【国連ニュース/INPSJ=ナルギス・シェキンスカヤ】
「4年前、セミパラチンスク核実験場跡地を訪れたとき、360度あれだけの荒涼とした大地を目の当たりにして、私は本当に衝撃を受けました。」と、日本の非政府組織(NGO)創価学会インタナショナルの寺崎広嗣平和運動総局長は国連ニュースサービスのインタビューに応えて語った。
核兵器禁止条約第2回締約国会議の一環として、ドキュメンタリー映画「私は生きぬく:語られざるセミパラチンスク」が ニューヨークの国連本部で先行上映された。この映画は、カザフスタンのNGOである国際安全保障政策センター(CISP)が創価学会の支援を受けて制作したものである。
この映画は、ソビエト連邦の主要な核実験場であったセミパラチンスク核実験場にまつわる出来事と核実験により被害を被った人々に光を当てたものである。被爆者らによる率直な証言を通して、核実験がこれまで三世代にわたって地元住民に与えた被害の大きさと今日も続く苦しみを明らかにしている。
秘密施設
セミパラチンスク核実験場での最初の爆発実験は1949年8月29日に行われ、89年までこの秘密施設では地上と地下の両方で少なくとも468回の核実験が行われた。
ソ連時代の40年間にわたり、夥しい数の地域住民が被曝した。当時、このことについて語ることは禁じられていた。真実が明らかになったのは、カザフスタン共和国がソ連から独立してからである。
核実験場での最後の爆発は1989年10月に起こった。1991年8月29日、大統領令によりセミパラチンスク核実験場は閉鎖された。
現代の被爆者
セミパラチンスク実験場跡地で最も危険な地域では、残留放射線が未だに毎時10~20ミリレントゲンに達している。にもかかわらず、周辺地域にはまだ人々が住んでいる。最近まで、地元住民は汚染された土地の一部を放牧に使っていた。
「戦争で被爆を受けた唯一の国は日本。広島、長崎です。この地の被害者を被爆者と呼んできたわけですけれども、そういう意味では今まで核実験とか、場合によっては核物質の採掘に従事する人々も被爆しているわけです。今までは被害者と呼んできましたが、今はそれら全ての人たちを含めて『グローバル・ヒバクシャ』と呼ぶことが多くなっています。」と寺崎総局長は語った。
「HIBAKUSHA 」は日本語に訳すと「被爆者」である。2014年現在、192,719人の広島・長崎の被爆者が生存している。被爆者の多くは、原爆投下後に晒された放射線被曝が原因で深刻な癌を患っている。
日本の法律によれば、被爆者には、核爆発前と爆発後2週間以内に爆心地から数キロ以内にいた人、そして、放射性降下物に被曝した人、被曝した女性から生まれた子供が含まれる。日本政府は被爆者に毎月手当を支払い、医療を提供している。
何百年も続く汚染
創価学会(創価とは価値創造の意)は、13世紀鎌倉時代の仏教の僧、日蓮の教えに基づく運動体である。核兵器のない地球の未来を積極的に提唱している。ソ連時代に原爆実験が行われた中央アジアのカザフスタンも、核兵器のない世界を求める運動に積極的に参加している。
セミパラチンスク核実験場は、プルトニウムの放射線は2万4千年ごとに半分ずつしか減少しないため、非常に長い間危険をもたらす可能性がある。カザフスタンの人々の後の世代の健康へのリスクは、何世紀にもわたって続くだろう。
「世界各地に被爆者がいることを多くの人に知ってもらうためには、証拠を集め続けることが必要です。よって、カザフスタンの友人やパートナーと一緒に、このドキュメンタリー映画の製作事業を進めることにしました。私たちの努力はその影響力を結集することに重要な役割を担っています。国際社会は、グローバル・ヒバクシャについて認識する必要があります。」と寺崎総局長は語った。(原文へ)
INPS Japan
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