【ウィーンIDN/INPS Japan=オーロラ・ワイス】
「今日は歴史的な瞬間だ」―オーストリア・ウィーンで6月21日に開幕した「核兵器禁止(核禁)条約」の第1回締約国会議はこのような言葉で始まった。国際社会や各国政府、市民社会、学界の代表らが、この歴史的な条約に効力を持たせ、核軍縮の未来を形づくっていくためにここに集った。
国益や信条体系の違いはあれども、10年前には幻想であったものが今や厳然たる事実になったという認識では一致している。他方で、これまでに生み出された最も壊滅的な核兵器のほとんどを、一部の大国だけが保有しているという事実も変わらない。
従って、核禁条約第1回締約国会議中に開かれた関連行事が、核被害者への援助と核に汚染された地域の環境の修復(第6条)、そのための国際協力(第7条)をどのように進めるかに焦点を当てたことは適切なことであった。
この関連行事は、議長国オーストリアの要請を受けてこのテーマに関する共同作業文書を提出したカザフスタン共和国外務省とキリバス共和国の国連代表部が、核時代平和財団と創価学会インタナショナル(SGI)との共催で開催した。
カザフスタン外務省国際安全保障局のカイラト・サルジャーノフ局長は、この作業文書を踏まえて第6条と第7条の重要性を強調するとともに、キリバス政府、核時代平和財団、SGIに対して、この意義ある関連行事を共催してくれたことに謝意を述べた。
SGIを代表したのは創価学会の寺崎広嗣副会長である。この関連行事には、核禁条約第1回締約国会議に参加するために日本から来訪していた戸田記念国際平和研究所の迫本秀樹事務局長と公明党核廃絶推進委員会の浜田昌良委員長の姿があった。
寺崎副会長は、第1回締約国会議におけるサイドイベントの共催団体に加わることができたのは大変光栄なことだと述べた上で、テーマとなっている第6条と第7条は、核禁条約の普遍的価値を象徴しているものだと強調した。この関連行事の直前、カザフスタンのムフタル・トレウベルディ副首相兼外相は、核なき世界に向けた平和運動におけるSGIの役割に感謝を述べていた。
「人間の尊厳の尊重」を高く掲げるSGIは、核廃絶国際キャンペーン(ICAN)の国際パートナーとして核廃絶に向けた活動に積極的に取り組んできた。SGIの核廃絶運動の原点は、1958年に、戸田城聖創価学会第2代会長が横浜で5万人の若者の前で行った原水爆禁止宣言に遡る。戸田会長はこの宣言で、人類の生存権を脅かす核兵器は、人間の心の最も荒んだ部分を体現していると非難し、創価学会の青年達に核兵器廃絶への挑戦を呼び掛けた。
創価学会青年部会は2017年、『広島・長崎:私たちは決して忘れない』を出版した(PDF版はこちらからダウンロード可能)。1945年8月6日と9日に広島と長崎に投下された原爆被災を生き抜いたヒバクシャ50人以上が、投下直後に体験した悪夢のような日々と地獄のような惨状について語っている。
創価学会は世界に1200万人以上のメンバーを擁する地域社会に根差した仏教団体で、生命の尊厳の尊重を基盤とした平和・文化・教育を促進している。非政府組織としての創価学会インタナショナルは、1983年以来、国連経済社会理事会(ECOSOC)において協議資格を有している。また、国連におけるSGI活動拠点としてニューヨークとジュネーブに国連連絡事務所を運営している。
またこの関連行事では、核兵器実験による被害者らも痛烈な被爆体験を証言した。旧ソビエト連邦時代、モスクワの中央政府は、カザフスタンのセミパラチンスク核実験場(四国の面積にほぼ等しい)で456回の核実験を1949年から89年の40年間に亘って繰り返した。今回、IDNの取材にも応じてくれた、芸術家であり核不拡散問題に関する活動家でもあるカリプベク・クユコフ氏も、核爆発実験がもたらした恐ろしい結果について、自らの経験を証言した。
クユコフ氏は両腕が欠損した状態で生まれたが、核実験場から遠くないカザフスタン中央部の彼の村で母親の胎内で被爆したことが原因だと考えている。「アトム〈ATOM(廃止する=Abolish、実験=Test、私たちの使命=Our Mission)プロジェクト」の名誉大使でもあるクユコフ氏は、当時キノコ雲型の爆発を頻繁に目撃したこと、その際家の中の家具が激しく揺れていたこと、地元の人たちは口の中で鉄のような味がしていたこと、頭痛があったこと、歯や髪が抜け落ちていたことなどについて語った。また、死んだ鳥が道端に落ちていたり、毛が抜け落ちた犬が歩き回っていたりしたこと、さらには、頭や足がない状態の動物が生まれ、奇形となって生まれた子供たちは1年にも満たずに亡くなってしまうことが多かったと証言した。
クユコフ氏は、「放射線の影響は一見しただけでは分かりませんが、体内に急速に侵入してきます。その破壊的な帰結は次の世代に受け継がれてしまうのです。」と述べ、遺伝的に新たな世代までも殺してしまう核兵器の致命的な影響について指摘した。
核実験の被曝二世であるカザフスタンのディミトリ・ヴェセロフ氏は、医師から自分の子供たちにまで被爆の影響があるかどうかは断定できないと告げられ、子供を作らない決断をしたことが、自身の人生における最もつらい体験だったと語った。
ハーバード大学ロースクール国際人権クリニック講師で、「武力紛争と民間人保護」研究の共同代表であるボニー・ドチャーテイ氏は、核禁条約第6条(被害者に対する援助及び環境の修復)と第7条(国際的な協力及び援助)に焦点をあてた。例えば、被害者援助の要素としては、医療や社会復帰、心理学的な支援、社会的・経済的包摂、被害の認知、被害者の人権の促進が含まれるが、それに限られるわけではない。現在被爆者らが提起している最大の問題は、無料の医療サービスがないことに加えて、一時的支援すら存在しないことである。
「各締約国は、核兵器の使用又は実験により影響を受けた自国の管轄の下にある個人について、適用可能な国際人道法及び国際人権法に従い、年齢及び性別に配慮した援助(医療、リハビリテーション及び心理的な支援を含む)を適切に提供し、並びにこれらの者が社会的及び経済的に包容されるようにする義務があります。」とドチャーテイ氏は語った。
「誤った兵器を取り扱える適切な手など存在しない。」
カザフスタンとキリバスは、核禁条約第1回締約国会議の議長国であるオーストリア政府からの要請に基づいて、専門家や市民社会と協力して核禁条約第6条・7条の履行と促進を提案する作業文書の起草し、この関連行事を経て提出した。締約国の取組みは、あらゆる種類の被害者援助、物質的・心理的・金銭的補償に対して振り向けられねばならないとしている。
オーストリアのアレクサンダー・シャレンベルク外相は、核禁条約第1回締約国会議の開会式の辞で、「核のリスクがこの数十年で最も高まっており、だからこそ適切な教訓をここから導き出す責任があります。」と訴えた。
シャレンベルク外相はまた、「今は(核禁条約の発効を)祝っている時ではありません。欧州に再び戦争が戻ってきました。この侵略戦争の衝撃は世界中に伝わっています。しかし、それのみならず、ロシアによるウクライナへの残酷な侵略には、核兵器の使用という明確な脅迫も伴っているのです。これは露骨な核の脅迫です。国連憲章の明確な違反であり、完全に無責任であり、まったく容認できません。」とロシアを批判した上で、「ロシアの行為は一つの真実に光を当てることになりました。すなわち、この恐るべき兵器が存在しつづける限り、人類すべてにとって脅威であり続けるということです。」と警告した。
シャレンベルク外相は、コフィ・アナン元国連事務総長の言葉「誤った兵器を扱う正しい手など存在しない。」を引用したうえで、「核兵器の保有は正当化できるという主張に対抗しなければなりません。核兵器が人間にもたらすリスクや帰結を考えれば全く容認できるものではありません。」と語った。
国連のアントニオ・グテーレス事務総長はビデオでの声明で、生命の問題は全ての人の問題なのだから、核軍縮はあらゆる人々の問題であると指摘した。「この連帯に加わることによってのみ、この凄惨な兵器を廃絶することができ、より平和で、信頼に満ちた世界を構築することができる。核兵器がわれわれを滅ぼす前にわれわれが核兵器を廃絶しよう。」と呼びかけた。(原文へ)
INPS Japan
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