ニュース内戦状態に陥りつつあるイラク

内戦状態に陥りつつあるイラク

【ベイルートIDN=バーンハード・シェル】

イラクの自由作戦』の名のもとに米国を主体とした有志連合軍がイラクに侵攻してから10年が経った昨年、イラク国内では内戦によりこの5年間で最大の死者数を記録した。今年も年頭から、シーア派主導のヌーリ・マリキ政権の治安部隊とアルカイダ系スンニ派武装組織との間の激しい戦闘が続いている。同スンニ派武装組織は、10年前に米軍支配に対する武装抵抗拠点となった西部アンバール県のファルージャとラマディの大半を制圧している。

国連が発表した統計によると、イラクでは昨年、8868人が死亡(うち民間人が7818人)、1万7981人が負傷したという。

「この悲惨な記録(=死傷者数)は、この地獄の悪循環を食い止めるべくイラク政府が暴力の根源に取り組むことが焦眉の急だということを改めて浮き彫りにしています。」とニコライ・ムラデノフ・イラク担当国連特使は語った。

ムラデノフ特使は、「イラクにおける無差別暴力の深刻な現状」を非難するとともに、ヌーリ・マリキ政権に対して、「社会構造を弱体化させる宗派間の緊張を煽るテロ組織の活動を抑えるために必要な措置をとるよう」呼びかけた。

イラクで宗派間の緊張が高まっている背景には、現在の中東情勢とともにこの国の地政学的な位置が関係している。イラクの宗派構成は、シーア派が60~67%、スンニ派が33~40%であるが、国境を接している周辺国を見ると、東のイラン(シーア派89%、スンニ派9%)を除けば、スンニ派が優位を占める国に囲まれている。具体的には、北のトルコはスンニ派が72%(シーア派25%)、南のクウェートはスンニ派が60~70%(シーア派30~40%)、南西のヨルダンは約90%がスンニ派(1980年代末の数字)、北西のシリアはスンニ派が74%(ただしアサド政権はシーア派の一派であるアラウィ派が中心)、南のサウジアラビアはスンニ派イスラム教が国教となっている。

武力使用による暴力やテロのイラク民間人への影響をモニターしている国際連合イラク支援ミッション(UNIRAQ)によると、12月だけでも、少なくとも759人が死亡し1345人が負傷している。とりわけ、首都バグダッドが最も死傷者数が多く809人、これにニネヴァ(331人)、サラハディン(262人)、ディヤラ(260人)が続いている。

またムラデノフ特使は、イスラム過激派の民兵が警察署を襲撃し、武器庫を占拠、さらに100人以上の囚人を解放した西部アンバール州の情勢について懸念を表明した。

RTネットワークが報じているように、イラクにおける民間人死傷者数を調べているのはUNIRAQのみではない。英国に本拠を置く市民団体「イラク・ボディ・カウント」(Iraq Body Count:IBC)は、イラクの非戦闘員・民間人の死者数を、報道から算出してウェブ上で公開しており、その最新報告によると、昨年イラクで暴力事件に巻き込まれて殺害された民間人の数は9500人近くにのぼっているという。

「イラクで活動を活発化させているアルカイダ系(スンニ派)武装集団は、シーア派住民の他にもイラク人の軍人、警察官、政治家、ジャーナリストを殺害することでシーア派主導のマリキ政権への攻撃を続けている。過去6か月を振り返ると、就寝中に家族全員が殺害された例やイラク国内の聖地において一度に5人や12人のイラク人家族を殺害された例など、武装集団によるテロ行為は陰惨を極めている。」とIBC報告書は記している。

大殺戮の年

RTネットワークは、2008年以来最も死傷者が多かった2013年のイラク情勢について「大殺戮の年」と報じた。戦後イラク国内の死傷者数は2006年から2007年にかけて最悪だったが、2007年にジョージ・W・ブッシュ政権が打ち出した「サージ(増派)戦略」(戦後の治安維持のために20,000人規模の米軍がイラクに増派された:IPSJ)が功を奏し、しばらくの間事態が好転した。しかし2011年に米軍がイラクから完全撤退すると、10年近く続いた戦争の戦後処理と国家再建はイラク人自身の手に委ねられた。そしてまもなく、かつて国を分裂の淵に陥れかけた宗派・民族間の深い溝が、米軍という重石を失って再び頭をもたげてきたのである。

テロリストや各宗派の武装集団が、学校やモスク、込み合う市場などで、女性や子ども、身体障害者、そして巡礼者さえも標的とする無差別テロを繰り返している今日のイラクでは、ほぼ毎日国内のどこかで数人のイラク人が命を落としている。そして、葬儀で犠牲者の遺体を収めた棺桶のそばに佇む悲痛な表情の遺族の姿がイラクの日常の風景となってしまっている。

ビル・バン・オーケン氏は、「世界社会主義者ウェブサイト」への寄稿文の中で、「2013年に暴力が激化し死亡者数が急増した背景には、4月に北部キルクーク近郊ハウィジャ(バグダッド北方約240km)のスンニ派住民の抗議者たちの集まる野営地を、(シ―ア派主導の)マリキ政権の命令をうけた軍の治安部隊が襲い、50人を殺害した事件がきっかけとなっている。」と記している。

「ところが治安部隊が12月30日にラマディでスンニ派住民の抗議者たちの集まる野営地を襲撃(少なくとも10名を殺害)したところ、激しい反撃にあい、ラマディやファルージャの大半と周辺の街が反体制派の手に落ちることになった。翌日マリキ首相は、住民の反発を鎮めようと、抗議者たちの要求項目の一つであったアンバール州のスンニ派住民居住区から治安部隊を撤収させ、警察に治安を担当させるとの声明をだした。」

「しかし、重武装の反体制派民兵が1月1日までにラマディとファルージャで警察署を襲撃し、少なくとも100人の囚人を解放、武器庫から武器を強奪したうえ、多くの建物を焼き払った。警察官らは大半の場合、抵抗することなく、持ち場を放棄して逃亡した。」とオーケン氏は記している。

この事態にマリキ首相は前言を撤回し、ラマディ、ファルージャ方面への治安部隊の追加投入を決定。1月2日までに両市を包囲した同治安部隊は、市内の一部に対して砲撃と空爆を加えたと報じられている。

AFP通信がイラク内務省の発表を伝えたところによると、ファルージャの半分がスンニ派武装組織「イラク・レバントのイスラム国」(Islamic State of Iraq and Levant, ISIL)の手に落ち、残り半分は他の武装勢力に支配されているという。また、ラマディの場合も街の一部がISILや他の武装勢力の手に落ちるなど状況は似通っていると報じている。

またAFPはラマディに派遣した特派員が「ISILを讃える歌を歌う重武装の兵士たちを乗せ、ISILがよく使う黒い旗をたなびかせた数十台のトラックが街の東部地区を走り抜けていくのを見た。」と語る映像を流している。

アルカイダとの関連

バン・オーケン氏によると、アルカイダ系武装組織『イラク・レバントのイスラム国(ISIL)』は、西側諸国が支援しているシリアの『反政府』勢力を構成する主要組織の一つで、シリア北部を掌握後、シリア-イラク国境を度々超えて、イラク各地で車載爆弾テロやイラク軍兵士、警察官、他宗派(スンニ派以外)の住民を標的とした攻撃を繰り返している。この過激派組織は、シリアとイラクに跨るスンニ派イスラム教徒のためのカリフ制国家の樹立を目的としていると明言している。

バン・オーケン氏は、「スンニ派住民による反政府抗議活動の背景には、少数派のスンニ派政治家を排除したりスンニ派住民を圧迫したりするシーア派主導のマリキ政権に対する不満がある。マリキ首相は、アルカイダ系の武装組織ISILに対する対策を口実に、こうしたスンニ派住民による反政府運動を暴力的に弾圧しようとしている。」と記している。

マリキ首相はその一環として、スンニ派政治家や支援者を「テロリスト」呼ばわりしており、治安部隊をラマディに投入する直前、スンニ派国会議員アフメド・アルワニ氏の自宅にも部隊を派遣し、同議員を拉致、家族や警備員を殺害した。この事件を受けて、主にスンニ派の国会議員44人が辞職している。

マリキ首相は、12月に、スンニ派抗議者たちが集まる野営地を解散するよう最後通牒を通告した際、抗議運動の拠点を「アルカイダ指導部の本拠地だ」と説明した。

「この独善的な政府声明は、スンニ派住民の間に政府に対する強い憤りを募らせた原因はマリキ政権自身によって遂行されてきたスンニ派差別政策(行政サービスの欠如、治安当局による無差別の家宅捜査、数千人規模の容疑なしの逮捕・収監、バース党員の公職追放等)にあるという事実を覆い隠そうとするものである。」とバン・オーケン氏は記している。

マリキ政権は、「単にアルカイダ掃討作戦を行っているだけだ」として、米国とイラン双方から軍事援助を受けており、自らが特定の宗派に肩入れする政策を進めることが、スンニ派民衆の間に怒りを生んでいることをごまかそうとしている。米国政府は、短距離空対地ミサイル「ヘルファイアー」をはじめとする先進兵器をイラク軍治安部隊に提供することに合意、ミサイルの一部は1月2日の治安部隊によるファルージャ包囲作戦で使用されたとの報道もある。

こうしてアンバール州でスンニ派反政府勢力と政府治安部隊の間の戦闘が続く中、イラク各地で新たな暴力行為が噴出している。1月2日夜には、バクダッド北東45キロの街バラドルズの商業地区で、爆発物を満載したピックアップトラックに乗った男が自爆した。シーア派とスンニ派双方の住民を標的としたこのようなテロ攻撃が毎日のように発生している。

バン・オーケン氏は「イラクの人々は10年以上に亘った米国主導の略奪的な戦争に苦しみ、その代償を払わされてきた。また8年に及んだ米軍による占領下では、数十万人のイラク人が命を奪われた一方、(宗教間の)派閥主義を、国民を分断し征服する手法として利用する政治制度が国民に押し付けられた。マリキ政権はこうした政治制度の所産にほかならない。」と指摘したうえで、「米国が軍事援助を通じてイラクのマリキ政権へのテコ入れをしているにも関わらず、米国の同盟国であるサウジアラビアと湾岸諸国の君主らがシリアとイラク双方のスンニ派イスラム原理主義戦士への支援を行っているため、今やシリアの宗派間内戦が国境を越えてイラク全土に飛び火してきている。」と記している。(原文へ

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

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