この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。
【Global Outlook=松下和夫】
戦争は最悪の環境破壊であり、人権破壊である。
ロシアによるウクライナ侵攻はまさに人道的危機に他ならない。また、戦争による環境破壊は甚大で、その影響は長期に及ぶと懸念される。たとえ戦争が終結しても、環境破壊と汚染は復興を困難なものにするだろう。
過去の戦争によって引き起こされた環境破壊の歴史は、戦争の影響は広範かつ長期にわたるであろうことを示している。従って、少なくとも国際的な環境モニタリングと長期的な監視を一刻も早く開始する必要がある。(原文へ 日・英)
ウクライナは多くの石油精製所、化学工場、冶金施設を持つ重工業国である。ウクライナにおけるロシアの軍事行動は、現在も将来も長期にわたって、ウクライナの人々と環境に深刻な脅威を与えている。そしてその影響はウクライナに留まらない。
特にマリウポリには、二つの大規模な製鉄所と50以上の工業団地がある。マリウポリへの集中攻撃は、大気、水、土壌に長期的かつ不可逆的な環境リスクをもたらすだろう。
また、ウクライナには1986年に史上最大の原発事故を起こしたチョルノービリ(チェルノブイリ)原発があり、現在も国内で15基の原子炉が稼動している。侵攻開始当初、チョルノービリ原発はロシア軍によって一時的に占拠された。15基の原子炉が稼働している国で軍事行動を起こせば、未曾有のリスクを抱えることになる。そして、ウクライナだけでなく、欧州全域の自然環境と人々の健康を何世代にもわたって危険に晒すことになりかねない。
ウクライナは、世界でも有数の貴重な自然の宝庫でもある。ウクライナ北部からベラルーシ、ポーランド、ロシアの国境に跨って、ポリーシャと呼ばれる低地帯がある。この広大な地域は、ドイツ国土のおよそ半分にあたる1800万ヘクタール以上にわたって豊かな自然が広がり、「欧州のアマゾン」とも呼ばれている。ここでは、モザイク状に広がる沼、湿地、森林、欧州最大の泥炭地帯をゆったりと貫くプリピャチ川が流れている。また、ポリーシャはオオカミ、ヘラジカ、バイソン、オオヤマネコなどの大型哺乳類の棲息地でもある。このように貴重なポリーシャでは、近年、着々と保護活動が進められてきたが、今や、戦車の走り回る戦場となってしまった。
また、ウクライナ最大の保護区でラムサール条約登録湿地である黒海生物圏保護区での戦闘では、宇宙からも見えるほどの火災が発生している。
この戦争は、ウクライナの小麦やトウモロコシに依存しているウクライナやその他多くの国々の数百万人の食糧安全保障を脅かしている。
そもそも、軍事行動そのものがもたらす環境破壊や有害物質・温室効果ガスの排出は甚大である。砲弾、ロケット弾、ミサイルなど発射されたものは全て金属を含んでおり、それらは環境中に残留する。爆発すると、これらの金属は粉々になり、工業地帯であれ住宅地であれ、当たったものに混入する可能性がある。そして、多くのエネルギーを消費する。
ウクライナの上空を飛ぶ戦闘機や、大地に散在する戦車は、膨大な量の燃料を消費する。兵員輸送車やトラック、燃えるインフラ施設は、いずれも大量のCO2を大気中に放出する。しかし、ある戦争でどれだけのCO2が排出されたかを正確に把握することは難しい。軍事関連の排出量に関するデータは極めて少ない。
ちなみに、欧州議会の左派が委託した紛争・環境監視団は2021年に、2019年のEUの軍事関連排出量は自動車1400万台分に相当すると試算している。
またオリバー・ベルチャーの2019年の分析によると、米軍は2017年に1日あたり27万バレルの石油を購入し、一機関としては最大の石油消費者となった。もし米軍自体が一つの国家であったとすると、世界で47番目の温暖効果ガス排出主体になるという(燃料使用による排出のみを計算)。米空軍だけでもこの排出量の半分以上を占める。これは航空機の燃料効率が極めて悪いこと、高高度でのCO2排出が地上における排出よりも4倍の温暖効果を持つためである。
戦争の長期的な悪影響の一つに、環境に関するガバナンスの崩壊の危機がある。紛争が勃発すると、国や地域、地元政府は対応を迫られ、環境保護プロジェクトは中止され、環境活動家や研究者は国外への脱出を余儀なくされる。
ロシアによるウクライナ侵攻は、両国だけではなく西側諸国でも軍事力の強化を加速させている。結果として、さらに大量の化石燃料が将来的に燃やされることになり、温暖効果ガスの排出は増えることだろう。政治的関心が喫緊の課題である気候変動から逸れ、気候変動対策に割くべき資源が失われ、今後の気候政策に悪影響を及ぼす可能性がある。これは、国際環境ガバナンスの危機を招きかねない。
2022年3月4日に閉会した国連環境総会では、108のNGOが、ロシアの行動を非難し、引き起こされている環境破壊を監視し対処することを求める声明に賛同した。
その一方、「ロシアによるウクライナ侵攻の環境的側面について」と題された環境平和構築協会の公開書簡は、ロシアの攻撃に直面したウクライナの人々への連帯を表明し、侵略が短期的、長期的に与える環境上のリスクについて論じている。書簡は3月3日に発表され、75カ国以上から902人の個人と156団体が署名している。書簡は次のように述べている。
世界中で平和を築くために人生とキャリアを捧げてきた市民と専門家として、私たちは紛争と環境の深い関連性、紛争後の平和と安定にとって健全な環境が極めて重要であること、それゆえ戦争の環境的側面に取り組むことが根本的に重要であることを深く認識している。
ロシアのウクライナ侵攻は、人権と人命に対して直接的な影響 を及ぼす。これらの影響は、戦争が環境に与えかねない壊滅的な影響によって拡大され、それ自体が人権、健康、福祉、生活に対する即時および長期の脅威となる。
この書簡は、ロシアと国際社会に対する次のような呼びかけで締めくくられている。
私たちはさらに次のことを求めます。
- ロシアは核施設・化学施設を攻撃対象としたり、その近辺で戦闘したりするのを直ちにやめること。こうした行為は、ウクライナ国内外で人間の健康や環境に対して、長期的で広範な、あるいは深刻な影響を引き起こす甚大なリスクがある。
- ロシアは、自国軍がウクライナで劣化ウラン弾を発射または配備したかどうかを緊急に明らかにすること。
- 国際社会はウクライナにおいて環境保護に取り組む人々がいることを認識し、彼らを保護すること。
- 国際社会は、遠隔から迅速な紛争に関する環境アセスメントを行うための財政的手段と技術的専門知識を動員し、紛争に関連した環境被害を特定・監視し、浄化するための能力を構築する現地の努力を支援すること。
- 国際刑事裁判所、人権高等弁務官事務所、国連環境計画などの関係当局が、武力紛争中の人権と環境を守る国際法違反の可能性を監視・調査すること。
ロシアのウクライナ侵攻が続く4月4日、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は最新報告書(第6次評価報告書第3作業部会)を発表し、壊滅的かつ不可逆的な環境の破壊を避けるために人類に残された機会は少なくなりつつあると警告した。
国際環境法センターの最高責任者で、前述の公開書簡の主執筆者であるキャロル・マフェット氏は、次のように述べている。
石油とガスが気候危機を助長しているように、ロシアのウクライナ侵攻は、化石燃料がいかに世界中の紛争に資金を供給し、煽り、長引かせているかを示している。化石燃料に依存し続けることは、地球温暖化と同様に、世界の平和を不安定化させることになる。
松下和夫は京都大学名誉教授、国際アジア共同体学会(ISAC)理事長、地球環境戦略研究機関シニアフェロー、日本GNH学会会長。環境行政、特に地球環境政策と国際環境協力に長く携わってきた。戸田国際研究諮問委員会のメンバー。
INPS Japan
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