地域アジア・太平洋政治的奈落に落ちるネパール(シャストリ・ラマチャンダランIDN-InDepth News編集委員)

政治的奈落に落ちるネパール(シャストリ・ラマチャンダランIDN-InDepth News編集委員)

【ニューデリーIDN=シャストリ・ラマチャンダラン】

ネパールで最初に死んだのは民主主義か、議会か、それとも憲法だろうか?憲法なしに選挙を行うことは可能だろうか?憲法が存在しないのに大統領が「憲法上の象徴元首」でいられるのだろうか?国会議員でなければならない首相が、議会(それが制憲議会と呼ばれていたとしても)がないのに首相職にとどまることができるのだろうか?

こららは、ネパールにおいて複数政党が行った民主主義に対する裏切りによって生み出された難問の一部である。ネパールの人々は、民主的な秩序を求めるこれまでの歩みの中で、何度も挫折や後退を経験しており、むしろこうした事態に慣れてきた経緯があるが、それでも、現在の政治空白は、ネパール史上最悪のものといってよいだろう。最初の失敗は60年前の王政復古であった(その後、国王がクーデターで議会を解散、政党を禁止し、国王に有利な間接民主制「パンチャヤット制」を施行した:IPSJ)。それから40年後の1990年、複数政党制が復活し、新憲法と初の暫定連立政権の下で、1991年には総選挙を実施された。

 
それ以来、多数の政党と首相が富と権力を巡って目まぐるしい闘争を繰り広げ、ネパール国民はこの偽りの民主主義の体裁を維持するための投票要員として扱われてきた。

当時ネパールでは、複数政党制民主主義とは、単に複数の政党が、経済発展も包括的な政治秩序も追求することなく、民衆を犠牲にして党利党略に終始することを意味していた。このように統治能力が欠如した政治体制の下では、開発資金は不正に流用され、貧困に喘ぐ大多数の国民が置かれている困難な状況を改善しようとする試みはなされなかった。国際社会は復活した民主政府に対して多額の支援を行ったが、結果は、新興の寄生的エリートを焼け太りさせたのみで、世界有数の最貧国であったネパールの状況が改善されることはなかった。こうしたことから、立憲君主制と複数政党制民主主義の二本柱は、必然的に、議会の共産党と袂を分かったネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)ゲリラの攻撃対象となった。

「人民戦争」

こうしてネパールは、1996年からインドの仲介でマオイストが政治復帰に合意した2006年までの10年間に亘って、史上最も凄惨な内戦の一つとされる「人民戦争」を経験した。戦火が止んだ時、マオイストは既に政治的に主流の地位を確保していた一方で、議会の諸政党は、実行力の欠如から国民の支持を大きく失っていた。その結果、暫定憲法の下で行われた2008年の総選挙では、マオイストが議会第1党となり、連立内閣を組織した。

同年に成立した暫定議会は、制憲議会と呼ばれ、新たに宣言されたネパール連邦民主共和国の憲法を2年以内に策定する使命を帯びていた。しかし、予想通り、党派対立が再燃し4年間に4人の首相(プラチャンダ→マダフ・クマル・ネパール→ジャラ・ナオ・カナル→バブラム・バッタライ)が目まぐるしく交代する一方で、制憲議会の会期は延期され続けた。この間、和平プロセスに関しては、マオイスト軍戦闘員の国軍編入問題などに前進(2万人の兵士のうち9000人を軍や警察に編入し、7000人余りは社会復帰させることで合意:IPSJ)が見られたが、主要任務である制憲合意に至ることはできなかった。

ネパールの政局がここまで混乱をきたすとは誰も予期していなかった。当然ながら、制憲議会が憲法制定に漕ぎ着けられずに会期を終えるという事態も全く想定されていなかった。マオイストのバブラム・バッタライ現首相には、ネパールが今日の政治的、法的、憲法上の混乱状態に陥った責任があるが、少なくとも2009年3月には、145条からなる新憲法草案を与党(ネパール共産党統一毛沢東主義派及びマデシ人権フォーラム)から提案している。しかし主要野党のネパール会議派(NC)及びネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(CPN-UML)は、この与党案の受け入れを拒否した。

連邦主義
 
与党連合の提案は、ネパールを、民族を基盤とした連邦国家に移行させるというものだった。しかしネパール会議派(NC)及びネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(CPN-UML)は、連邦案に真っ向から反対し、両者の合意が見られないまま今期制憲議会の期限である5月27日を迎えた。それに先立ち、ネパール最高裁は、すでに4回も会期を延長していた制憲議会のこれ以上の延長を認めず、憲法制定作業を完了せずに会期を終えた場合は、改めて総選挙を実施するべきとの判断を下していた。

結局、ネパール会議派(NC)及びネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(CPN-UML)は、マオイストが選挙を回避するために連邦案で妥協すると睨んで、攻勢に出たが、マオイストは妥協せず、すんなりと制憲議会の任期を終了させるとともに、あらたな制憲議会の形成を目指して11月に選挙を行うことを宣言した。

しかし宣言はしたものの、選挙の法的根拠となる憲法が存在しない状況下で、実際に実施するまでには様々な課題に直面することになるだろう。現実的に、選挙を実施するには、少なくとも与野党の主要4党全てが合意できる枠組みが構築されなければならない。しかし、そのような枠組みは、4党が協力して統一政府を樹立しない限り不可能である。

しかし今日の激しい党派対立の現状を見る限り、そのような協力体制は望めそうもない。今後事態が収まり、国民に信を問う以外に方法はないとこれらの主要政党が気づくとき、彼らは良識ある行動を取ることになるだろう。しかし、それとても希望的観測に過ぎない。それにしても、マオイストが選挙に訴えようとする一方で、「自由民主主義」をうたう諸政党がそれに反対しているのは奇妙な現象である。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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