【東京IDN=高村正彦】
東日本大震災からまもない、悲惨な爪痕が未だ至る所で感じられた時期に、米国のローレンス・サマーズ前米国家経済会議(NEC)委員長が「日本は今後、坂道を転がり落ちるように貧しい国になっていくであろう」とコメントしたと聞きました。
サマーズ氏がどのような根拠でそのような結論に至ったのか分かりませんが、私は、そんなことは絶対にないと思います。日本は必ず、再び昇る太陽のように、この惨事から復活すると確信しています。
66年前、日本は第二次世界大戦で敗北しました。約300万人の方々が亡くなり、主要都市はほとんど焼け野原になりました。当時私は子供でしたが、「日本は四等国になったんだ」という話を聞かされたことを覚えています。しかし世界中の多くの人々が「日本はもうだめだろう」と思った中で、日本は立ち上がって、立派に復興を成し遂げました。
日本という国はピンチに強いんだと思います。よくも悪くも、日本人というのは同じ方向に走り出す傾向があります。ピンチには最悪の状態から走り出すわけですから、みんな、いい方向へ走り出すのだと思います。
キリスト教なき資本主義
約100年前に、マックス・ウェーバーが、「資本主義というものは、資本の蓄積と技術革新があれば、それだけで成立するものではない。『資本主義の精神』というものが必要であり、それがないところで資本主義を実践しようとすれば、市場は単なる博打場になってしまうだろう。」と述べています。
「資本主義の精神」というのは何か。マックス・ウェーバーは、「それは『正直に勤勉に働くことが、神の御心に叶う』と説くプロテスタントの精神であり、こういう気持ちがまさに資本主義の精神である。」と述べています。
なぜ日本の場合、資本主義の精神(=プロテスタントの精神)がなくて、資本主義が成功したのかと言えば、日本には日本なりの資本主義の精神があったのだと思います。江戸時代(1603年~1867年)の初期に、日本では既に、「働くこと自体を尊きこと」とみなし、儲けを第一義としない「商人道」というものが成立していたと言われています。
日本は、「商人道」という「資本主義の精神」に相当する精神的背景を得て、キリスト教国以外で初めて資本主義を成功させ、敗戦から僅か23年で世界第2位の経済大国になることができたのです。
しかし、成功してしまうと、今度は日本社会にある変化が起きました。いつの間にか、その「商人道」は薄れて、儲けそのものが目的になってしまったのです。当時批評家の中には、そうした日本の姿を例えて「モノで栄えて、心で滅ぶ国だ」と批判する人たちもいました。
儲けそのものが目的になると、人々は額に汗してモノをつくるよりも、お金を右から左に動かしたほうが手っ取り早いと考えるようになりました。その結果、本来、産業の僕(しもべ)であるべき金融が、産業を僕にしてしまったのです。
職業の道徳原理が「儲け」優先主義に取って代わられた事例として、「建築物の安全基準を無視して(経費がかかる)鉄筋を抜きとる耐震偽装問題」や、「商品の産地を偽って消費者に高く売りつけようとする産地偽装」があります。
そのような偽装事件が起これば、当局は規制を強めざるを得ません。すると市場に悪影響を及ぼし、資本主義が機能不全に陥ってしまいます。その結果、心で滅ぶと、モノだけでは繁栄を維持できなくなるのです。そして、近年そうした建築・産地偽装にまつわるスキャンダルがおこり、段々おかしくなってきたところに、大震災が日本を襲ったのです。
しかし、日本は必ずまた立ち上がります。世界中の人々は、大震災後、食物の奪い合いもおこらず、被災者が助け合いながら、秩序正しく活動していることに驚いています。中国や韓国でも「日本を見習うべきではないか」という声が出てきているのです。
懸念
ただし、だからといって今後の日本について心配がないわけではありません。「国民はいいが、政治がだめだ」ということです。「そう言うお前も政治家の端くれとして、今日の政治状況を招いた責任があるだろう。」と言われれば、全くそのとおりです。しかし、これをどうするかというのは、大きな問題だろうと思います。
菅直人前首相(8月26日に辞任)はかつて、「国務大臣になるということは、一般国民を代表して、官僚組織が悪いことをしないように見張るために大臣になるのだ。」と語ったことがあります。
今度の大震災についても、こうした政治問題が表面化しました。例えば、私は、外国の大使館の人と付き合う機会が多いのですが、大震災の直後の日本政府とのやり取りについて質問を受ける機会が度々ありました。つまり今回の大震災に際しても、各国の大使館は日本政府に支援の申し出をしたのです。彼らの話によれば、1995年に勃発した阪神大震災の際にも、同様の支援を申し出たのだが、当時の日本政府(当時は自民党が与党政権)は大体2・3日で各々の申し出に対する返事を返してきたと言うのです。
しかし今回は、申し出をしてから3・4週間経過しても(菅直人政権の)日本政府からなんの返事も帰ってこなかったと口々に不平を言うのです。当然ながら、彼らの批判の矛先は窓口となった官僚に向けられました。
そうすると、担当の官僚たちは、「支援の申し出は、全部リストにして上層部に上げているが、政治家から返事が返ってこない。」と弁明したそうです。そこで大使館員が、「単にリストを作成して上げるのではなくあなたたち官僚は専門家なのだから、優先順位を付けて上げれば、(政治家から)もっと早く回答が帰ってくるのではないか。」と提案したところ、「残念ながら、もしそんなことをしたら、政治家から『余計なことをするな』と怒られてしまいます。」と言っていたそうです。
また大震災/大津波のあと、深刻なロジスティックな問題が持ち上がりました。つまり被災地のガソリンスタンドにガソリンが届かないことから、車の使用が困難となり、被災者の方たちが食糧調達できない、あるいは他の地域から被災者に食糧を届けようと思っても届けられないという事態が起こっていました。従って、被災地のガソリンスタンドにどのようにしてガソリンを届けるかが、石油業界にとって大きな問題となりました。しかしほとんどの道路は瓦礫で寸断されタンクローリーが入れない状態でした。そこで検討した結果、小型車にドラム缶を積んで届ける以外に方策はないという結論に達したそうです。
石油業界の人たちはこの結論をもって総理官邸を訪問し、現行の法律では認められていないドラム缶によるガソリン輸送について非常時における特別措置として許可してもらいたいと訴えたそうです。しかし、総理官邸からの回答は、規則違反になるので許可できないというものでした。
その2・3日後、彼らはどうしても、それ以外に届ける術がないということで、再度総理官邸に赴き、今回は石油業界のある責任者の方が「事故が起こったら、私がすべて責任をとるからやらせてください。」と言って再度特別許可を求めたそうです。すると総理官邸の回答は一転しで、「そうか、あなたが責任をとるのか。それなら、やってくれ」と言われたそうです。
菅直人政権は震災後、復興に関係する会議を20もつくっています。しかし20もつくると、権限、役割分担の境が分かりにくくなってしまいます。中には、民間の委員が会議に入って、1時間半か2時間会議をやって、何も決まらないというケースも耳にしています。
広がる官僚的形式主義
菅政権と東京電力は共同で「統合対策本部」というものをつくりました。それで、(福島第一原発事故を収拾するための)工程表が完成すると、統合対策本部ができているにもかかわらず、東京電力が記者会見を開き、「その工程表は東京電力が作成した」と発表したのです。
また「福島第一原発にたまっている放射能に汚染された水を浄化する装置をつくる」という発表をした際も、具体的に説明したのは東京電力の人でした。統合対策本部の事務局長である総理補佐官も同席していたので、私は彼が、「政府は東京電力と一緒に責任を負う」という話をすると思っていました。ところが、その総理補佐官は終始無言をとおし、記者会見の最後になって、「これは政府が強く迫って、東京電力にやらせたものです」とだけ発言したのです。つまり、それが成功すれば政府の手柄、失敗したら東京電力の責任、と言わんばかりの発表の仕方をして、本当にそれでいいのかと疑問に思いました。
さらにひどいのは、事故初期にとられたとされる原発への海水注入についての説明内容です。いまなお真実は藪の中ではっきりとしたことは分かりません。東京電力が海水を自ら注入していたが途中で作業を停止したという説明です。はたして海水注入の中断は菅総理の指示によるものだったのか、それとも菅総理の考えを東京電力の人が忖度(そんたく)して、現場に止めさせたのか、そこは、わかりません。
しかし「東京電力は海水を入れると廃炉になってしまうから、営利会社として入れるのをためらっていた。それを菅総理が強い指導力を発揮して、海水を入れさせた」という、政府が2カ月間流し続けていた情報が、全くデタラメだったということは、間違いない事実です。
福島第一原発事故が発生して以来、東京電力には多くの問題が持ち上がっていたことから、東京電力を悪役に据えることは容易だと思います。しかしだからといって政府がこのような発表をするのは間違っていると思います。政府と東京電力の関係とは、たとえ政府が、全ての問題の責任を東京電力のせいにしたとしても、東京電力は、それを「違います」と言えない関係なのです。(原文へ)
翻訳=IPS Japan
高村正彦氏は、法務大臣(第70・71代)、防衛大臣(第3代)、外務大臣(第126代・140代)を歴任。本記事は、IPS Japanと尾崎行雄記念財団の共同プロジェクトの第一弾で、政経懇話会における高村氏の講演(5月26日開催)を元に作成したものである。
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