際法は、アフリカ人の犠牲者に適用されなかったと示唆している。また、これらの援助資金の大半は、主に犠牲となったヘレロ人やナマ人の子孫に裨益するべきとしている。ヘイコ・マース外相は、こうした点を指摘したうえで、「今回の合意は今後いかなる『賠償を求める法的な要求』に道を開くものではない。」と付け加えた。この発言には、ポーランド、ギリシャ、イタリアからナチス・ドイツの犯罪に対する類似の要求がなされることを避けたいという意図が伺える。

ドイツ政府は、共同宣言に「賠償金」という文言を含むことを拒否した。ナミビア政府高官は、ドイツ側から支払がなされることについて、「正しい方向に向けた第一歩」と評したが、ナミビア最大の援助供与国との交渉は対等ではあり得ず、ドイツ側が交渉の主導権を握ったと広く見られている。

この歴史的合意を履行するうえでの難題は、ヘレロ人とナマ人の指導者等に合意内容をいかにして受入れるよう説得するかである。合意を巡っては、大半の先住民指導者が交渉過程に加われなかったとして、声高に批判する声があがっており、中には、今回の合意は真の償いというよりも、「イメージ戦略」とみなすものも出てきている。

オヴァヘロロ伝統機関の指導者であるヴェクイ・クコロ氏とナマ伝統指導者協会のガオプ・イサーク会長は、この二国間合意を「人種主義的な思考に基づくもの」であり「完全な裏切り行為」として非難している。こうした先住民ら反応は、現在のナミビア社会で先住民が引き続き阻害されており、ナミビア政府の腐敗したエリート層が、ドイツからの開発援助資金を公平かつ誠実に履行するとは考えられないとする、政府に対する不信感に根差したものだ。

植民地賠償の今後

ドイツの現代史は、600万人の欧州のユダヤ人を虐殺したドイツ第三帝国の残虐さがしばしばクローズアップされがちだが、戦後ドイツ政府は、イスラエルとユダヤ人諸団体に対して980億ドルの賠償金を支払うなど、最も印象的な修復的正義の実現に取り組んできた。戦後ドイツ政府は、2015年から16年にかけてシリア、イラク、アフガン難民を積極的に受入れ、今日では難民出身者が全人口の17%を占めるなど、地球市民のモデルになろうと努力を傾倒してきた。一方、植民地時代にナミビアで大量虐殺を行った過去について、ドイツ国内で一般に知られるようになったのはごく最近のことで、当時の犠牲者を悼む記念碑は、ベルリンとブレーメンの2か所にしか存在しない。

The Rhodes Colossus: Caricature of Cecil John Rhodes, after he announced plans for a telegraph line and railroad from Cape Town to Cairo./ By Edward Linley Sambourne (1844–1910) – Punch and Exploring History 1400-1900: An anthology of primary sources, p. 401 by Rachel C. Gibbons, Public Domain

一方、かつての植民主義大国であるフランス、英国、ベルギー、ポルトガル、スペインは、各々の国がアフリカ大陸で犯した残虐行為について折り合いをつけていない。例えば、フランスの植民地支配にアルジェリア人が蜂起した独立闘争(1954年~62年)では100万人以上のアルジェリア人が死亡した。また、マダガスカル蜂起(1947年~62年)では、90,000人のマダガスカル人がフランス軍に殺害された。一方、大英帝国植民地でも、セシル・ローズが経営するイギリス南アフリカ会社は、1890年代に先住民が蜂起した際、数千人のンデベレ人とショナ人を虐殺、強姦した。また、1950年代にケニアの独立を求めるマウマウ団の独立運動が発生した際には、英国軍が25,000人のケニア人を殺害し、約10万人のケニア人を裁判の審理もなく、拷問が常態化していた強制収容所に投獄した。

ベルギーは、レオポルド二世がコンゴ植民地を残虐な手法で統治した時代に、当時のコンゴ人口の半分にあたる約1000万人が殺されたことで非難を浴びている。果たして、これら欧州の旧植民地大国は、ドイツの前例に倣って、自らの植民地支配時代に過ちを謝罪し、植民地支配を受けた国々に長らく残る損失を是正する行動をとるだろうか。(原文へ

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