ニュース国家主権の「責任」と核兵器禁止条約

国家主権の「責任」と核兵器禁止条約

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

(この記事は、2020年12月8日に戸田記念国際平和研究所が主催したウェビナーを元に、「原子力科学者会報」 (2021年1月22日)に初出掲載された論考を改訂および加筆した。)

【Global Outlook=ラメッシュ・タクール】

1984年、ロナルド・レーガン大統領は、核の王様は服を着ていないと述べた。「われわれ2カ国[米国とソ連]が核兵器を保有することの唯一の価値は、それらが決して使われないようにすることだ。だとしたら、核兵器を完全に廃止したほうが良くはないだろうか?」と。まったくその通りである。核兵器禁止条約(TPNW)は、核兵器の倫理性、合法性、正当性における新たな規範となる解決点を提供することで、それを実現しようとしている。(原文へ 

TPNWは、ホンジュラスが50番目の批准国となってから90日後、そして国連総会で採択されてから3年半後の1月22日に発効した。50番目の批准により、核兵器の保有、使用、配備、実験などを全面的に禁止する法的拘束力を有する初めての条約の発効に向けたカウントダウンが始まる直前、AP通信は、米国が条約締約国に宛てて送った書簡のコピーを入手した。米国政府は、核不拡散条約(NPT)が世界的な核不拡散努力の基礎として有効に存続するうえでTPNWは「危険」であると表現し、署名国は「戦略的誤り」を犯していると述べ、批准を取り下げるよう署名国に要求した。

書簡には、NPT締約国がTPNWに加盟する「主権的権利」は尊重すると書かれていた。これに対する的確な返答は、加盟は主権国家の責任でもあるということだ。NPT第6条によれば、核軍縮は、5核兵器国(NWS:つまり中国、フランス、ロシア、英国、米国)だけではなくすべての締約国の責任であり、「各締約国は、核軍備競争の早期の停止および核軍備の縮小に関する効果的な措置につき、誠実に交渉を行うことを約束する」とあるのだ。国際司法裁判所は1996年7月8日に、裁判官全員一致で出した有名な勧告的意見において、第6条に基づく核軍縮義務の性質を、交渉を追求する約束から、かかる交渉を“誠実に追求し、完結させる”義務へと強化した。

NPTが1970年に発効して以来50年間にわたって運用される中で、NWSは事実上、第6条を再定義に持ち込んだ。NPTのもとで1基の核弾頭も廃棄されず、1回の多国間核軍縮交渉も開催されていない。第6条が実行されないだけでなく、本来NPTを構成する取り引きも骨抜きにされてしまっている。五つの核兵器国は、彼らの核兵器保有と配備はNPTによって認められていると主張していたのが、いつのまにか、核兵器を永遠に保有する権利がNPTによって与えられており、その独占的地位が無期限に正当化されていると主張するようになっている。この「偉そうな核兵器国」症候群を如実に示す事例は、トランプ政権で軍備管理担当のトップの座に就くクリス・フォードが2020年2月11日にロンドンで行ったスピーチである。彼は、軍備管理に取り組む人々を、美徳をちらつかせる現実を知らない人々だと見下した。

このような現状を踏まえるなら、責任ある主権国家としてNPT締約国は何をするべきだろうか? 一つの選択肢は、トム・ドイル、そしてジョリーン・プレトリウスとトム・サウアーも主張するように、NPTから脱退することである。そうすれば、間違いなくNPTは息絶えるだろう。しかし、誠意ある非核兵器国は、NPT第6条の核軍縮のアジェンダを遂行するために、補足的かつ補強的な条約という手段で、最後の戦いに挑むことを選んだ。戸田記念国際平和研究所の政策提言(Policy Brief No.104 The Humanitarian Initiative and the TPNW, Alexander Kmentt)において、アレクサンダー・クメントは、これに関連する二つの問いを投げかけている。核抑止論には、本質的につきまとう避けることのできないリスクが内在しているにも関わらず、なぜそれらを「責任ある政策と見なせるのだろうか? むしろ、核武装国が明らかに悪循環に陥っているとしたら……非核兵器国の“責任”とは何だろうか?」と。

核兵器禁止条約を支持する意見を、NPT締約国による主権国家としての責任の表れと理解するためには、2005年の世界サミット(国連首脳会合)において全会一致で採択された「保護する責任」(R2P=Responsibility to Protect)の原則を踏まえ、国家主権を責任として再概念化することに目を向ければよいだろう。この世界サミットは、世界の首脳が集まる過去最大の会合であった。R2Pが策定され、「人道的介入」に代わる新たな規範として採択された。NATO首脳が1999年のコソボ戦争を正当化するために主張した「人道的介入」は、非西側社会において、例えば非同盟運動によって、広く批判されていた。

もちろんR2Pという概念自体、国連が承認してNATOが主導した2011年のリビア介入以来、大いに論争の的となってきた。しかし、国連コミュニティーにおける論争は、実施の方法とその説明責任に限定されている。この原則そのものは、規範的基盤として国家主権を責任として再概念化することも含め、ほぼ普遍的に受け入れられている。旧来の人道的介入とR2Pの主な違いのいくつかは、NPTとTPNWの違いにも関係している。

第1に、通常、規範や法律は許容的機能(「許可」)と制約的機能(「拘束」)を持っている。人道的介入の場合、主要国は、この規範の権限付与的特性として、人道上の残虐行為を行っているとされる他国の主権領域内に介入する権利を主張した。しかし、誰が介入を決定するか、使用できる軍事力の範囲や種類、介入期間、介入国として行ってもよいことと行うべきではないこと等の、権限に相応する義務または制約は引き受けなかった。それに対しR2Pは、人間の保護を目的とするいかなる国際介入にも安全保障理事会の承認が必要であるとし、すべての国に対してこの新たな規範的枠組みを課している。

NPTについても5核兵器国は同様に、国連安全保障理事会の常任理事国(P5)として、他のすべての非核兵器国に対して核不拡散の義務を守らせる権利を主張してきた。1998年にはNPTに署名していないインドとパキスタンにもこれを強要し、制裁を課した。両国が核実験を行って、核拡散に反対する国際規範に違反したからだという。その一方で核兵器国は、自国の核軍縮を開始して完了するという、第6条に基づく拘束力のある義務を断固として拒否している。TPNWはNPTの先を行っており、すべての締約国に対する法的拘束力のある要件として、武装解除し、あらゆる核兵器関連活動を停止することを課している。

第2に、人道的介入は、介入国とその武力行使の対象となった国の関係を再定義しようとするものだった。そのような一方的な介入を行う権利があると主張しつつ、介入国は、国連が国際社会の代表として彼らの活動を統制する役割を果たすことについては、激しく拒絶した。それとはまったく対照的に、R2Pは、かたや個々の国家と、かたや国際社会の代理であり拠点でもある国連の関係を再定義した。しかし、R2Pは、国家同士の関係には直接手を付けないままだった。そのため、人道的介入は国家主権の侵害であるのに対し、R2Pは、国家主権の原則を侵害することなく主権の機能の執行を一時的に停止するものとなっている。

これは、主権を責任として再定義することで正当化される。それにより、国家主権の特権を構成する不可分の要素として、その領土管轄権内に住むすべての人々を、生命を脅かす危険から保護する義務が生じる。他のすべての国は、あらゆる脆弱な国家を支援し、彼らが“保護する責任”を遂行する能力と意思を形成できるようにする責務がある。その国が保護する責任を果たすことができない、またはその意思がないことが明らかで、残虐行為が大規模に行われている場合、あるいは国家自身が大規模な残虐行為を犯している場合は、残虐行為を被っている、またはそのリスクが非常に大きい国民を保護する責任は、国際社会へと移行する。その場合、国際社会は、国連安全保障理事会を通して断固とした措置を適時に講じることが求められる。

この点でも、TPNWは非常によく類似している。すべての締約国が核軍縮を推進する法的義務を有し、すべての国家がその道義的責任を有している。NPTの運用開始から50年が経ち、核兵器国が核軍縮の責任を果たしていないことは明らかである。核軍縮は彼らの間でのみ交渉するべき問題であり、他の国々はこれに関して発言も投票もする権利がないという核兵器国の主張は、主要国が一方的介入を行う権利を主張し、国連の調整的役割を認めないことと似ている。また、核戦争が起これば、想像もできないほど大規模な残虐行為となる。そのような壊滅的な出来事の人道的影響に対処する能力は、個々の国にも、集合的な国際体制にもない。

したがって、国連を通して行動する国際社会が、すべての人の生命と生活を守る責任の一環として、核兵器とそれに関連する活動を禁止する新たな条約を採択するのも当然のことといえる。TPNWへとつながった人道的影響をめぐるイニシアティブの表現を借りれば、核兵器が二度と使用されないことが人類の存続そのものの利益であり、使用されないことを保証する唯一のものは誰もそれを保有しないことである。もちろん、核兵器禁止条約は、核兵器を保有する9カ国すべてと、その核の傘に守られた同盟国を含む非締約国に法的義務を負わせることはできない。しかし、この条約は、核兵器に関する人道法、規範、実践、言説を取り巻く状況を再構築するものとなるだろう。

TPNWにはもう一つ、意図されなかった、しかし重要な結果をもたらす可能性がある。常任理事国P5が支配する安全保障理事会は、世界秩序の地政学的な操縦室であるが、国連総会は、すべての加盟国が参加するがゆえに規範的な重心といえる。現実には、規範や標準を決定する責任を総会が担い、執行する役割を安全保障理事会が担うということである。しかし、国際社会が核兵器保有に(禁止の)烙印を押すことに成功した今、5常任理事国は、どうやって核問題に関する執行機関として機能し続けることができるのだろうか?安全保障理事会に代わって合法的かつ正当にこの機能を果たせる機関はほかにないため、国際平和と安全保障に対する核兵器の脅威に関して、何がこの執行とのギャップを埋めることができるのだろうか?

ラメッシュ・タクールは、オーストラリア国立大学クロフォード公共政策大学院名誉教授、戸田記念国際平和研究所上級研究員、オーストラリア国際問題研究所研究員。R2Pに関わる委員会のメンバーを務め、他の2名と共に委員会の報告書を執筆した。近著に「Reviewing the Responsibility to Protect: Origins, Implementation and Controversies」(ルートレッジ社、2019年)がある。

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