この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。
【Global Outlook=ラメッシュ・タクール】
アルタ・モエイニは、バラク・オバマ大統領が「ワシントンプレイブック」と呼んだ外交政策の台本(その多くは軍事力の行使につながっている)に触れながら、西側の支配的エリートが主流メディアと結託して、善悪二元論の枠で誰もが感じる同情という自然な反応を特定の報復を求める道徳的な怒りへと仕向けている、と記している。その結果、アメリカの戦争マシーンが有効化され、高貴にさえなっている。しかし、これが機能するには、まずもってこの危機を引き起こした自らの責任というものを強力に否定してかからねばならない。(原文へ 日・英)
2022年3月12日、英「デイリー・テレグラフ」紙の評論家ジャネット・デイリーは「あらゆるレベルにおいて、北大西洋条約機構(NATO)にもこの戦争の責任があるという嘘はばかばかしいものだ」と記した。また3月3日には、「オーストラリアン」紙の評論家ヘンリー・アーガスは「NATOがプーチンのウクライナ侵攻の引き金を引いたのではない」と同様に主張した。このような拒絶反応は、思いがけず大統領に導かれたウクライナの英雄的な抵抗によって強く揺さぶられた西側の良心を癒すものかもしれないが、まったくの誤りである。
第1に、大国は歴史の弧の中で栄枯盛衰を繰り返すという単純な観察から始めてみよう。スペイン、ポルトガル、イタリア、オランダは、かつて海外に植民地を持つ欧州の列強だったが、もはや大国の仲間入りをしていない。太平洋地域の日本も同様である。第2に、大国のアイデンティティーの変化と相対的なバランスを反映し、国境が絶えず再調整されるのは必然である。第3に、このプロセスの一環として、戦勝国が敗戦国に対して不当な条件を課すことがある。それは、戦力格差が最大化した瞬間、敗戦国が勝利に酔いしれる勝者の独断に対抗できる立場にない時に結ばれる不平等条約である。
第一次世界大戦後にドイツに課されたベルサイユ条約の取り決めが自滅的なまでに過酷で懲罰的であったことは、今では広く受け入れられている。一方、ドイツ人の間では、この取り決めを中心に構築された欧州の秩序に対する不満が高まり、この秩序を転覆することを決意したヒトラーの台頭を促すこととなった。こうした議論を展開している歴史家は、ヒトラーの弁明者として非難されているわけではない。ベルサイユ体制に批判的であると同時に、ナチス・ドイツの行いに対して嫌悪感を抱くことは可能だ。一方、連合国の国民もベルサイユ体制を根本的に不当と考えるようになり、ベルサイユ体制を守る決意が弱くなった。敗戦などで弱体化した大国が自信を取り戻し、国を再建する際には、不平等条約の再交渉を試み、それが失敗すれば脱退を試み、それに抵抗すれば再び戦争が起こるかもしれない。
これに関連して、米国のウィリアム・バーンズ駐露大使が2008年2月1日に本国に送った電信は大いに示唆するところが多い。その最後の一文にはこうある。「1990年代半ばのNATO拡大の第1ラウンドに対するロシアの反発は強かったが、今やロシアは、自国の国益に反するとみなす行動に対してより強力に反発する自信を身につけている。」この電信についてはまた後で触れるが、まずはここで、NATOの継続的な東方拡大に対するこれまでのロシアの強い反発の歴史を概観しておこう。
パーヴェル・パラシチェンコはソ連高官の会議通訳で、1985年から91年までミハイル・ゴルバチョフやエドアルド・シェワルナゼ外相の英語の主任通訳官を務めていた。著書『ソ連邦の崩壊―旧ソ連政府主任通訳官の回顧録』(1997年)の第19章で、NATO拡大をめぐる論争に触れている。ゴルバチョフは、「NATOは東側に1インチも拡大しない」としたジェームズ・ベーカー米国務長官のよく知られた1990年の発言は、「もっぱらドイツ統合に関連したものである」と明言していた、とパラシチェンコは説明している。しかしゴルバチョフは、自身が大統領職を退いてからのNATO拡大は「間違いなく……ドイツ統一時の合意の精神に違反するものであった」と述べている。しかしそれは米国人だけが関わっているわけではない。米国国家安全保障アーカイブが2017年に公開した文書のタイトルは「ベイカー、ブッシュ、ゲンシャー、コール、ゲーツ、ミッテラン、サッチャー、ハード、メイジャー、ウォーナーからソ連指導者への、NATO拡大に対する安全の保証を示す機密指定解除文書」となっている。
さて、2008年のバーンズ大使(現CIA長官)の公電に話を戻そう。外交史上最も有名な外交公電の一つは、ジョージ・ケナンによる1946年2月22日の「長い電報」で、戦後のソ連の変化を分析し、封じ込め戦略の要諦を示したものだ。ウィキリークスが機密指定の米外交電信を大量に公開した際に多くの一般読者を驚かせた二つの点は、一部の電信にみられる政治分析の精巧さと、その文才であった。その第1の要素は、確かにバーンズ大使の電信にも当てはまる。この公電は、四つの重要なポイントを非常に明確に、しかも切迫感を持って伝えていた。
第1に、NATOの拡大、特にウクライナを含む拡大は、ロシア人にとって「感情的で神経質な」問題であった。第2に、モスクワの反対は、「この問題が国を二分し、暴力やいくつかの要求、中には内戦に発展し、ロシアが介入するかどうか決断を迫られる可能性がある」という戦略的な考慮にも基づくものであった。第3に、セルゲイ・ラブロフ外相をはじめとする高官は、「強い反対を繰り返し、ロシアはさらなる東方拡大を潜在的な軍事的脅威とみなすと強調」していたことである。この点について、ロシア側は、西側がNATOの穏健で防衛的な性格を強調するだけでは、最近のNATOの軍事活動による安全保障上の懸念を相殺するには不十分であり、「表明された意図ではなくその可能性を評価せざるを得ない」と明言していた。モスクワは「戦略的封じこめ」と「この地域におけるロシアの影響力を損なう努力」を見て取り、「ロシアの安全保障上の利益に深刻な影響を与える予測不可能で制御不能な結果」についても恐れを抱いていた。そして第四に、バーンズは、ウクライナがNATO加盟を目指すのは国内の権力闘争の一環であり、これが米ロ関係を複雑にすることにワシントンは慎重であるべきという一部の独立した専門家の意見を指摘していた。しかし、その2カ月後の4月3日、NATO首脳会談で発表されたブカレスト宣言は、ウクライナとジョージアが将来NATO加盟国になるという決定を確認した。
プーチンが2007年2月のミュンヘン安全保障会議で行った演説の衝撃を、当時の報道は伝えている。この演説でプーチンは、NATOが東方拡大することはないと約束したことを忘れたのか、と迫った。プーチンが今回、2月24日に国民向け演説でウクライナでの軍事行動を発表した際、「軍事インフラをロシア国境にますます近づけているNATOの東方拡大」がもたらす脅威を強調するところから演説を始めた。つまり、問題なのは、ロシアからの警告がなかったことではなく、ロシアが本気で反対していないか、さもなければ、どうしようもないから無視しても大丈夫だという、誤った考え方に米国が憑りつかれていたことだったのである。バーンズは、2019年3月の「アトランティック」誌によるインタビューで、2005年に「あなた方米国人はもっと聞く耳を持つべきだ」とプーチンから言い返されたと語っている。このことは、歴史家の間の学術的な議論にとどまらず、大国のライバルの戦略的世界観を故意に無視することから生じる政策の危険性を浮き彫りにしている。軌道修正に失敗すれば、西側諸国が他の主要な大国の正当な安全保障上の利益を無視し続けることになる。このことはとりわけ、中国との武力紛争という、もう一つの、より危険な道を開くことにもなりかねない。
ラメッシュ・タクールは、国連事務次長補を努め、現在は、オーストラリア国立大学クロフォード公共政策大学院名誉教授、同大学の核不拡散・軍縮センター長を務める。近著に「The Nuclear Ban Treaty :A Transformational Reframing of the Global Nuclear Order」 (ルートレッジ社、2022年)がある。
INPS Japan
関連記事:
|視点|プーチンのウクライナへの侵略が世界を変えた(フランツ・ボウマン 元国連事務次長補、ニューヨーク大学客員教授)