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│イスラエル│学校の壁のあたらしい標語

【クファール・カラIPS=ピエール・クロシェンドラー】

ワディ(正式名:「ワディにかけられた橋」)小学校へようこそ。この学校はイスラエルにある「ユダヤ・アラブ教育センター」が始めた「手に手を取って」プロジェクトによって設立された5つの「2民族・2言語学校」のひとつである。

「ユダヤ・アラブ教育センター」では、生徒たちが将来、分断されているユダヤ系及びアラブ系コミュニティーの懸け橋となる人材へと成長することを願って、両コミュニティーから子供たちを受入れ、ヘブライ語とアラビア語によるバイリンガル教育を実施している。

イスラエルには約3000の小学校があるが、殆どがユダヤ系或いはアラブ系の子どものみを対象としたもので、両民族の子どもが共に学んでいるのはわずか7校しかない。

中でも、ワディ小学校はユニークな位置を占めている。というのも、この学校は唯一他の2民族学校と異なり、アラブ系住民が圧倒的多数を占める町(クファール・カラ:イスラエル北部ハイファ南東35キロに位置する人口15,300人の村)に設立されているからである。この学校ではむしろアラブ系の子どもたちがユダヤ系の子どもを迎える形になっている。

ハッサン・アグバリア校長は「ここは(アラブ系が多数を占めるコミュニティーですが)アラブ系の学校ではありません。地元では変わった存在です。」と指摘したうえで、「当校では、『他人を受け入れよう』、『他人に平等な権利を与えよう』、『他人と共に歩んでいこう』、『少なくとも学校においては、互いを知り、共同で生活することによって、平和は達成できる。』というスローガンを提唱しています。」と語った。

主流派のユダヤ人が少数派アラブ人に属するパレスチナ人と紛争関係にあるイスラエルにおいて、両者の子弟が共に学ぶ学校が、しかも、アラブコミュニティーの中に存在しているのは、極めて珍しい。今日、イスラエルの人口の5人に1人がアラブ系イスラエル人である。

イスラエル政府は独立宣言の中で、「民族、信条、性別に関わらず、全ての市民に対して、社会的・政治的平等を保障する。」としている。

しかし実際には長びく紛争の中で、アラブ系イスラエル人には、ユダヤ国家を自認する政府から、常に国家に対する忠誠心を疑われ、宗教や政治信条に基づく不当な扱いや差別に晒されてきたという複雑な感情がある。

「ここ(ワディ小学校)では、子どもたちの目に入るのはユダヤ人でもアラブ人でもなく、同じ人間なのです。」とユダヤ系コミュニティーであるカジール村出身のウリ・レフノール氏は語った。

学校の壁には、「(世界を変えるためには)まず自分たちに変化を起こさなければならない。」というマハトマ・ガンジーの言葉が、ヘブライ語とアラビア語両方で掲げられていた。民族対立が続く厳しい環境にもかかわらず、あえて自らの子どもをこの学校に送り出した親たちこそ、まさに既存の秩序からの変化を呼びかけたガンジーのこの言葉に応えた人達といえるだろう。

「私たちは誰かが変化を起こすのを待っていてはいけないのだと思います。」とカジール村出身のオフリ・サデー氏は語った。

(ワディ小学校がある)ガラリア地方では約20,000人のユダヤ系住民に対してアラブ系イスラエル市民が人口の大半(約150,000人)を占めている。

全校生徒238人の内、現在アラブ系の生徒は約60%を占めている。全ての教室でアラビア語とヘブライ語による2か国語教育が実施できるように、各教室にはアラブ系とユダヤ系の教師が一人ずつ配置されている。

しかし掲げられている崇高な理念はさておき、学校関係者はイスラエル社会が抱える複雑で厳しい現実に直面しながら、学校運営を切り盛りしている。また、この学校に子どもを送り出した両親の動機や期待も各々の民族が置かれている状況を反映して様々である。例えば、ユダヤ人の親たちは子どもたちを通じて、イスラエル社会に平和と調和がもたらされるという長年の夢が実現することを漠然と期待している。

「私たちの子どもにとって、この学校での経験は私自身や夫にとって重要な価値観を身に着ける機会なのです。子どもたちには私たちよりもより良い人間になってほしいのです。」と、カジール村出身の3人の子どもの母親でワディ小学校に隣接した幼稚園に勤務しているノガ・シトリット氏は語った。

一方、アラブ系の親たちも、子どもたちをここに通わせることで、アラブ系イスラエル人にもユダヤ人と同様にイスラエル社会で立身出世する機会が与えられるようになるのではないかという漠然とした期待を抱いている。「ここ(ワディ小学校)は最高の学校です!」と地元カフル・カラ在住のクファール・カラ氏は語った。

記者が取材に訪問した際、2年生の生徒たちは、故ネルソン・マンデラ元南アフリカ共和国大統領への敬意を込めて、同氏が残した「教育は、世界を変えるために私たちが使える最強の武器だ。」という言葉について学習していた。以下に授業でのやりとりを紹介する。

まず一人の教師が「人間は、肌の色、言葉、性別、ユダヤ人かアラブ人かというアイデンティティで人を差別します。」とヘブライ語で語りかけた。

すると「マンデラ氏はこの点について、『私たちは違っている。しかし平等だ。』と言っているのです。」と別の教師がアラビア語で割って入った。さらにこの教師はマンデラ氏と米公民権運動の指導者マーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師を混同しつつ「彼には夢がありました。それはどんな夢でしょう?」と生徒に尋ねた。

するとある生徒が「平和な世の中になることです。」と答えた。またある生徒は、「戦争を止めることです。」と答えた。アラブ人とユダヤ人からなるクラスの生徒たちは、まさに親たちの抱いている夢と同じ夢を見ているのだ。

さらに教師が「ユダヤ人とアラブ人は……」と問いかけると、生徒たちが声をそろえて「違っている!」と答える。すると教師がすかさず「違っている。でも平等」と訂正していた。

「私たちは平和の糸が、子どもたちの人生という布地に紡がれていくように、学校の授業を通じて、子どもたちにこうした教育的価値観を教え込んでいます。今では、子どもたちは、(従来の固定観念に縛られない)新たな考え方を意識するようになっており、時にはこのことで困難な状況に巻き込まれることもありますが、勇気を振り絞って自らの主張を述べています。」と副校長のマーシャ・クラスニツキ―氏は語った。

ワディ小学校では、先生たちの指導の下、アラブ系及びユダヤ人の子ども達が、遊びを通じて、お互いの祝祭日について楽しく学んでいる。

しかし「ホロコースト記念日」や「戦没者記念日」といったユダヤ国家として全国的な追悼記念日になると、昔からの対立感情が頭をもたげてくるのが現実である。例えば1948年のイスラエル建国は、パレスチナ側から見ると、民族にとってのナクバ(大災厄)と呼ばれているものにほかならなかった。ワディ小学校では、先生らが生徒たちに、こうした歴史的出来事の記憶に煩わされない共通の経験を持たせようと努力している。

「ここは、イスラエル社会のための実験室に他なりません。私たちはイスラエルが60年以上に亘って取り組んできた諸問題への回答を提供しようとしているのです。少しずつですが、私たちは、ここイスラエルで、ユダヤ人とアラブ人が各々のアイデンティティを明らかにしても恐れることなく過ごしていけるビジョンに一歩ずつ近づきつつあります。」とアグバリア校長は語った。

ちなみに子どもたちの間で日常話されている言語は、圧倒的にヘブライ語である。アラビア語も建前上はヘブライ語と並んで第一公用語とされ、学校では教科書にも両言語が使用され学習の対象となっているが、実際には日常生活のあらゆる面において、ヘブライ語が圧倒的に優越し、アラビア語では生活できないようになっている。また一旦学校を離れれば、アラビア語は敵性言語として捉えられていることが少なくないのが今日のイスラエルの現状である。

暫くすると突然雨が降ってきたため、生徒たちは校庭の隅の小さな軒下に駆け寄り、互いに身を寄せ合った。こうして仲良く遊ぶ子ども達の姿は一様に同じで、そこにユダヤ人とアラブ人の違いを見出すことはできなかった。今年で、2民族・2言語学校「ワディ小学校」が設立されて10年が経過した。(学校をとりまく厳しい社会環境を考えれば)それだけでも祝福するに値するのではないだろうか。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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