アッシジの宗教間対話会議で、被爆者、科学者、宗教リーダーらが一つの深刻な問いに向き合った。人類は、自ら生み出し続ける破壊的な力を制御できるのか。
【アッシジ(イタリア)INPS Japan=浅霧勝浩】

広島と長崎に原子爆弾が投下されてから80年以上が過ぎた今、世界は新たな、そして潜在的に危険な問いに直面している。人間の生命に関わる判断が、次第に人間から機械へと委ねられるようになったとき、何が起こるのか。
この懸念は、イタリア中部アッシジで開かれた国際平和会議の議論を貫く重要なテーマとなった。宗教リーダー、核軍縮運動の関係者、技術専門家らは、核兵器と人工知能(AI)がもたらす危険について議論した。性質の異なる二つの技術に共通するのは、ひとたび制御を失えば、壊滅的な被害を引き起こしかねないという問題だ。|英語版|
10月25日から27日まで聖エディジオ共同体が主催したこの会議は、1986年に教皇ヨハネ・パウロ2世が世界の主要宗教の代表者をアッシジに招き、平和を祈念した歴史的な集会から40周年を記念するものだった。
今回のテーマ「武器のない平和、武器を捨てさせる平和(Unarmed and Disarming Peace)」には、特別な切迫感があった。核軍備管理の枠組みが弱体化し、世界の軍事支出が過去最高水準に達する一方、AIは急速に防衛システムへと組み込まれ、その影響を予測することは依然として難しい。
もはや問われているのは、人類が自らを滅ぼす手段を保有しているかどうかだけではない。そうした手段が使われるのを防ぐ判断力を、政府や社会が持ち続けられるかどうかである。

広島からの警告
核軍縮と核拡散をテーマとするフォーラムでは、核戦争が人間にもたらす被害が議論の道義的な出発点となった。
広島の被爆者、田中カツ子氏(田中稔子の名でも知られる)は、6歳だった1945年8月6日の原爆投下を振り返った。
その証言は、無差別に命を奪い、生き残った人々にも何十年にもわたって身体的、精神的な傷を残した惨禍を伝えるものだった。
長崎の中村倫明大司教は、公開された演説原稿の中で、医師であり被爆者でもあった永井隆の遺した思想に言及した。永井は戦後、平和のために残された人生をささげた人物である。
両者の視点は、人々が失うかもしれない命よりも、軍事力の均衡によって安全保障を測ろうとする核抑止論に根本的な問いを投げかけた。

核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のスージー・スナイダー氏は、核戦力の近代化と軍備管理体制の後退がもたらす危険の高まりを指摘した。
米国とロシアの新戦略兵器削減条約(新START)が2月に失効し、続く2026年の核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議も合意文書を採択できずに終わったことで、核軍備管理の将来に対する懸念は一段と強まっている。
国際社会の関心は現在、11月末に開幕する核兵器禁止条約(TPNW)の第1回再検討会議へと向かっている。
しかし、核軍縮を求める人々の前には、根強い障害が立ちはだかる。核兵器を保有する国々の大半が、この条約に参加していないのである。
戦争を知らない世代に伝える
核廃絶運動に取り組む仏教団体、イタリア創価学会にとって、教育はこうした現状に対処するための重要な手段となっている。
イタリア創価学会の関連機関であるBe The Hope財団を代表するアレッシア・トラーマ氏は、準備した演説原稿の中で、イタリア各地の地域社会で核兵器に関する展示や教育活動を展開してきた「センザトミカ(Senzatomica)」の取り組みを紹介した。
この運動は、創価学会の戸田城聖第2代会長が1957年に発表した原水爆禁止宣言を、その思想的な原点としている。
広島と長崎の記憶を受け継ぐことは、とりわけ戦争を直接知らない若い世代が、自らの責任として核軍縮を考え、行動することにつながらなければならない。それが、この活動の根底にある考え方だ。
しかし、核兵器という既存の脅威を減らそうとする取り組みが続く一方で、AIの進歩は軍事力のあり方そのものを変えつつある。
人間の判断が不要になるとき
「テクノロジーの時代における人間性」をテーマとする別のフォーラムで、ヴィンチェンツォ・パリア大司教は、技術の発展が、それを統治するための制度や仕組みを上回る速度で進んでいると警告した。
イタリアのAI研究者ティツィアーナ・カタルチ氏は、重要な区別を示した。意思決定の過程に人間が関与していることと、その人間が実質的に判断を制御できていることは、必ずしも同じではないという点だ。

機械が示した推奨を人間の担当者が形式的に承認していても、その判断がどのように導かれたのかを十分に理解できず、異議を唱える能力もなければ、実質的な統制は失われかねない。
軍事作戦において、その隔たりは人命に関わる重大な結果を招く可能性がある。
カタルチ氏は、AIシステムに対する監督の強化と、人間による実質的な統制なしに殺傷の判断を行う自律型兵器の禁止を訴えた。

創価学会渉外局長の長岡良幸氏は、仏教が説く生命の尊厳という観点から、この問題に迫った。
長岡氏は、日本でもAIが日常的な相談相手として受け入れられつつあり、人生の極めて個人的な決断に際して助言を求める人々がいることを紹介した。
その一例が、末期の病を患う夫の治療をめぐって、生成AIに相談した高齢女性の話だった。
長岡氏にとって重要なのは、AIが有用な情報を提供できるかどうかではない。こうしたシステムへの依存が深まることで、人間自身が困難な道徳的判断を引き受けようとする意志が、次第に弱まるのではないかという問題である。
特に長岡氏は、人間を殺傷する判断を自律型致死兵器に委ねる危険を警告し、攻撃対象となる人間を自ら選び、攻撃する兵器システムを禁止するための国際的なルールを求めた。
この問題意識は戦争だけでなく、医療にも及ぶ。統計的な予測は治療の判断に役立つとしても、思いやりや本人の意思、医療専門家の責任に取って代わることはできない。
人間を助ける技術にもなり得る
一方、ほかの登壇者からは、AIを脅威としてのみ捉えるべきではないとの指摘もあった。
ゲイツ財団のマット・ヴェイジー氏は、AIが医療、教育、農業に関する知識へのアクセスを改善し、とりわけ技術発展の恩恵から取り残されてきた地域社会に貢献できる可能性を強調した。
ただし同氏も、人々が意思決定を容易にするために設計されたシステムへ、自発的に道徳的責任を手放してしまう危険を指摘した。
Ciscoのジャンパオロ・バロッツィ氏は、人間の能力を中心に据えて仕事を再設計する必要性を訴えた。また、米国ユダヤ人委員会のノーム・マランス氏は、情報を蓄積することと、知恵を働かせることの違いを強調した。
登壇者たちが、単一の規制案を示したわけではない。それでも議論は繰り返し、説明責任、透明性、人間自身による判断の重要性へと立ち返った。
会議の閉幕時に発表された平和アピールは、こうした問題をより広い課題と結び付け、兵器に費やされる資源を食料、水、教育、医療、働きがいのある仕事へと振り向けるよう求めた。

また、核の脅威、再軍備、AIを国際協力が必要な課題として挙げた。
そこには、ますます深刻になる人類のジレンマが浮かび上がる。
人類は計り知れない力を持つ技術を生み出してきた。しかし、その破壊的な利用を抑えるための制度や道徳的な責任感が、技術の進歩に追いついているとは限らない。
広島の惨禍を生き延びた人々から、自律型兵器の危険に向き合う研究者まで、アッシジから発せられた警告は明確だった。
安全保障の尺度は、人類が何を作り出せるかだけではない。自ら作り出した力に対して、何を拒む覚悟があるかによっても測られなければならない。
INPS Japan
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