【レイキャビクIDN=ロワーナ・ビール】
最近ある文書が機密解除され、米国が北大西洋条約機構(NATO)の1949年創設以来の加盟国であるアイスランドに核兵器を配備したことがあるかどうかを巡る論争が巻き起こっている。
米国は、北大西洋と北極海の交わる戦略的な地点に位置するアイスランドに核兵器を一度も配備したことがないと主張しているが、これは、この国に核兵器を配備する計画が存在しなかったということを意味するわけではない、と専門家らはみている。バルール・インギムンダーソン氏とウィリアム・アーキン氏の研究によると、冷戦期にアイスランドは核の備蓄基地とみなされていた。
米国の「国家安全保障アーカイブ」(NSA)が発表した、さまざまな書簡や電報からなるこの文書の内容は、1951年11月18日まで遡る。これは、米国がアイスランド防衛を担うことを約した秘密の防衛協定を両国が結んでから半年後にあたる。
両国当局は、ひとつには当時冷戦下で勃発していた朝鮮戦争の存在、そしてもうひとつはアイスランドが軍隊を保持していないことから、こうした取り決めが必要になると考えていた。
最初の電報で、アイスランドのビャルニ・ベネディクトソン外相が、米国のモリス・N・ヒューズ公使に対して英『タイムズ』紙の記事を示している。その記事の中で、エドウィン・ジョンソン上院議員が、核兵器の配備先としては、英国よりもアイスランドや北アフリカ、トルコの方が優れていると述べていた。
ジョンソン議員の考えはアイスランドでは受け入れられないことを分かっていたヒューズ公使は、米国はアイスランドに核兵器を配備する予定はないと「公的に確認」することを推奨している。
つづく電報では、核兵器の配備場所に関する米国の伝統的な「否定も肯定もしない」政策について焦点が当てられている。1951年12月21日の「最高機密」の電報でヒューズ公使は、アイスランド政府との「十分な協議や合意なしに(米国が)動きを起こすことはない」とベネディクトソン外相に秘密裏に伝えることを認可すると米国務省筋から告げられている。
次の電報の時期は1960年、米国のスパイ機U-2がロシアの領空で撃墜されてから間もなくの頃のものである。当時のグドミュンドゥル・I・グドミュンドソン外相がタイラー・トムソン米大使に対して、米国はアイスランド南西部にある(当時の)ケフラビーク空軍基地をU-2飛行のために使用したことがあるか、同基地に核兵器を配備したことはあるか、同基地経由で核兵器を移動させたことがあるかと尋ねている。
これらの質問に対する米国の公式回答は機密指定されたままだが、トムソン大使による回答案では、グドミュンドソン外相に対して、米国はアイスランドに核兵器を貯蔵したこともないし、ケフラビーク基地を通じて(核兵器を)移送したこともないから心配に及ばないとしている。
それ以前の回答案が1週間前に電報で送られており、核爆雷を貯蔵する先進水中兵器貯蔵庫に関する米海軍の条件とその建設中の状況について言及しているが、その件は以後の回答案からは削除されている。明らかに、その施設を建設中だったアイルランド側では、(核爆雷ではなく)魚雷の貯蔵のために施設が使用されると考えていたのである。
今回NSAの報道発表で言及された最後の機密解除文書は、イヴァン・ホワイト国務次官補代理(渉外担当)が送った最高機密の書簡に対するトムソン大使の回答だが、ホワイト次官補代理の書簡については依然として機密扱いされている。
トムソン大使の回答文書は、ホワイト次官補代理が「米国政府は、アイスランド政府と協定を結ぶことなく同国に核兵器を自由に配備できる」と主張した可能性をうかがわせている。
さらに、「もしこれが事実だとすれば、ドワイト・アイゼンハワー政権は『十分な協議と合意』を確認したディーン・アチソン(ハリー・トルーマン政権の)国務長官時代の政策を放棄していたことになる。」
米国が当時核兵器の貯蔵を検討していたのはアイスランドだけではない。西ドイツ、英国、トルコ、ベルギー、オランダ、イタリア、ギリシャもまた検討の対象にあがっていたが、ドイツと英国だけが公式に開示されている。
機密解除された文書に伴う報道発表によれば、核兵器がアイスランドに一度も配備されたことがないのは「確定済みの事実」であるという。
しかし、IDN-INPSが機密解除された文書を平和活動家のエルヴァール・アストラドソン氏にみせたところ、彼はすぐさま、「報道発表の内容は既知のものでしたが、誰もその存在を知らなかった秘密文書に関して、全くは言及していません。」と答えた。
その秘密文書とは、(NATO合意署名3日前にあたる)1951年5月5日に米国・アイスランド間で締結されたNATO合意への附属書と技術的別表である。これらは、アイスランドのヴァルゲルドゥル・スヴェリスドッティル元外相が2007年1月に同省のウェブサイトで公開して初めて注目を浴びることになった。「文書を公開した彼女の行為は、政治家たちの間ではあまり評判がよくなかった」とアストラドソン氏は付け加えた。
アストラドソン氏はさらに、「これらの文書は基本的に、米国にあらゆる行動の自由を許すものです。」と指摘したうえで、「1958年に英国で『核軍縮キャンペーン』(CND)が発足するまで、核兵器の問題についてほとんど関心が持たれておらず、アイスランド国民はこの問題に気づきようがなかったのです。」と語った。
上記の合意の実施に関する附属書は、アイスランド防衛隊(=米軍兵士)を受け入れ、軍事的使用のために適した区域を設定する取り決めに加えて、付属書第10条でこう述べている。「米国の公の艦船及び航空機、米国の軍隊、装甲車を含めた車輌は、当合意の下での作戦に関連して、領海・領土・領空・海洋を含めたアイスランドに進入し、その港と合意された領域との間を移動することを許される。米国の航空機は、合意された場合を除いて、制限なしに、領海を含めたアイスランド領土のいかなる場所においても、その上空を飛行し、着陸することを許される。」
技術的別表第1には、「米国の軍事当局及びアイスランド当局は、軍事的要請の許す範囲において、ケフラビーク地域において米国が建設を希望する構造物や施設の場所に関連して、ともに協議を行う。」と記されている。
NSAは、核兵器がアイスランドに配備されたことはないと主張しているが、核兵器が少なくとも一時的立ち寄りの形で、アイスランドに存在したことを示す多くの証拠がある。
長い歴史を持つ「軍事基地反対キャンペーン」の機関紙『ダグファリ』には、そうした説明が数多くあり、1977年の号では、「反基地活動家らは、核兵器は貯蔵してはならないとNATO合意に明確に規定されているにも関わらず、ケフラビーク飛行場は核基地なのではないかと長らく疑っている。」と報じている。
『ダグファリ』の1999年の別の号では、核兵器がアイスランドに貯蔵されたことがあるかどうかについては疑問が残っているが、「核兵器が海軍の艦船に搭載されてアイスランドの領海を通過したことには疑いがない。」と報じている。
またある号では、アイスランドに駐留した経験のあるアメリカ人が、軍用機に核物質や五つ星の将官を載せていたことを回顧している。
この航空機は、兵器を搭載した航空機のために使用される専用の滑走路を使用していた。「このフライトのことは完全に忘れることだ」とその航空機のパイロットは彼に告げたという。給油の後、この航空機はフライトを続けた。次の日、彼は、この航空機はドイツに貯蔵される核兵器を運んだとみて間違いないことに気づく。1983年から86年の間のいずれかの時期のことであったという。
米軍は2006年に突如としてアイスランドから撤退した。それ以降、かつての米軍基地は、かつて軍によって所有されていた建物や施設を利用して、革新的な産業や技術、教育のためのセンターとして使用されている。
しかし今年初め、米国が、潜水艦監視作戦のため、海上を飛びソナーを使って潜水艦を探知できるように、航空機の格納庫の使用を認めるようアイスランド政府に要請した。
そして今年6月、米国務省高官がアイスランドのリリヤ・アルフレッズドッティル外相と会談し、再び米軍との協力を強化するよう要請した。2006年以降、安全保障環境が変化したとの理由だった。
さらに7月、「戦略国際問題研究所」(CSIS)が報告書を発表し、「NATOは、アイスランドのケフラビーク海軍飛行場を再開し、オーラウスヴァーンの潜水艦支援施設(2009年に閉鎖)を再取得・再開するようノルウェーに求めることで、適切な能力が適切な時に適切な場所で発揮できるようにするために、対潜水艦作戦態勢を最適化することが可能だ。」とする明確な提案を行った。しかしこの提案内容は、いかようにも解釈が可能なものだ。(原文へ)
翻訳=INPS Japan
関連記事: