この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。
【Global Outlook=ハルバート・ウルフ】
欧州に戦争が戻ってきた。何ということだろう。今年の初め、われわれは自らに問うたものだ――冷戦が戻ってきたのか? ところが、今や熱い戦争となってしまった。これは欧州で初めての戦争ではない。北アイルランド、数度のバルカン戦争、ジョージア、モルドバでも戦争があった。今回、われわれは古い東西軍事ブロック間の対立に舞い戻ってしまったようだ。西側の政治家やメディアはこれを、ベルリンの壁の崩壊とアメリカ同時多発テロ事件(9/11)に続く3度目の歴史の転換点だと呼んでいる。現在のところ、外交と経済協力の時代は終わりを告げた。対立とエスカレーションが検討課題となっている。この壊滅的な戦争からいかにして抜け出すことができるだろうか。それには三つのことが重要だ。すなわち、ウクライナへの支援、この戦争が始まってしまった理由に関する地に足のついた分析、そして現実的な出口戦略の策定である。(原文へ 日・英)
ウクライナへの支援
2月最終週の安全保障政策の劇的な変化を見るにつけ、それはまさに転換点と呼ぶにふさわしいものだ。プーチンの戦争は西側の外交・安全保障政策における多くのタブーを打ち破ることにつながった。ウクライナには前例のない量の兵器が持ち込まれている。欧州連合(EU)はウクライナ政府が兵器を購入できるよう、史上初めて軍事支援として4億5千万ユーロを拠出した。この資金は興味深いことに「平和基金」と呼ばれている。ドイツは武器輸出に関する従来の規制を抜本的に転換するとともに、ドイツ連邦軍の迅速な強化のために一度に1,000億ユーロの特別基金を一度増額すること、さらに、従来異論が強かった対GDP比2%を軍事支出に充てるというNATO目標を上回る投資を行っていく方針を表明した。NATOは即応部隊を東側の境界に移動させた。また、ロシアに侵攻の大きな代償を払わせるため、3種類の新たな経済・金融制裁を発動している。
ウクライナ難民の状況を見ても、転機を迎えているといえよう。EUでは長年にわたり、中東や北アフリカの戦災国から流入する難民受け入れの公正な分担を巡って争いが絶えなかった。ところが今や、バルト諸国やポーランド、オーストリア、ハンガリー、スロベニア、デンマークといった、従来歩み寄ることを拒んできた国々が最大400万人に上ると見られているウクライナ難民を積極的に支援するようになっている。
こうした支援が、ウクライナの軍隊や勇気ある人々を力づけて、ロシアのハイテク戦争マシーンを阻止、或いは反転させることができるかどうかは評価が難しい。戦争の始まりの時の常であるが、両者が発信する虚実入り乱れる情報戦は軍事作戦の一部であるからだ。しかし、ロシアのメディアがこれを戦争や侵略と呼ぶことを許されていないのは、そのことを物語っている。
数十万の人々が西欧や各地の街頭を埋め、戦争終結を叫んだ。ウクライナに対して全面的に政治的・経済的・人道的・軍事的支援と行うことと、無謀にも国際法を犯したロシアを非難することについて、異論はほとんど見られない。欧州の外交・安全保障政策の基礎の一部が、わずか数週間で放棄されてしまったかのように思える。なんと“すばらしい新世界”なのか!!
何故、このような混乱に陥ったのか
振り返って過ちを分析しておくことは重要だ。過去の過ちを現実的に評価しておくことが、戦争の原因を解き明かし、さらなるエスカレーションを予防する基礎となるからだ。西側の過誤と逸脱についてはこの数カ月間論じられてきた。最初の過ちは、ロシアを欧州の安全保障の枠組みに統合する「欧州共通の家」という概念をミハイル・ゴルバチョフが提唱した1990年代にさかのぼる。興味深いことに、ウラジーミル・プーチンも、2001年にドイツ議会において(完璧なドイツ語で)行った演説で同じような言葉を使っていた。その時彼は「欧州と全世界の人々の安全保障を確実にするための近代的で、永続的で、安定的な国際安全保障の枠組み」について語っていたのである。それは20年前のプーチン大統領であって、今日のプーチンではない。
次の、恐らくより重要な過ちは、2008年にジョージアとウクライナに対してNATO加盟への道を開いたことだ。NATO内部での意見の不一致によって、この提案は加盟行動計画に発展することはなく、その後沙汰止みになっていた。しかし、NATOが東方に拡大したのは、元ワルシャワ条約機構諸国が加盟を望んだからだ。NATOは全ての新規加盟国に部隊を派遣し、ポーランドとルーマニアにはミサイル防空システムも展開した。NATOの東方拡大と同等に心理的に大きかったのは、ロシアが弱体化している時に「上から目線」で対応してしまったことだ。
これら全ての失敗や、機会を逸したからといって、それを理由に、主権国家への一方的な侵攻を正当化することは決してできない。ロシアの大統領は、自身がかつて兄弟姉妹と呼んだ国を攻撃することで、その醜い相貌を見せている。ロシア政府は自国の安全保障に専心し、自国とNATOの間に緩衝地帯を置くことを望んでいる。これは欧州列強による19世紀の思考法だ。合意された勢力圏の時代は終わりを告げたはずだ。プーチン大統領のように、ソ連の崩壊を根本的な壊滅と呼び、前世紀最大の悲劇と見ることは、ホロコーストを無視することになる。しかし、プーチンは長らく、「偉大なる」ロシアを復権することに執着してきた。クリミアの併合、ドンバス地方の分割、ジョージアとの戦争はこの観点から全て説明できる。選挙で選ばれたウクライナ政府を「軍事独裁・麻薬中毒・ネオナチ」などと言うに堪えない言葉で罵り悪魔呼ばわりすることは、いかに現実離れの発想をしているかの証左だ。ロシア大統領の言葉遣いと態度は、侮蔑と憎悪に満ちている。NATOが1999年にコソボで(そして、多国籍軍が2003年にイラクで)国際法に違反したことは、ロシアによるクリミア併合や今回のウクライナ侵攻の言い訳にはならない。
現在の袋小路からいかにして抜け出すのか?
明らかにロシアは「強硬手段」に出たようだ。既に知られているとおり、欧米の指導者らが依然としてロシアの政治・安全保障上の目的について推測し、大規模な部隊の展開は脅しに過ぎないのではないかと考えているうちに、ロシアによる周到な戦争準備はかなり進んでいたのである。クレムリンへの訪問と連日の電話攻勢という土壇場の外交努力が実を結ばなかったのは明白だ。プーチン大統領は明らかに、NATOによる「包囲」と自身が見なす現状の変更あるいは修正を狙っている。安全の保証に対する要求が実現しなかった時、彼は軍事力を優先した。プーチン大統領による恣意的な歴史解釈からすると、独立したウクライナという選択肢はなかった。
この安全保障政策対決の最終的な帰結がどうなるかはまだわからないが、少なくとも四つの結果は見えている。
第1に、ロシアは明らかに、クリミア併合した後の数年間と比較して、ウクライナの自衛能力と意志を過小評価していた。
第2に、西側同盟の間に楔を打ち込もうとの目論見は外れた。それどころか、ロシアの暗躍と攻撃姿勢は、西側諸国政府をかえって対ロシアで結束させてしまった。フランスのエマニュエル・マクロン大統領が「脳死状態」に陥っていると2019年に評したNATOは、この20年間で最も活性化している。また、EUがこれほど連帯していることも長年なかった。
第3に、冷戦終結とともに忘れ去られていた「勢力圏」という概念が復活した。また、プーチンが核戦力を警戒態勢に置くという命令を下したことを受けて、1960年代の「相互確証破壊」概念も復活した。
最後に、デタントの基本原理の一つであった「貿易を通じた融和」は、現在のところ見込みがない。
では、ロシアにどう対処すべきか。どんな戦略が合理的で、あるいは推奨すべきなのか。現在のところ、西欧諸国の戦略は、中期的な企図として軍事力を強化し、ロシア経済を孤立化させ罰を与えることを基礎としている。こうしたアプローチは現状からすれば理解できるものだし、合理的なようにも見えるが、長期的には説得力がない。
何を目的とした軍事力強化なのだろうか。 西欧諸国は既にロシアの4倍もの予算を軍備に費やしている。われわれが必要なのは、制御不能な軍拡競争を始めることではなく、冷静に戦略的対話を行うことだ。現在の制裁体制の経済的コストは西側諸国よりもロシアにとってより高くつくだろう。政治的にみて、ロシアは、(全ての国によるものではないかもしれないが)孤立する時期を経験する可能性が高い。しかし、欧州の安全保障の未来はどんなものだろうか。冷戦期のデタントの局面から、今日の状況が学べることは何だろうか。デタントの政策は順風満帆な状況下で生まれた戦略ではなかった。それどころか、それは緊張が高まり戦争勃発が危惧された時期に開始されたものだった。もちろん、多元的な世界秩序という異なったグローバル環境の下では、東西2つの軍事ブロック間で実行されたデタントという方式は今日の状況に活かせる青写真とはならない。この局面において最も重要なことは、ロシアの最大の貿易相手である中国がどう動くか、ということだ。
こうした認識は困惑を生むかもしれないが、欧州さらには中東の安全保障は、ロシアに対抗していては不可能であり、ロシアとともにあるものでなければならない。しかし、その相手がプーチンの専制主義的なロシアである必要はない。この戦争がロシアの政治体制にどのような結果をもたらすか誰が予想し得ようか。ロシアのウクライナに対する卑劣な攻撃、あからさまな核兵器使用の威嚇、戦争拡大の危険とくれば、欧州の対ロシア戦略は完全なる再考を迫られることになる。安定的な安全保障枠組みに到達するには、多くの前提条件がある。
この戦争が続く限り、デタントを提案するのは時期尚早だが、長期的にはそうした政策が必要だ。他方で、紛争の鎮静化も必要である。ロシアと西側諸国は現在、エスカレーションの途上にある。紛争を鎮静化し、面子を保つ機会をプーチンに与えないまま現在の道を突き進むのは賢明とはいえない。
欧州で軍備を整え軍事力を強化するのは理解できる反応ではある。しかし、軍事力だけでは不十分だ。デタントによって補強された軍事力と抑止という、「二本足で立つ」かつての概念にNATOが戻るとすれば、それは前進だといえるだろう。経済的相互依存が緊張を緩和し軍事的紛争を回避するという希望はもはや現実的ではない。このことをより視覚的に粗雑に表現するならば、ロシアの戦車が天然ガスのパイプラインをなぎ倒した映像を想起するとよいだろう。この影響はおそらく長期に及ぶであろう。
長らく認識されてはいたが、現実の帰結に結びついていなかったもう一つの教訓は、EUは米国への依存度を減らすために協働して事に当たらねばならないということである。そのためには、共通の政策と加盟国間の協力が欠かせない。しかし、一貫した共通の立場はしばしば崩れる。なぜなら西側社会では、必ずしも全ての政府が自由や民主主義の価値を尊重しているわけではなく、自国に経済的悪影響が及ぶ恐れがあれば、圧力を避けたり屈したりしてしまうことがあるからである。
突き詰めるならば、これは、ドイツと欧州が東西勢力圏に分割された1945年のヤルタ会談へとわれわれは回帰したいのか(皮肉にもヤルタはクリミア半島の海辺のリゾート地である)、それとも、国家主権、現在の国境の不可侵、武力の不使用、人権の尊重、経済・科学・技術・環境における協力を含む一連の原則に合意した1975年のヘルシンキ宣言へと回帰したいのか、という問題なのである。
ハルバート・ウルフは、国際関係学教授でボン国際軍民転換センター(BICC)元所長。2002年から2007年まで国連開発計画(UNDP)平壌事務所の軍縮問題担当チーフ・テクニカル・アドバイザーを務め、数回にわたり北朝鮮を訪問した。現在は、BICCのシニアフェロー、ドイツのデュースブルグ・エッセン大学の開発平和研究所(INEF:Institut für Entwicklung und Frieden)非常勤上級研究員、ニュージーランドのオタゴ大学・国立平和紛争研究所(NCPACS)研究員を兼務している。SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の科学評議会およびドイツ・マールブルク大学の紛争研究センターでも勤務している。
INPS Japan
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