地域カリブ海地域核戦争から世界を救った男

核戦争から世界を救った男

この記事は、Ground Zero Centerが配信したもので、同団体の許可を得て転載しています。

【ポールスボ/ワシントンIDN=グレン・ミルナー、レオナルド・アイガー】

核兵争の可能性がキューバミサイル危機のときと同じくらい高い今、私たちは1962年のまさにその危機の最中に、米軍の水上艦に対する核攻撃を阻止したソ連の潜水艦将校、ヴァシーリー・アルヒーポフの物語を思い出すことが重要である。

その時、ソ連の潜水艦がたった1発の核兵器でも使用していたならば、地球規模の核の応酬が引き起こされていただろう。

This U-2 reconnaissance photo showed concrete evidence of missile assembly in Cuba. Shown here are missile transporters and missile-ready tents where fueling and maintenance took place.・By CIA - ImageTransferred from en.wikipedia, Public Domain
This U-2 reconnaissance photo showed concrete evidence of missile assembly in Cuba. Shown here are missile transporters and missile-ready tents where fueling and maintenance took place.・By CIA – ImageTransferred from en.wikipedia, Public Domain

1962年秋、ソ連のニキータ・フルシチョフ首相は、キューバに中距離弾道核ミサイルの配備を秘密裏に開始した。1962年10月22日、ジョン・F・ケネディ大統領は、キューバに向かう敵性軍事貨物を海上で「検疫」するよう米海軍に命じた。同日、中央情報局(CIA)のジョン・マコーン長官は、4隻のソ連潜水艦が1週間以内にキューバに到達する位置にあるとケネディ大統領に報告した。

ソ連軍のフォックストロット級潜水艦4隻は、通常魚雷と15キロトンの核弾頭を搭載した「特殊魚雷」1本を装備していた。核魚雷の発射には、モスクワとの通信が不可能な状況下では、艦長と政治委員2名の同意が必要であるとされていた。しかし、B-59潜水艦では、アルヒーポフが小艦隊の司令官兼副艦長であったため、核魚雷発射を許可するためには、同乗士官3人(艦長、政治将校、副艦長)全員の合意が必要であった。

1962年10月27日、米国海軍の空母ランドルフおよび駆逐艦11隻からなる艦隊が、キューバ付近でソ連の潜水艦B-59を発見した。公海であるにも関わらず、米艦隊は信号弾(潜水艦を浮上させて識別するための演習用爆雷)の投下を開始した。

この時、ソ連の乗組員は数日前からモスクワと連絡が取れなくなっていたところに、米軍の爆雷から逃れるため深度を下げて航行した結果、米国の民間ラジオ放送さえ傍受できなくなり情報が完全に遮断された状態に陥った。さらに潜水艦のバッテリーが極度に低下し、エアコンが故障したため、艦内は猛暑と高濃度の二酸化炭素が発生していた。

この極限状態の中で、潜水艦の艦長であるヴァレンティン・サヴィツキーは、戦争はすでに始まっているかもしれないと判断した。サヴィツキー艦長は、自艦の周囲で米軍の爆雷が爆発すると、核魚雷の武装を命じ、発射まであと数分というところまで来た。

ソ連情報部の報告によると、B-59内で口論となり、アルヒーポフが一人で発射を阻止した。結局、アルヒーポフはサヴィツキー艦長を説得し、米海軍の艦隊の中で浮上し、モスクワからの命令を待つことになった。

当時、米側はソ連潜水艦が核武装していることを誰も知らなかった。潜水艦内の状況が物理的に厳しく不安定で、米軍からの攻撃を恐れた指揮官が核魚雷の武装・発射を検討する可能性があることも誰も知らなかった。

Chief of Staff of the 69th Submarine Brigade Captain Second Class Vasily Arkhipov.
Chief of Staff of the 69th Submarine Brigade Captain Second Class Vasily Arkhipov.

1962年11月2日、ケネディ大統領は、キューバにあったソ連の核ミサイル基地の撤去について演説を行った。その後、数カ月でソ連の核兵器はキューバからすべて撤去された。

奇しくもキューバ危機は、ソ連と米国の合理的なリーダーシップの勝利であったと多くの歴史家は見ている。しかし、ソ連と米国のリーダーシップによって、世界は滅亡の危機に瀕し、たった一人のソ連海軍将校によって阻止されたのである。

最終的にケネディとフルシチョフは、ソ連がキューバからミサイルを撤退させる代わりに、トルコから米国の核武装ミサイルを撤退させることに合意し、膠着状態を解消するために誠実に交渉した。しかし、アルヒーポフが米軍艦への核魚雷発射を防がなければ、両首脳が危機を平和的に解決するチャンスはなかっただろう。

今日、米国では、何百人もの個人が、政府の検証された権威者の命令で核兵器を発射するという重大な責任を担っている。オハイオ級弾道ミサイル潜水艦「トライデント」(最大10隻が常時巡回中)の場合、ロシア有事の際に1隻以上の潜水艦が通信を受信できない可能性が、わずかながらでもあるのだ。

そのような状況下で、20基のトライデントII D-5弾道ミサイルを発射するかどうか、不安な士官たちは悩むだろう。それぞれのミサイルには平均4-5個の核弾頭が搭載されており、その破壊力は広島原爆1200個分以上に相当する。

もしそのような事態に陥った場合、核戦争がまだ始まっていなければ、文明を終わらせる火種になるであろう発射の手続きを取る前に、アルキポフ氏の勇気ある行動に思いを馳せてほしいと願うばかりである。

現在のウクライナの危機―ロシアの継続的な核の暴言、北大西洋条約機構(NATO)のロシア包囲網と圧力、米国と同盟国がウクライナに提供する武器のますます危険なエスカレーション、戦術的誤算の高い可能性―を考慮すると、事故または故意による核使用の可能性は否定できないし、否定してはならない。

A Trident missile-armed Vanguard-class ballistic missile submarine leaving its base at HMNB Clyde./ Wikimedia Commons.
A Trident missile-armed Vanguard-class ballistic missile submarine leaving its base at HMNB Clyde./ Wikimedia Commons.

人類を滅亡から救うためには、冷静な判断が必要であり、そのためにアルヒーポフの行動の重要性はかつてないほど高まっている。

もしアルヒーポフが存命ならば今年の1月30日に97歳の誕生日を迎えていただろう。アルヒーポフは、1980年代半ばに副提督を退官し、1998年8月19日に死去した。

私たちは世界市民として、核保有国に対して人類滅亡の瀬戸際から引き下がるよう要求し、核兵器が記憶の彼方に消える日を目指して共に行動していけますように。未来の世代にこの世界を引き継げるよう、人的・経済的資本を投入してお互いに協力し合っていけますように。(原文へ

INPS Japan

*この記事は、キューバ危機のさなか、ソ連潜水艦B59に同乗し、核ミサイルの引き金を引くかどうかの究極の判断を迫られた3人の責任者の内、唯一反対したヴァシーリイ・アルヒーポフに関するものだが、アルヒーポフはその1年前に原子炉で火災を起こしたソ連海軍最初の潜水艦発射弾道ミサイルを装備した原子力潜水艦K-19にも副艦長として乗船していた。その時の経験が、キューバ危機に際して核ミサイルの発射に断固反対したアルヒーポフの判断に影響したと考えられている。ちなみに、この原子力潜水艦事故については、ノンフィクション作品『K-19:未亡人製造艦』(ハリソン・フォード、リーアム・ニーソン主演)が製作されている。https://www.youtube.com/watch?v=lZIFPBPxHzY

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