【バンコクIDN=カリンガ・セレヴィラトネ】
タイ北東部の辺鄙な町で10月7日に発生した、就学前児童26人を含む37人が集団殺害された事件がタイ全土を揺るがしている。この事件は公的な精神医療体制の不備を白日の下に晒したが、仏教徒が多数を占めるこの国において重大な社会的な危機の解決に仏教がどの程度介入すべきかという議論はまだ始まっていない。
健康と福祉は持続可能な開発目標(SDGs)の一つであるが、SDGsの非宗教的な性格は、宗教的な英知のこの目標達成への貢献を妨げかねない。タイの現在の状況がそのよい事例だ。「目標達成へのパートナーシップ」を呼びかけたSDGsの第17目標は、この王国の精神医療上の重大な危機に対応するための伝統的な仏教の英知を利用するために使うことができるかもしれない。
仏教は、瞑想、とりわけ「マインドフルネス瞑想」を通じて穏やかな生活を過ごすために精神を落ち着けるというそのメッセージ性ゆえに、近年世界的に人気を見せており、西側社会ではブームとなっている。
数世紀にわたって「マインドフルネス」を実践し、全土に100を超える「マインドフルネス(ビパサーナ)瞑想」専門の場所を抱え、とりわけ西側社会から毎年多数の観光客を集めているこの国では、現代の精神医療上の危機に対応するために公的な医療体制にこうした実践を取り入れることに国民が消極的になっている。
今回の集団殺人は、薬物の乱用や銃犯罪、政治的汚職など、タイにおける重大な社会危機への関心を高めた。これに加えて、高齢化によって老人性うつへの対処が迫られるなど、精神医療上の危機が目前に迫っている。
容疑者のパンヤ・カムラプは34歳の元警察官で、メタンフェタミンを所持していたとの理由で6月に警察を解雇になっていた。しかし彼は、バンコクの大学に通い警察官となったような典型的な村の優等生であった。彼は現在、本来ならば数年前に対処すべきであった精神医療上の問題を抱えていると診断されている。
タイのメディアは、集団殺人発生を受けて、死者を悼む儀式を全土で行った僧侶の存在に注目し、王室の人々もこうした儀式に参加した。しかし、仏教の僧侶とメディアのいずれもが、精神的なストレスを癒し銃犯罪の危機に対処するためにいかに仏教が役割を果たしうるかという点について、沈黙を保っている。
タイの「PBNネットワーク」の元副代表であり地域メディアの一員であるピポペ・パニッチパクディは「タイのジャーナリストは中立性の概念に捕らわれて、宗教的な実践(この場合は、事態の解決策となりうるような実践)から距離を取ることで、特定の宗教を利してはいないことを示そうとしています。」とIDNの取材に対して語った。
「問題解決のために心理学のような近代科学(西洋科学)に頼るのではなく、問題から目を背けているとみられかねない宗教的な解決策を提示することは、古いやり方だとおそらくはみなされています。」とパニッチパクディは語った。
世界保健機関(WHO)の統計によると、タイには人口10万人あたり7.29人の精神医療従事者がいる。パニャの村ノンブアランプには精神科医がおらず、必要ならば100キロ以上も移動する必要があった。しかし、何千人もの僧侶や寺院には、精神的な問題を処理する能力が十分に備わっており、メディアや医療関係者がそれを認識するように国民を導くべきだと主張する評論家もいる。。
タイには僧侶が20万人以上いるが、精神科医は1000人以下しかいないと指摘するのは、タイ仏教の刷新を訴える社会運動家のマノ・ラオハバニッチ博士である。「タイには数千もの瞑想場があることで知られていますが、残念なことに、自己の修練や精神的な覚醒にばかり焦点を当てており、地域に手を差し伸べることを考えていません。」と彼は論じた。
ラオハバニッチ博士はIDNの取材に対して、「タイ仏教の弱点は、個人(精神的な修練)にばかり着目して、社会の懸念や問題に目を向けていないことにあります。この意味で、タイにおいては、仏教は解決策を提示するというよりも問題の一部となってしまっているのです。」と語った。
バンコクのワット・チャク・デンの僧院長フラ・マハ・プラノム・ダマランガロは、この問題点を認めて、「タイでは、寺院に出てきて地域の人々と関わり癒しを提供する僧侶がごく一部しかいないという問題があります。だからこうした社会問題が発生するのです。」と語った。
「寺院はもっと僧侶が民衆に対して仏教の教えを積極的に説くよう取り組まねばなりません。そうした活動は民衆に瞑想を広めるのと同様に有益だと思います。」
ワット・ボボルニウェット・ビハラの高僧であり、バンコクの世界仏教大学の学長でもあるフラ・アニル・サクヤ師は、IDNのインタビューに対して、「タイの深刻な社会問題に関して仏教を責めるのはお門違いだ」と語った。「仏教徒か非仏教徒かは関係ありません。普通の社会問題です。社会問題というのは、経済だったり政治だったりに根っこがあって、家族という伝統的な価値の道徳的倫理が崩れてきたことが原因です。」
「現在の社会では、宗教は子供を育てることにあまり関与していません。人々は『宗教』という言葉を避けようとしています。」とサクヤ師は語った。タイ文化には、家庭・学校・村・政府を巻き込んだ「ボーロン」という概念があるという。「タイの伝統社会では、かつて村や寺院、学校などが一緒になって関わり、社会を調和のうちに保つために協力していました。」
サクヤ師は心理的な「カウンセラー」というのは西洋的な用語であって、仏教の僧侶は仏陀の時代からその役割を果たしてきている、という。「心理的なカウンセリングに対する仏教のアプローチは、民衆に対する共感を持ち、どのような苦しみに対処しなければならないかを理解することです。2500年前はそのことが仏僧の主な仕事でした。」
サクヤ師は、近代的な精神医療体制に言及して、「ひとたび精神病患者として入院すると、非宗教的に扱われ、近代医療を通じて対応されることになります。それが問題なのです。」仏教の心理学は「すべての穢れ、すなわち貪欲、憎悪、無知から心を浄化すること」であると、サクヤ師は説明した。
薬物乱用や銃犯罪の問題に加えて、急速に高齢化するタイ社会は高齢者の間での「うつ」問題を抱えており、医療当局もまだ十分にこの問題を把握していない。タイの精神医療部局によると、タイの1200万人の高齢者のうち約14%に「うつ」の可能性があり、問題は今後悪化するとみられている。
サクヤ師は、仏教徒が多い国で、伝統的な仏教社会の価値観を精神保健当局が認めれば、この問題に取り組むことができると考えている。
バンコクのチュラロンコン王記念病院の神経科医ナタワン・ウトオムプルックポーン博士は、「ロンドンで勤務していたとき、現地の病院には仏教の信仰を用いた『マインドフルネス』のコースがありましたが、バンコクの病院では、(患者の)精神活動を刺激する活動が宗教と関係しないように気をつけています。」と語った。「タイでは、私たちはとても包括的でありたいと思っています。ここで行っている活動のほとんどは世俗的なものです…リハビリのように、私たちは非常に包括的であろうとしています。」と語った。
タマサート大学の開発経済学者であるニティナント・ウィサウェイスアン博士は、「精神の発展に関する仏教の教えは、仏教を単なる儀式と見ないのであれば、地域開発における健康科学と組み合わせることができると考えています。仏教は自己啓発を教えることができ、それは社会にも利益をもたらすはずです。…これはSDGs実現にあたっての重要な要素です。」と語った。
ウィサウェイスアン博士は、タマサート大学財団ががん患者と連携して、仏教の哲学と瞑想を用いて患者らが「絶望や苦しみ、痛みを伴わない価値を持って」亡くなっていく支援をしていると説明した。「医療部門における仏教は精神的なエネルギーを高める役に立ちます。」
サクヤ師は、「若い人たちや医療の専門家らは仏教の実践や哲学を精神的なストレスを癒す近代的な道筋とは見ていません。なぜなら、タイ政府が仏教の道徳や倫理を学校で教えることをかなり前にやめてしまったからです。」と指摘したうえで、「2つの主要な仏教系大学であるマハマクート、マハチュラロンコン両大学で仏僧らが仏教哲学を再導入し、来たる任務に備えて仏僧を訓練しようとしています。」と語った。
「これは(学校の)課外活動で、強制はできません。私たちは仏教とは呼ばず、『シラダマ』(道徳の教え)と呼んでいます」とサクヤ師は説明し、同時に村の多くの寺院には老人ホームがあり、高齢者は一日の大半を寺院の活動に費やし、それが精神療法になっていることを指摘した。
タイの多くの県で知事らの顧問を務めるほど影響力を持っている仏僧であるサクヤ師は、「仏教徒たちはそうやって生きてきました。世俗化してそれらを社会の中から排除してしまい、それが宗教の問題ということにされているのです。」と語った。(原文へ)
INPS Japan
This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.
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