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|ポルトガル|仕事がなければ移住せよ

【リスボンINPS=マリオ・ケイロス】

ペドロ・パッソス・コエーリョ首相は、出口の見えない経済危機と政党指導者達からの追及に直面して、ポルトガル国民に向けた前例のないメッセージを発表した-それは「海外に移住せよ」というものである。

パッソス・コエーリョ首相は12月18日、とりわけ若者と教師を直撃している失業問題の打開策として、「教師は、ポルトガル語が通じるブラジルやアンゴラへの移住したらどうか。」と提案したことから、ポルトガル全土に感情的な賛否両論の嵐が巻き起こった。

この発言の翌日、保守系右派政権の数名の閣僚が、「首相提案は問題の打開、とりわけ教師の失業問題の改善に有効だ」として称賛する声明を発表した。

 しかし名前を取り沙汰されたアンゴラとブラジル両政府は即座に反応し、「我が国は当面教師が不足している状況にはない。」と回答した。

各種調査によると、ポルトガルで海外移住に最も関心が高い層は25歳から34歳の青年層である。

経済経営学院(ISEG)のジョアン・ペイショート研究員はPúblico紙の取材に対して、「状況が悪いからと言ってそれが海外移住するための十分な理由にはなりません。行く先が確保されている必要があるのです。」と語った。

ペイショート氏は、「国を捨てるという決断は容易にできるものではありません。苦痛と困難を伴うものなのです。従って、民衆は政治家がそうすべきだと言ったからといって安易に国外移住したりしません。」と述べ、パッソス・コエーリョ氏のコメントは「首相の発言として不適切だ。」と語った。

また欧州議会議員のアナ・マリア・ゴメス氏は、首相のコメントについて、「これは首相として口にしてはならないことで、深い憤りを覚えました。」と語った。

「過去数十年にわたる教育投資の成果として、我が国には有能な若い世代が育ってきているのですから、状況がいかに困難であっても克服できますし、そうしなければならないのです。首相が無力感を抱くのみならず諦めてしまうというのは、最低だと思います。」と左派系社会党の著名なリーダーでもあるゴメス議員は語った。

「パッソス・コエーリョ首相は、トロイカ(国際通貨基金欧州中央銀行欧州連合)及びドイツのアンゲラ・メルケル首相が提示した支援条件を、『ポルトガル国民の利益を考えたいかなる交渉を試みることもなく』丸呑みしてしまったのです。」とゴメス議員は語った。

ゴメス議員は、現在の保守系政権は経済成長や雇用創出を目指す戦略は後回しにして、「トロイカから獲得した110億ドルの緊急援助の返済のみに主眼をおいた」財政緊縮政策を進めようとしているとみている。

「しかし経済成長や雇用創出なしに借金の返済など不可能です。右派政権の戦略は、国民に対して、解決策が見いだせない以上『快適なゾーン(ある閣僚がポルトガルを例えた表現)』の外で暮らす覚悟をすべきだと説得することにあるのです。」とゴメス議員は付加えた。

移住問題に関する独立政府諮問機関Council of Portuguese Communitiesのフェルナンド・ゴメス会長は、首相のコメントについて、「ポルトガルのイメージを貶めかねない恥ずべき発言だ。」と首相を非難した。

欧州連合圏内の移動に関しては登録の義務がないため、国外移住に関する正確な統計は存在しないが、ここ数年の動向として、ポルトガルを離れる移住者の数は増加傾向にある。この点について、在外ポルトガルコミュニティー担当閣僚のホセ・セサリオ氏は12月27日に、「2011年におけるポルトガル人の海外移住件数は推定12万人で、ここ数年に引き続き増加傾向にあります。」と語った。

ポルトガル人移住者の最大の目的地はブラジルである。ブラジルはポルトガルの旧植民地であるが1822年の独立宣言後も、ポルトガル人移民の主要な目的地であり続けた。

ブラジル法務省によると、2010年12月から2011年6月の期間にポルトガルから提出された永住申請の件数は276,703件から328,856件に増加した。またこの他にも多数の一時就労、就学、研究ビザがポルトガル人に対して発行されている。

また2010年版の最新統計によると、91,900人のポルトガル人が、アンゴラに住んでいる。アンゴラはアフリカにおける最大の旧ポルトガル植民地である。

リスボン大学副学長で社会学者のマヌエル・ヴィラヴェルデ・カブラル氏は、「歴史的にポルトガルのささやかな発展は、まず植民地経営、そして植民地独立後は在外のポルトガル人による本国への送金とEU加盟後はEU構造基金(1人当たりGDPがEU平均の75%を下回る後進地域の開発と構造調整.に活用される基金:IPSJ)によるものなのです。」と語った。
 
ポルトガルは15世紀以来、伝統的に移民送出国であり、そのことは歴史を通じて同国に様々な影響を及ぼしてきた。
 
16世紀末まで、ポルトガル人は主に北アフリカ沿岸や大西洋の島嶼植民地(アゾレス、マデイラ、サントメ・プリンシペ、カーポ・ヴェルデ、カナリア諸島)を目指した。しかし1498年にインドへの航路が発見されると、ポルトガル人の海外移住も東へと拡大していった。しかし18世紀末になると、こんどはそれまでほとんど忘れられていたブラジルに移住の流れが大きく変わっていった。

より近年においては1960年から74年の間に約150万人のポルトガル人がブラジルに移住したが、その後減少に転じ、74年から88年の間の移住者数は23万人であった。

12月20日付のPúblico紙の論説は、パッソス・コエーリョ首相の移住提案について「ポルトガルの指導者たちは首相を筆頭に世界の笑い者になりつつある。」「もし熟練工や専門家が国外に流出し続けたら、ポルトガルの状況はますます惨めなものとなるだろう。政府が打ち出した信じがたいメッセージは、あたかもポルトガルという国には価値がないという認識を自ら吹聴しているようなものだ。」と報じた。(原文へ

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

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