INPS Japan/ IPS UN Bureau Report|カンボジア|終戦から25年、いまだ貧困にあえぐ戦争未亡人

|カンボジア|終戦から25年、いまだ貧困にあえぐ戦争未亡人

【バッタンバンIPS=サム・リス】

1975年から79年までクメール・ルージュ(KR)の支配下で大虐殺を経験したカンボジアでは、1998年時点の政府調査で成人女性の5.2%が未亡人となり、全世帯の4分の1が母子世帯であった。母子世帯の割合は現在19%に減少したが、大量の成人男性が亡くなって男女比のバランスが崩れたことで、残された未亡人は大家族の稼ぎ手として筆舌に尽くしがたい苦労を重ねている。

北部オカンボ村のファン村長によれば390世帯のうち91世帯が未亡人を家長とし、負債を抱えながら、農業に携わって毎日を凌いでいる。スレイ・ラ(65才)の夫は11人の子供を残して1978年に亡くなり、ラ自身もKRに殺されかけた。現在、9人の子供が結婚し、孫が33人。毎朝4時に起床し、歩いて10キロ先の畑に行きスイカを栽培する。300キロの米の収穫は地代となり、スイカの収入も借金の返済に費やされ、自由に動くことができること意外、生活ぶりは戦時中と変わらない。

 バッタンバンの女性問題本部(Department of Women Affairs)シム・メアリー部長代行によれば、同地区のおよそ18万世帯のうち3万世帯以上を率いるのが未亡人である。そのうち60%はKR政権下で夫を亡くし、20%が80年代の内戦で、残りはマラリヤ、エイズなどの疾患で夫を亡くした。未亡人を家長とする世帯は母親が組織に属さず、農地も所有せず、大勢の子供を育てるために所有物を売り払ったりするので典型的に貧しい。

同村のチャン・スーム(69才)の夫は77年にKRに連れ去られ、数日後に殺害されたといわれている。スームはキノコや、カポックの果実や葉を採取して一家を支えている。生活は苦しいが、罪を罰することが若い世代への手本となるので2006年に予定されているKRの裁判を歓迎する。裁判のために使う予算は、究極的に貧しい者に還元されると信じている。

プノンペン北部のトラパンチョー村の未亡人オー・レイン(59才)は裁判に価値を見出さず、「貧しい人に直接予算を配分すべきだ」と言う。レイン自身も政府軍兵士をかくまったとしてKRに殺されかけたところを侵攻してきたベトナム軍に救出された。この兵士はフン・セン首相のボディガードとなり、今もレインを頻繁に訪ねてくる。
 
 フン・セン首相補佐官でありカンボジア人権委員会の委員長を務めるオム・イエンティンによれば、KRによって夫を殺害された多くの未亡人は涙を流すことも禁じられてきた。

過去25年の戦争と紛争によりもっとも打撃を受け、いまだに戦禍から立ち上がることができずにいる未亡人について、IPS Asia-Pacificならびに国際交流基金後援の紛争報道プログラムによる「プノンペン・ポスト」紙のサム・リス記者の報告を紹介する。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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