この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。
この記事は、2021年1月12日に「The Strategist」に最初に掲載されたものです。
【Global Outlook=ラメッシュ・タクール 】
核兵器を批判する人々は、ずっと以前から二つのリスクを指摘してきた。第1は、核抑止の安定性は、全核保有国のすべてのフェイルセーフ(安全制御)機構がいつ何時も機能していることに依存しているということだ。それは、核による平和をいつまでも維持するにはあまりにも高いハードルである。第2は、世界の9核保有国において、理性的な意思決定者が政権を握る必要があるということである。(原文へ 日・英)
過去4年の間に、特に問題の9人のリーダーのうち2人の性格的特徴により第2のリスクが高まっている。ドナルド・トランプ米大統領と北朝鮮のリーダーである金正恩(キム・ジョンウン)が、国連の核兵器禁止条約のゴッドファーザーと評されたのもそのためである。かつて核ミサイル発射管理官を務め、尊敬される反核運動家であった故ブルース・ブレアは、2016年にこう述べている。「ドナルド・トランプに核兵器を持たせることを考えると、心底ぞっとする」
この問題は、2020年大統領選の勝利者としてジョー・バイデンが正式に承認された後、議会内外で醜悪な事態が展開する中、予想外の緊急性を帯びた。1月8日、ナンシー・ペロシ下院議長がマーク・ミリー統合参謀本部議長と、「不安定な大統領が軍事攻撃を開始する、あるいは発射コードにアクセスして核攻撃を命令することを防ぐ」予防措置について協議した。ミリーの執務室は「ニューヨーク・タイムズ」紙に対し、核発射命令権限に関するペロシの質問にミリーが回答したことを認めた。
米国には現在、ペロシの懸念に対処できる法的メカニズムはない。ジョージ・W・ブッシュ大統領の任期終盤の2008年12月22日、ディック・チェイニー副大統領が、大統領権限に歯止めがないことを認め、こう述べた。50年間にわたり、米国大統領には「常時、1日24時間、フットボール(最初の核攻撃計画を指すコードネームが「ドロップキック」だったことによる通称)を携帯する武官が同行しており、その中には、大統領により使用を承認される核兵器発射コードが収められている……彼は、誰にも相談する必要はない。議会を招集する必要もない。裁判所に相談する必要もない。大統領は、われわれが住むこの世界の性ゆえにその権限を有する」と。
米国の核体制は高度警戒状態で核兵器の警報即発射態勢を取っているため、最高司令官の発射命令に即応するようにできている。攻撃を承認する大統領命令が発せられたわずか4分後にはミサイルがサイロから出され、敵のミサイルに破壊される前に発射され、発射から30分以内に標的を捉えられるようになっている。
大統領の絶大な権力が問題視された唯一の歴史的出来事は、ウォーターゲート事件の渦中にあったリチャード・ニクソンの政権末期に起こった。ジャーナリストのガレット・グラフは、2017年に政治誌「Politico(ポリティコ)」に寄稿した際、ジェームズ・シュレシンジャー国防長官が前例のない命令を発した件を振り返った。それは、ニクソンが核兵器発射命令を出したら、軍司令官らはそれを実行する前に国防長官に確認するか、またはヘンリー・キッシンジャー国務長官に確認するよう命じるものだった。それに先立ち、アラン・クランストン上院議員がシュレシンジャーに電話し、「逆上した大統領がわれわれをホロコーストに陥れるのを防ぐ必要」について警告していた。どうやらニクソンは会議の際、「私が執務室に入って電話をかければ、25分後には何百万人も死ぬんだ」と発言して、議員たちを震え上がらせたようである。
1973年、核ミサイルサイロの制御訓練を行っていた米空軍ハロルド・ヘリング少佐は、「受け取ったミサイル発射命令が正気の大統領から出されたものであるかどうか、どうしたら分かるのですか?」と尋ねた。良い質問である。答えを得る代わりにヘリングは除隊させられ、1975年に上告が退けられて、長距離トラックの運転手に転職することになった。ジャーナリストのロン・ローゼンバウムは著書‘How the end begins: the road to a nuclear World War III’ の中で、ヘリングの「禁断の質問」を回想し、このように述べている。
そのような疑問、つまり核兵器発射命令を出す大統領が正気かどうかという問いは、とりわけ厳密に精査するべきことだと思われるかもしれない。しかし、ヘリング少佐の不都合な質問は、歴史上最も恐ろしい決定が、15分もかからず、1人の人間によって、考え直す時間もないままに下されるという事実を如実に浮かび上がらせた。
法学教授のアンソニー・コランゲロ(Anthony Colangelo)によれば、武官は「違法な核攻撃命令に従わない法的義務」があり、核兵器の使用は、国際人道・人権法のもとでは合法性の基準を満たさないという。しかし、2020年12月3日付けの議会調査局覚書は、「米国大統領は、米国の核兵器の使用を承認する唯一人だけの権限を有する」という、支配的なコンセンサスを繰り返し述べるものだった。
元米戦略軍司令官のロバート・ケーラー大将は、武官は統一軍事裁判法により、「命令が合法で、権限ある機関から発せられたものならば、命令に従う」義務があると述べている。世界の紛争地域を主な関心分野とする国際危機グループでさえ、2021年1月7日の声明でトランプからバイデンへの混乱に満ちた政権移行に伴う様々な危機の中から大統領の「核兵器を発射する自由な権限」を特に指摘している。
選挙の結果を認めず、怒りと報復心に燃え、しかし核のボタンに指を置いたままの大統領。しかも金正恩より「大きく、強力だ」と自慢するような大統領が、人心に緊迫感をもたらす役割を果たした。1962年のキューバミサイル危機において、悪名高いカーティス・ルメイ大将のような大統領軍事顧問らが核兵器の展開とキューバ侵攻を望むなか、ジョン・F・ケネディ大統領は冷静さを保った。
2017年1月のトランプ就任以来、世界は戦略面で弱みのある大統領の予測不可能性と信頼性の欠如を考えると、政権内の大将経験者が危機的な状況で手綱を握ってくれることを心から願ってきた。トランプの最初の国務長官であったレックス・ティラーソンが、トランプを「とんでもないバカ」と評した有名な発言は、大統領が核の本質的な現実を把握していないことを踏まえてのものだった。
大統領だけが持つ核の発射権限は、あまりにも強大であまりにも抑制不能であるために、大きな恐怖を抱かせる。ブルース・ブレアは、短期的には先制不使用政策を採用し、中期的には「グローバルゼロ」を通してすべての核兵器を完全に廃絶するという2段階の提言を行った。バイデンは大統領就任後、核攻撃が合法であることの承認を得るために、自分以外に少なくとも1人の政権幹部の合意を求めるように、核兵器の指令体系を変更することができる。また、そうするべきである。
米国に関してこれが単なる理論的懸念にとどまることがないとすれば、核のボタンに指を置く他国のリーダーたちにより核兵器が無責任に使用される可能性について、より深刻な懸念をわれわれが抱くのも無理はないといえる。「核兵器を発射する……米国大統領のみ唯一人の権限をガードレールで取り囲む」ことによって、バイデンは、世界の核リスクを減らす緊急の必要性に焦点を当てることができるだろう。
ラメッシュ・タクールは、オーストラリア国立大学クロフォード公共政策大学院名誉教授、戸田記念国際平和研究所上級研究員、核軍縮・不拡散アジア太平洋リーダーシップ・ネットワーク(APLN)理事を務める。元国連事務次長補、元APLN共同議長。
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