ネパール国家再建の先頭に立つべきは、今こそ団結したZ世代運動である
【カトマンズNepali Times=クンダ・ディクシット】
9月8日のZ世代集会で、多くの若者が「Enough Is Enough(もうたくさんだ)」と書かれた横断幕を掲げていた。しかし、その日の終わりから翌9日にかけて、理想に燃える若い活動家たちの手を離れ、放火と暴動は制御不能となった。国会、シンハ・ダルバール(首相官邸)、最高裁判所、そして公共・民間の財産が焼き討ちに遭い、略奪された。「Enough Is Enough」は別の意味を帯びることになった。

もともと有力政治家の子弟の贅沢な暮らしぶりを暴露するハッシュタグ運動から始まった動きは、やがて腐敗と不処罰への抗議へと拡大した。ネパールにおける「#Nepokids」現象は政治改革キャンペーンへと変容し、9日火曜日には階級怒りの爆発へと変質した。
先週のオリ連立政権によるソーシャルメディア禁止措置が、もともとオンライン運動だったものを街頭へと駆り立てた。ハミ・ネパールとZ世代プラットフォームは、物議を醸す政治勢力やその他の要素が集会に潜り込むとの情報があるにもかかわらず、月曜にマンダラで集会を組織した。そしてそれは現実となった。
火曜日の午後には、カトマンズは火炎瓶に包まれた。国家の三権――立法、行政、司法――は灰燼に帰し、第四の権力である報道機関も無名の放火犯の標的となった。被害は建物だけでなく、国民の精神にも深く刻まれた。
だが、2015年の地震の瓦礫からハミ・ネパールが立ち上がったように、2025年の灰燼からはZ世代運動が再建の先頭に立たねばならない。ネパールは灰の中から甦り、説明責任ある政府、公平かつ包摂的な成長、開かれた社会を基盤に、新しい世代によって根本から再構築される必要がある。
今回の動乱が示したのは、多くの命が失われ、物理的破壊が生じた悲劇だけではない。ネパール人が表現の自由を重んじ、それを不正に抗し、改革と進歩を追い求める力にできるという事実である。

しかし、落とし穴は残されている。Z世代集会に便乗した勢力の一部は、いまや暫定首相候補への反対のために軍司令部の門前に集結している。ネット上には、過去に見覚えのある人物が関与する「偽Z世代」アカウントが氾濫している。
軍は2005年2月1日の経験から学んでいるはずだ。軍は最後の非常手段として非政治的であるべきであり、司令部のトゥンディケル前に「首相志願者」が群がるべきではない。
火曜の夜、状況が制御不能に陥った際には軍の出動が必要だった。しかし今後は、安定回復のためにより積極的な役割を担うべきはラーム・チャンドラ・パウデル大統領である。彼は時間を浪費せず、潔白な暫定首相の下で選挙を監督する暫定政府を速やかに任命しなければならない。
これはまた、議会解散と広範な改革を可能にする憲法改正を求めるZ世代活動家の要求でもある。だが憲法をいま改正することは、2008〜2015年のような不安定な混乱を繰り返すことになる。改正は新しい選挙後に行うべきだ。
大きな変革の移行期には、利害集団が流動的状況を悪用しようとする。ネパールはこれまでも、1990年の人民運動や2006年の平和と民主化運動といった動乱を経験してきた。毎回、自由のために戦った指導者たちに人々は希望を託したが、結果は裏切られた。今回はそうであってはならない。希望と抱負、エネルギーと決意を持つ新世代こそが、独立心、勇気、誠実さで知られる暫定首相に導かれ、新しいネパールを築くべきだ。
本号では、2022年と2024年にそれぞれ自国の政府を打倒したスリランカとバングラデシュの若者主導の運動について、両国の筆者による寄稿を掲載している。そこにはネパールのZ世代にとって重要な教訓がある。
もし元最高裁長官のスシラ・カルキが暫定政府のトップに任命されれば、彼女はネパールの「モハマド・ユヌス」となり得る。しかしバングラデシュで見たように、すべてが円滑に進むとは限らない。スリランカの「アラガラヤ」運動後も同様だった。
スリランカ、バングラデシュ、ネパールで引き金はそれぞれ異なったが、共通するのは、見捨てられ、力を奪われた市民が「もう我慢できない」と立ち上がったことだ。彼らはソーシャルメディアを通じて有機的に組織し、変革を求めた。
三国に共通する不確定要素は、米国・中国・インドの戦略的三角関係、特にトランプとモディの対立に見られる地政学的駆け引きである。
時間は極めて重要だ。事態が長引くほど、共通の基盤を見いだし再建を始めることは難しくなる。暴力を終わらせることは、政治的空白を維持することではない。(原文へ)
INPS Japan/ Nepali Times
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