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│イスラエル‐パレスチナ│リングの中では、攻撃は平和的に

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【エルサレムIPS=ピエール・クロシェンドラー】

試合開始のゴングが鳴り響く。ここは、エルサレム西部にある防弾シェルターを改装したボクシンググラブだ。パレスチナ人のボクサーがコーナーから飛び出して、リング内を駆け回り、イスラエル人の相手とパンチを交わした。

もし彼がノックアウトを取ったら、イスラエル・パレスチナ紛争への新しい形の癒しとなるのだろうか?2人はお互いの不和をリングの中で永遠に解決しようというのであろうか?

  実は、この場所はまったく反対の意味を持っている。民族によって分断されたこの街では、ここは奇妙な場所だ。

地下に隠れて、イスラエル人とパレスチナ人が同じ愛を共有する。平和や寛容、共存とはほとんど相容れない、スポーツの中ではもっとも暴力的なものへの愛である。

ユダヤ人、アラブ人、信仰家、世俗派、ロシア移民、外国人労働者、男に女。皆がここ「エルサレム・ボクシングクラブ」で練習を積んでいる。リングではパンチを繰り出し、生活においてはパンチなど使わなくてもいいようにする術を覚える。
 
 クラブの常連2人と会った。右は、ライトヘビー級のイスマイル・ジャアファリ(36)。東エルサレムのパレスチナ占領地である向こう町のジャベル・ムカベルでトラック運転手をしている。

左は、ライト級のアキバ・フィンケルスタイン(17)。ヨルダン川西岸占領地区のイスラエル入植地ベトエルで宗教学校に通っている。伸び盛りの選手だ。最近では、親善試合で欧州のタイトルホルダーを破った。

彼ら2人が練習ラウンドの前に吐かねばならないのは、普通に見られるような、自分の強さを誇示し自己満足をもたらすような言葉ではない。「リングの中では、僕らはみんなボクサー。出自は関係ない」とイスラエルでジュニアのタイトルを持つフィンケルスタインは言う。「ここではみんな平等だ。どんな宗教か、どんな民族かは関係ない。」とジャアファリもいう。

クラブは、ルクセンブルク兄弟によって運営されている。「すべての人間には悪の部分がある。だから敵対や暴力が起こるのです。」と兄のエリ・ルクセンブルクはいう。「情勢について新聞で目にする。頭に血が上る。そこで、ここに練習に来る。この小さな場所の内に、お前のすべての怒りを持ち込んでくるんだ……」。
 
 「でも、フェアプレイは絶対だ!争いを解決するためにみなここに来ているんじゃない。それは神の禁ずるところだ」と弟ガーションの声が響く。「俺らは子どもたちをよーくみてる。もし、ファイトの中に憎しみが垣間見えたら、そいつはリングから放り出す。俺らは単にファイティング・スピリットを養いたいだけだ。ボクサーは兵士であり、紳士でなければならん。お互いを尊重せねばならん」とガーションは釘をさす。

ルクセンブルク兄弟は1960年代初めに旧ソ連でボクシングの名声を得た。二人ともヘビー級だ。エリは2度ソ連のチャンピオンになり、ガーションはウズベキスタンのチャンピオンになった。「子どものとき、俺らはユダヤ人への嫌がらせから自分たちを守るためにボクシングを習わなきゃならなかった。要はサバイバルということです。」とエリは回想する。

1972年、はじめてイスラエルの地に降り立ったガーションは、イスラエルの不倒のチャンピオンに何度もなった。そしてまた、強烈なナショナリストでもあった。「コーチを始める前は、アラブ人はこの国の障害であり、共存できないと思っていた。でも、ボクシングがこれだけお互いを近づけるなんて、信じられないね」。

ジャアファリは、ルクセンブルク兄弟の後押しを得て、クラブで14年も訓練を積んでいる。イスラエルのチャンピオン戦ではレフェリーも務めている。彼にとっては、「スポーツは境界を越えるもの」。「グローブをはめ、政治的状況はリングの外においてくる」。

言うは易く、行うは難し―紛争がもっとも激しかったころ、イスラエルのクラブ員とぶつかってどうにもならなくなるのを避けるため、クラブには出入りしないようにしていたことをジャアファリは思い出す。

ガーションなら、彼に電話をしてクラブに出てこいというだろう。「外の政治的状況がなんだ」「俺らはここにいるんだ」「俺らは友達以上のものだ。ここは家庭のようなもの、俺らは家族のようなものだ」。ジャアファリは興奮しながらそう言う。

エルサレムでは、イスラエル人とパレスチナ人が、別々の、互いに干渉しない生活を送っている。住居や教育が分かたれ、政治的情念も分かたれ、すべてが互いへの無関心につながっている。

練習マッチを行うリングの上には、モハメド・アリのポスターが鎮座している。「版図を変えるために、国の間の戦争は行われる。しかし、貧困との闘いは、変化を生み出すために行われる」とボクシング界のこのレジェンドはかつて言ったことがある。

このイスラエル人とパレスチナ人を結びつけるものは、ボクシングへの情熱だけではなく、彼らの社会的背景だ。彼らの多くが、貧困地区の出身なのである。

若い人たちの新しい日常生活を創り出すようルクセンブルク兄弟から刺激を受けたジャアファリは、自分の住んでいる地区でボクシングクラブをやり始めた。クラブのメンバーがよくやってきて試合を繰り広げている。ジャアファリの育てたボクサーは、パレスチナのチャンピオン戦を多く勝ってきた。

別のパレスチナ人であるギト・ザカルカがウォーミングアップを先導し、リングの中をジョギングして回る。ザカルカを見ているのは、若く未来もあるイスラエルのボクサーたちだ。フィンケルスタインは、クラブの安全な境界線の外では、パレスチナ人と時間を共にすることはないことをよく知っている。

それでもなお、少しずつ、ボクシングは彼を変えてきた。「昔は、アラブ人なんて馬鹿な連中、テロリストだと思っていました。」と彼は困ったような表情で認める。「でも、ここでは、パレスチナ人と接してみて、みんないいやつだし、みんな友達です。ものの見方を手に入れるにはここはすごくいい場所です。アラブ人の悪口を言っているやつがいたら、お前はアラブ人がどんなやつか知らないくせに、といってやりますよ。」

ゴングがまた別の練習ラウンドの終わりを告げた。フィンケルスタインとジャアファリはグローブ越しの友好の握手を交わす。
 
 聖書の時代には、イスラエルのダビデ王はペニシテの巨人ゴリアテと戦った。人々は、血みどろの戦いに駆り出された。

「ダビデとゴリアテは死ぬまで戦った。ここでは、俺らはラウンドを積み重ねて、ポイントを取っていくだけです。」とフィンケルスタインはいう。

ラウンドを積み重ねてポイントを取ることは、イスラエルとパレスチナが63年間の紛争の中でやってきたことだ。彼らはゴングの音で救われるのだろうか?「これは戦争だ。そしてそこには人生がある。収めることはできるはずだ」。ガーション・ルクセンブルクは、自信をもってそう語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan
 

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|エジプト|ホスニ・ムバラクの引き際(アーネスト・コレアIDNグローバルエディター・元米国スリランカ大使)

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【ワシントンIDN=アーネスト・コレア】

26年前、もう一人のアメリカ大統領が、米国の同盟国の独裁者に特使を派遣し、独裁政権の幕引きを警告したことがあった。

ロナルド・レーガン大統領は、親友で相談相手のポール・ラクソルト上院議員をフィリピンに派遣し、フェルディナンド・マルコス大統領とのこの困難な折衝にあたらせた。その結果、マルコスは2年後に自由で公正な選挙を実施することに合意した。

 しかしフィリピン国民はマルコスに2年もの猶予を与えなかった。数か月後、マルコスの退陣を求める民衆の抗議の声がマニラの街を埋め尽くした。民衆のデモ行進は平和的なものだったが決定的なものだった(エドゥサ革命)。民衆がマラカニアン大統領宮殿に迫る中、マルコスは緊急回線でラクソルト上院議員に電話をかけアドバイスを仰いだ。この際、ラクソルト議員は「今が潮時だ。潔く身を引くべきだ。」と伝えたという。エジプトのホスニ・ムバラク大統領にとっても「潮時がきた」というべきだろう。

衝突

「世界はエジプトで前例のない民衆行動を目の当りにしているのです。」と、世界銀行前副総裁でアレキサンドリア図書館館長のイスマイル・セラゲルディン氏は語った。

セラゲルディン氏によると、民主化デモに参加した多くの民衆は青年に率いられたもので、政府に対してより幅広い自由と民主化の実現、生活必需品の価格引き下げ、並びに就労機会の拡大等もっともな要求を掲げている。こうした改革を即時実施するよう要求する群衆に対して、当初警察が暴力的な介入を試みたが、撃退されてしまった。

「次に軍隊がデモの現場に派遣されたが、民衆は軍を歓迎し、当初彼らの存在はデモに対する実力行使というより暴動を抑止する象徴的なものにすぎなかった。事態が悪化したのは、暴漢や(おそらく当局側が派遣した)扇動者が現れ略奪が開始されてからだった。これに対してデモに参加していた青年たちは、グループ分けをし、交通整理、近隣住民の保護、重要公共施設(エジプト考古学博物館やアレキサンドリア図書館等)の警備にあたった。

デモ参加者、とりわけ青年たちが、軍に協力して略奪者から文化遺産を守ろうとしたのは印象的な光景であった。

米国による当初の反応

エジプト情勢に対するオバマ政権の当初の反応は、静観しつつ、「ムバラクが去った場合の」中東予想図、国益への影響等を分析するというものであった。オバマ政権は、政権内部の中東専門家に加えて幅広い学者、政策責任者に意見を求め、それらを検討、凝縮していった。
 
 オバマ大統領は2009年6月4日にカイロで行った演説(本文末の映像資料を参照)で「結局、人権を保護する政府が、より安定し、成功し、しっかりとした政府になる、ということです。意見を抑圧しても、それを消してしまうことはできません。米国は、たとえ同意できない意見であっても、世界中で平和的・合法的なすべての意見を述べる権利を尊重します。そして私たちは、選挙によって選出された平和的な政府が、国民全員を尊重する統治を行うならば、そうした政府をすべて歓迎します。」とエジプトの聴衆に語りかけた。

しかしオバマ大統領は、エジプト情勢に対する米国の明確な態度を決定する前に、その判断が米国の貿易、中東情勢そして国内政治に及ぼす影響を慎重に検討しなければならなかった。その結果、一般教書演説ではチュニジア革命に対する支持を表明したものの、その後のエジプト情勢に関する言及は避けた。

しかしまもなく、エジプトに真の安定を回復させるには、ムバラク政権の下では不可能だろうという見方が明らかになった。

幕引きを巡る駆け引き

しかし30年に亘って無制限の権力を保持してきた軍事指導者に「潮時がきた」というメッセージを伝えることは容易なことではない。オバマ大統領は、元ベテラン外交官で事業家のフランク・ウィスナー大使にこの任務を託した。

ウィスナー氏はエジプト、インド、フィリピン、ザンビア等の大使や国防次官を歴任した人物で、ムバラク大統領とも親しい関係にあると言われている。

ウィスナー大使との面談後、ムバラク大統領は声明を発し、きたる9月の大統領選挙に出馬しない意向を国民に伝えた。これはムバラク大統領の譲歩とも言えるが、一方で容易には引退しないという米国政府に対する明確なシグナルでもあった。

ムバラク大統領は今回の状況に直面して自らを「悲劇のヒーロー」と見做しているようである。彼は国民に向かって次のように語りかけた。「本日皆さんにお話し申し上げているこのホスニ・ムバラクは、長年エジプトと国民のために尽くしてきた年月を誇りに思っています。この親愛なる国は私の祖国であり、全てのエジプト人の国です。私はこの国で生き、この国のために戦いその国土と国益を守ってきました。そして私はこの国で死ぬつもりです。私の功罪は他の人々と同じくやがて歴史が判断することでしょう?」

政治的限界

「国家の守護者」を自認するムバラク大統領は引き続き次の大統領選挙まで権力を行使し従来通り選挙過程も支配する意向である。そうなれば現状維持となり具体的には次のような展開となるだろう。

・ムバラク大統領の前任者アンワル・サダト大統領が暗殺された際に宣言された「非常事態宣言」は以来今日まで施行されたままだが、今後も解除されないだろう。

・今回の反政府運動が最も盛り上がった際に見られたように、通信施設や社会的ネットワークを政府の意のままで断絶したり再開したりする等、政府による政治活動への制約は今後も引き続き加えられるだろう。

・選挙法や選挙に関する慣習は従来通りとなり、選挙操作でムバラク大統領の子息を当選させようとする試みを防ぐことは出来ないだろう。

ノーベル平和賞受賞者で前国際原子力機関事務局長(IAEA)のモハメド・エルバラダイ氏は、今回の民主化運動参加者にある程度のリーダシップを提供してきたが、ムバラク大統領の発表を「詐欺行為」であり「ふざけた内容だ」と評した。

ムバラク大統領と約30分に亘って非公式に会談したオバマ大統領は、エジプトにおける変革をこれ以上遅らせてはならないと公に主張する必要性を感じた。オバマ大統領は短いテレビ演説の中で、「エジプトの指導者を決定するのはいかなる国の役目でもない。それはエジプト人のみがなせる事項である。明らかなことは、私は今晩、ムバラク大統領に対して、秩序ある権力移譲こそ重要であり、平和裏にかつ今からすぐにでも取り掛からなければならないという私の真意を伝えるということです。」と語った。

暴漢の登場

まもなく、ムバラク大統領と同僚は権力移譲に関して異なる考えを持っていることが明らかとなった。反政府デモの参加者は挑発もしないのに仕掛けられた攻撃から自衛する以外は、当初から一貫して平和裏の抗議行動を行ってきた。

しかし2月2日(水)の朝になると、暴漢が出現した。彼らの一群はバスに分乗してタハリール広場を囲むエリアに乗り込んできた。そしてもう一群は鞭を振り回しながら馬とラクダに乗って広場に乗り込んできた。そして広場に終結していたデモ参加者に対して、「ムバラク大統領は去らない」と叫び続けながら攻撃を加えた。

ニューヨークタイムスのコラムニストであるニコラス・クリストフ氏は以下のように報道している。「暴漢たちはマチェーテ(大鉈)、折り畳み式の西洋ナイフ、こん棒、石で武装していた。彼らは皆、同じスローガンを唱え、ジャーナリストに対して同様に攻撃的な態度をとった。彼らは明らかに組織化され事前に指令を受けていた…。」

数人の地元並びに外国人のジャーナリストが攻撃の対象となり、暴漢たちは彼らへの脅迫、機材の破壊や、追い払おうと執拗に追いかけるなどの試みがなされた。中には拉致されたものもいた。アメリカ人のジャーナリストでは、ABC放送のクリスチャン・アマンプール、CNNのアンダーソン・クーパーがこのように暴漢の標的となった。

軍は暴漢の攻撃に参加しなかった。しかし彼らを止めもしなかった。暴漢が広場に到着する少し前、軍当局の広報担当官が国営テレビに登場し、民主化運動の支持者に対して次のような質問を投げかけた。「私たちは安全に通りを歩けるか?規則正しく職場に戻れるか?子供たちと通りに出だり学校や大学に通えるか?店や工場やクラブを開店できるか?」

「正常な日常生活を復帰させることができるのは皆さんなのです。」と広報官は付加えた。「あなたたちの要求は受け取りました。私たちは皆さんの要求を知っています。軍は皆さんとともにあります。」そう言って、広報官はデモ参加者が帰宅するよう強く促した。

隙間が埋まりつつあるのか?
 
 
その後起こったことについて、目撃者達は、「それまで軍は、大統領反対派と支持派を分けるように広場の警備を固めていたが、衝突が始まると一切干渉しなかった。兵士の殆どは軍の装甲車や戦車の後ろや中に引き下がった。」と証言している。

はたして軍当局は暴漢が配置されることを事前に知っていて衝突を避けようとデモ参加者の帰宅を促したのだろうか?それとも暴漢による反政府デモ参加者への暴力を止めようとしなかった軍の動きは、軍当局とムバラク政権の間に存在するかもしれないと考えられていた意識のずれが埋まりつつある、或いは既に埋まったということを意味するのだろうか?

民主化を求める勢力を攻撃させ、あえて混乱を作り出し、それを口実に従来の強権支配を正当化させる弾圧計画が進行しているのだろうか?もしそうした計画がムバラク政権の戦略として進められているとするならば、国際社会はムバラクの政権移譲を「今すぐにでも」開始するよう一層の危機感をもって圧力をかけなければならない。

想定されるシナリオ

しかし現実には以下のようなシナリオを想定する必要があるだろう。

ムバラク大統領は30年の長きにわたって「政権に留まり続ける」ことができる能力を示してきた。様々な材料がムバラクの「潮時」であることを示唆してはいるが、多くのエジプト問題専門家は、ムバラクは今一度自身の権力維持を目指し、権力移譲に動くことはないだろうとみている。

一つのシナリオは、ジョークで有名なエジプト人の間で流行っている次の政治ジョークによく描かれている。

このジョークには、米空軍の飛行機がカイロに飛来し、隔離された某所に海兵隊の厳重な警備のもと待機するところから始まる。そしてついに「確かな情報筋」として、ムバラクが数カ月にわたる政権維持の試みの果てに、ついに民衆からも、政治パートナーからも軍からも支持を失ったことを悟り、安全に国外に逃亡する手段として航空機が手配されたのだという風評が流れる。

この話を聞きつけて、民主化運動の指導者たちが、「ムバラクは、欠点はあったものの、(彼のこれまでの功績を考えると)このまま黙って国を後にさせるのは忍びない。せめてムバラクを訪問して、旅の無事ぐらい祈ろうではないか。」ということに決する。

そしてムバラクの大統領宮殿を訪問した民主化運動の指導者たちは、対応に出たムバラクの側近に「大統領にお取次ぎしますので暫くお待ちください。」と、ムバラクの執務室の外で待つよう指示される。執務室に入った側近はムバラクに向かって、「大統領閣下、民主化運動の指導者たちがドアの外に来ておりまして、閣下にお別れを申し上げたいと言っております。いかがいたしましょうか?」するとムバラクは、「おおそうか。それはご苦労なことだ。ところで、彼らはどこに行くのかね?」と尋ねた。

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

*アーネスト・コレア氏は元スリランカの外交官で、駐カナダ、キューバ、メキシコ、米国大使、またメディアと開発に関するコモンウェルス特別委員会の委員長を歴任した。またジャーナリストとしては、セイロンデイリーニュース、セイロンオブザーバーの編集長、シンガポールのストレイトタイムスのコラムニストと務めた。現在、IDN-InDepth Newsのグローバルエディター、編集委員及び国際協力評議会(GCC)のメディアアスクフォース議長を務めている。


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パキスタン・ソマリアとロシアの共通点とは?

【ベルリンIDN=ラメシュ・ジャウラ】

騒乱に満ちたイラク、予測不可能な北朝鮮、危機に見舞われたパキスタン、「破綻国家」ソマリアと、ロシアに共通する部分とはなんだろうか。

リスク分析を専門とするメイプルクロフト社が出した年次報告書「政治的リスクアトラス(Political Risk Atlas)第3版」によると、かつての超大国ロシアは、これら4カ国とともに、「きわめてリスクの高い」国に分類されている。

  ロシアの経済力は確かに向上している。しかし、「動的な政治的リスク」という面から見ると、ロシアは世界でもっともリスクの高い10ヶ国の中に入ってくる。「動的」という言葉の意味は、政府や地方自治体、政治的動機を持つ集団などの行動により急速に変化するようなリスクを示しており、具体的には、紛争やテロ、法の支配、ビジネス環境などの領域に関連している。

今年の報告書で注目すべきは、新興経済国ロシアが昨年の15位から今年初めてトップ10入りしたことである。一方、パキスタンも昨年の11位から2つランクを上げて9位となった。

「きわめてリスクの高い」国々は、ソマリアを先頭に、コンゴ民主共和国、スーダン、ミャンマー、アフガニスタン、イラク、ジンバブエ、北朝鮮、パキスタン、ロシア、中央アフリカ共和国の計11ヶ国である。

この内のアフリカ3カ国及びパキスタンについての評価をみるとロシアのトップ10入りがいかに深刻な状況であるかを示している。

ソマリアは、北西部の「ソマリランド共和国」と北東部の「プントランド」に分裂しており、まさに「破綻国家」といえる。

コンゴ民主共和国(DRC)はアフリカで3番目に大きな国土と6700万人の人口を擁する国であるが、ロンドンの政治経済誌「エコノミスト」が「アフリカの世界大戦」と呼んだ紛争の舞台となり、約300万人の犠牲者を出し人道危機に苛まれている。

アフリカ北東部に位置するスーダン(アフリカ・アラブ地域で最大、世界で10番目に大きな国土を擁する)は1989年からオマル・ハサン・アル・バシール大統領が支配している。2008年3月8日、国際刑事裁判所(ICC)がバシール氏に対して戦争犯罪・人道に対する罪で逮捕状を発行したことから、同氏は現職の首脳でICCから起訴された最初の人物となった。

さらにICCは2010年7月12日、ジェノサイドの罪でバシール大統領を追訴した。ICC判事達は、ダルフール地域の3つの少数民族に対して、バシール氏が一連の血みどろの大量虐殺を指示したとして告発している。「バシール氏が少数民族であるフール族、マサリト族、ザガワ族の一部殲滅を意図して行動したと信じるに足るもっともな理由がある。」と判事たちは結論付けた。

中央アフリカ共和国(CAR)はアフリカで最も貧しい10カ国に挙げられる世界最貧国の一つであるが、1960年にフランスから独立して以来、政情不安定な状況が続いている。
 
 CARは北をチャド、東をスーダン、南をDCRとコンゴ共和国、そして西をカメルーンと国境を接している。CARはこれまでいくつかのクーデターに見舞われ、1970年代には自ら皇帝を名乗ったジャン=ベデル・ボカサの圧政を経験している。

パキスタンは、アフガニスタンからの国境を越えて同国北西部に侵入を繰り返すタリバンのゲリラ活動に悩まされている。報告書は、「今年のテロリストリスク指標(Terrorist Risk Index)によると、テロ攻撃の回数自体は前年より減っているが、1回あたりの死者数は増えている。」と記している。2009年6月から2010年6月の期間に発生したテロ攻撃における死者数は1回の攻撃あたり1.6名となっている。

またパキスタンは、「政府は国内のウルドゥ語を話す住民と少数民族のパシュトゥーン系住民間で起こっている暴力的な衝突を抑えるのに苦労していることから」政治体制の安定度指標(Regime Stability Index)においては、「きわめてリスクの高い」国に分類されている。両者はカラチにおける政治的主導権を巡って争っており、国内の政治情勢悪化につながっている。

リスク諸指標

政治的リスクアトラス2011」は、41のリスク指標によって196ヶ国を評価しているが、「動的な政治リスク」の分野だけではなく、資源確保(Resource Security)、人権、気候変動、インフラ整備の状況、教育、貧困など、「生起しつつあるリスク分野」や、長期的な政治体制の安定に影響する「構造的な政治リスク」についても、さまざまなリスクの側面を明らかにしている。

同年次報告書の著者たちは、「ロシアがリスクプロフィールで順位を上げた背景には、ロシア各地への攻撃を意図する北コーカサス地方でのイスラム分離主義者の活動が活発化している現状がある。ロシアは、2010年の間、3月のモスクワ地下鉄での爆弾テロ(40人死亡)など、いくつもの痛烈なテロ攻撃に晒された。」と記している。

「こうしたテロ事件が、テロリスク指標と紛争・政治的暴力指標におけるロシアのリスクプロフィールを押し上げることとなった。さらにロシアのリスク評価が高まった背景には、ビジネス環境、企業統治、また政府全体に広がる腐敗について『極めて高いリスク』と評価された事情がある。」

リスク分析担当者によると、ロシアで事業展開する企業は、司法の政府からの独立の欠如など非効率的な法制度と向き合うリスクを負わざるを得ない。「これに関する最近の事例としては、石油企業『ユコス』のミハイル・ホドルコフスキー氏が有罪にされた事件が挙げられる。この事件は、政治的な見せしめ裁判だと一般に評されている。ロシアは、法の支配指標において『高いリスク』と評価されており、企業は高まる契約不履行のリスクについて監視するべきである。」

メイプルクロフト社のアソシエイトディレクターであるアンソニー・スキナー氏は、「政治リスクの動的な側面を理解することは、絶え間ない事業展開を確保する上で極めて重要なことである。政権の安定性や政治的暴力といった短期的指標は、経営判断をするうえで重要な判断材料となる。従って動的リスク分析に際しては、ブリックス(BRICs:ブラジル・ロシア・インド・中国)やネクストイレブン(N11)といった市場への投資や事業拡大を志向するビジネスに対する影響を考慮しなければならない。」と説明した。

N11とは、ゴールドマン・サックス証券が、2005年12月の経済予測報告書(2003年のBRICs報告書のフォローアップとして作成)の中で、BRICsに次ぐ急成長が期待されるとした11の新興経済発展国家群で、具体的にはイラン、インドネシア、エジプト、韓国、トルコ、ナイジェリア、パキスタン、バングラデシュ、フィリピン、ベトナム、メキシコを指す。

ゴールドマンサックス証券はその際、マクロ経済の安定性、政治的成熟、貿易の開放度合い、投資政策、教育の質を評価基準とした。

世界銀行によると、2011年における主な新興国への直接投資額は17%増加し、その半分をBRICS諸国(2010年に南アフリカ共和国が加盟)からの投資が占める見通しである。「しかし、投資家たちは引き続き、(投資先の国々における)法の支配の欠如、腐敗の蔓延、紛争がビジネスや社会環境の発展を妨げるリスクと向き合っていかなければならない。」とリスク分析担当者は言う。このことは特にBRICsが大幅に投資しているスーダン、イエメン(分類ランク「きわめてリスクの高い」)といった資源豊かな国々にあてはまる。

長期的な観点から見れば、BRICs諸国の「構造的」リスクは、2011年を通じて高まる傾向にある。BRICs諸国の最新版によるリスクランキングは、中国が25位、インドが32位、ロシアが51位、ブラジルが97位となっており、いずれの国も、昨年度版よりリスクが高まっている。

「構造的な政治リスクについては、いくら強調してもしすぎることはない。」とメイプルクロフト社CEO のアリソン・ウォーハースト教授は言う。「企業にとって進出先の教育レベルは、現地採用する職員の資質やスキルの決定要素であり重要な指標である。資源確保に関するリスク状況は進出企業にとって必要な原材料確保の成否を左右する。こうした要素は全て、長期的には進出企業の安定性と収益性に大きな影響を及ぼすことから、テロリズムやクーデターといった脅威と同じくらい重要な指標である。また構造的な政治リスクは動的政治リスクの主な指標ともなっており、モニタリングを必要とする。」

例えば、中国を例に挙げると、いくつかのリスク指標(市民権と政治的権利、司法の独立、民主的統治、労働者の権利、治安当局による人権侵害)で「きわめてリスクの高い」国に分類されている。

民主主義、自由、人権を抑圧する政府や機関をいかなる形でも支援しているとみなされた企業は、信用に対するダメージを被りかねず、結局は最終収益に影響を及ぼすことになる。

ウォーハースト教授は、「中国は経済の近代化に成功し世界経済に強い立場を構築したことから、特定の構造的なリスク指標(資源確保、インフラストラクチャー、経済の多角化)で『中リスク』に分類されている。」と付加えた。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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【ニューデリーIDN=クリーブ・バネルジー】

デビンデル・ムフタさんは、1962年10月に奇しくもキューバ危機と時期を同じくして中印間で戦争(ヒマラヤ地域の国境紛争が発展)が勃発した時、まだ20代であった。当時の多くのインド人がそうであったように、ムフタフさんや家族、友人も、中国軍の侵攻は、両国間の平和的関係構築に向けて努力しているインドに対する裏切りと映った。 

それまでは、インドのジャワハルラール・ネルー首相と中国の周恩来総理が「Hindi-Chini bhai-bhai(インド人と中国人は兄弟)」というスローガンを度々強調していたことから、中印両国は協力しあって、東西いずれの陣営にも属さない非同盟運動を共に推進していけるという期待がインド国内で高まっていた。

 しかしそうした期待は人民解放軍のインド侵攻で脆くも崩れ去った。米ソ率いる対立する2つのイデオロギー陣営が国際関係を規定する冷戦構造がもたらす影響は、当時生活の全てにまで及んでいた。

いまや70代になったムフタさんが目にしているものは、中国の温家宝総理の南アジア歴訪である。温首相は、昨年12月、パキスタンよりも先にインドを3日間にわたって訪問した。インドのアルナチャル・プラデシュ州について、中国政府が「中国の神聖な領土」と主張している現状は、1960年代の状況を想起させるものである。 

ムフタさんは中印国境戦争(インドは当時軍事的に有事に対する準備が整っておらず敗退)が国境地域のアクサイ・チン地区とアルナチャル・プラデシュの帰属をめぐる論争に端を発したものであったことを思い出した。アクサイ・チン地区(現在中国が実効支配)は、インドがカシミール州の一部、中国が新疆の一部とそれぞれ主張しているが、中国領チベットと新疆を結ぶ重要な交通路を擁している。 

両戦線ではいずれも中国軍がインド軍を圧倒し、西部戦線ではチュシュルのラザン・ラが、東部戦線ではタワンが陥落した。この戦争は、中国軍が1962年11月20日に停戦と紛争地域からの撤退を宣言したことで終結した。 

バランスをとろうとする中国 

防衛分析研究所(ニューデリー)のR.N.ダス研究員は、今回の温総理によるインド、パキスタン歴訪は、インド亜大陸の両国に対してバランスある対応をしようとしている外交努力を示すものと捉えている。ダス研究員は、「中国の外交政策は変化してきているが、パキスタンとの友好関係は恒常的なものとなっています。パキスタン以外でこのような安定した友好関係を有しているのは北朝鮮ぐらいです。」と語った。 

「温総理は、インドとパキスタンへの訪問をほぼ同時に発表した。それはパキスタンの抱える微妙な状況を慮ってのものです。しかし、前回(2005年)の南アジア歴訪とは大きな違いがあります。前回、中国政府はインド訪問をあえて後回しにしました。しかし今回はその逆になっています。」 

温総理のパキスタン訪問のハイライトは(歴代中国総理として初めてとなる)国会での演説であった。因みにインドは、昨年11月に来訪したバラク・オバマ大統領に国会演説の栄誉を授けている 

ダス研究員は、「軍部が相当な政治的影響力を振るうパキスタンで、国会演説への招待は、実質的な意味合いを持つというよりもむしろ象徴的なジェスチャーです。」と語った。温総理は、「順境も逆境も共にのりこえて未来を共有する」と題した演説の中で、中国-パキスタンの2国間関係を評して「永遠の兄弟」という表現を使った。 

温総理は、かつての「Hindi-Chini bhai-bhai(インド人と中国人は兄弟)」というスローガンを髣髴とさせる表現を用いて、「中国-パキスタンの友好関係は、活気に富み、しっかりと深く根を張り、青々と葉を茂られた樹木のようである。」と語った。 

温総理の演説では、パキスタンとの戦略的な関係強化の他に、いくつかの重要な発表がなされた。また温総理は、パキスタンが過去において台湾チベット、新疆問題など重要な局面において、一貫して中国を全面的に支持してきたことに言及した。 

インドの重要な役割 

中国評論家のダス研究員は、この点について、中国が国連議席獲得に向けて努力していた頃にインドが果たした役割について言及した。1950年に朝鮮戦争が勃発した際、インドは国連で北朝鮮非難決議に一票を投じた。しかし中国が参戦すると、国連総会が中国を侵略国として非難しようとする動きに抵抗した。 

さらにダス研究員は以下のように記している。「その後インドは中国の意図と要件を国際社会に伝えるチャンネルとしての役割を果たし、一貫して中華人民共和国こそが中国を代表する正当な国として国連に議席を認められるよう働きかけた。」 

「さらにインドは、1951年に日本に対する平和条約としてサンフランシスコ条約が締結された際、中国が参加しなかったのに呼応して、自らも講和条約の当事者とならなかった。中国政府は、インドのこうした努力を忘れるべきではない。」 

温総理の両国訪問の成果を詳しく観察すると、インド訪問が経済的な観点を重視したものであったのに対し、パキスタン訪問はむしろ政治的・戦略的観点を重視したものであったことが分かる。 

「中国の対パキスタン援助は全ての分野を網羅しているが、とりわけ核開発などの軍の近代化に協力し、最近では洪水被災者への空前の規模の支援を強力に行っている。こうした実績は中国がパキスタンを戦略的パートナーとしていかに重視しているかを物語っています。また中国はパキスタンに対して2億5000万ドル規模の援助を申し出ており、その一環として、パキスタン政府による『災害復興を支援する』という名目のもと、昨年11月には専門家チームをPoK地域(パキスタンによるカシミール州占領地域)に派遣しています。」とダス研究員は指摘した。 

中国日報は、今回のパキスタンに対する中国の人道支援は、規模において援助史上のいくつかの記録を塗り替えるものであったと報じた。しかし、ニューヨークタイムズを含む西側主要各紙は、この中国の主張を文字通り受け入れてはいない。 

温総理は声明の中で、中国は向こう3年の間にパキスタンに対して500の政府奨学金を提供し、中国のブリッジサマーキャンプに100名のパキスタン人の高校生を招待すると発表した。 

温総理はまた、パキスタンとの通貨スワップを検討するとも述べた。今回の訪問中、両国政府は新たに35の条約に署名し、今後5年間で中国の対パキスタン投資総額は300億ドルにのぼる見通しである。 

ダス研究員は、中国のパキスタンとの全天候型友好関係の背景にはインドとの敵対関係が重要な要素の一つとして存在していると観ている。中国は今日のような国際的な地域を確立する以前からパキスタンとは極めて密接な関係を構築してきた。 

一方で、中印関係も長年に亘って、より幅広い相互関与に基づく成熟したものへと発展してきた。この点についてダス研究員は、「中国は今、自らを責任あるグローバル大国として、南アジアだけではなく、世界全体を見据えようとしているのです。」と語った。 

「中国にとって、従来のパキスタン支援の動機は明らかであり、新疆ウイグル地域のパキスタン国境付近で分離独立運動を展開しているイスラム教徒を抑え込むにはパキスタンの支援が不可欠です。しかし今日の中国は、情勢の変化に対応して、パキスタンとの距離感についても、インドに不安を生じさせない方法で慎重に測ろうとしています。」とダス研究員は語った。 

またダス研究員は、たしかにインドは中国がカシミールのパキスタン占領地域で進行中のインフラ事業に関与していることと、パキスタンの核兵器開発プログラムを支援していることに懸念を表明しているが、一方で中国-インドの2国間関係も、中国-パキスタン間の全天候型友好関係に干渉されることなく、独自の勢いをもって進展してきていると語った。中国は、一方で自らあらゆる分野で協力関係を深めつつある米国とインドが戦略的な関係を構築していることについて、不安を抱くべきではない。 

「注目すべきポイントは、『カシミール問題に関する中国政府の立場は明らかだ。』と報じられたパキスタン外相発言をよそに、温総理はカシミール問題に関して沈黙を守ったと思われる点です。」とダス研究員は結論付けた。 

この点についてある主要英文日刊紙が論説の中で、「パキスタンのユーセフ・ラザ・ギラニ首相はカシミール問題でインドとの交渉を有利に進めようと中国の役割に期待を寄せた向きがあるが、中国政府がこの問題に関して従来通りの中立な立場を繰り返したのは明らかである。」と報じた。 

翻訳=IPS Japan戸田千鶴 

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|軍縮|核軍縮には未来がある(セルジオ・ドゥアルテ国連軍縮担当上級代表)

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【ベルリンIDN=ジャムシェッド・バルア】

国連は、核軍縮が現実に起こっていることに疑問を抱き、それが最終的には「核兵器なき世界」につながるかどうかを危ぶむ意見が強くなってきていることについて、その否定に躍起になっている。国連軍縮担当上級代表のセルジオ・ドゥアルテ氏によれば、世界の国々と人々は、核兵器にこだわることで、国際的な相互依存を作り上げるなかで勝ち取ってきたものを危険にさらすことはないだろう、という。

ブラジルの外交官であるドゥアルテ氏は、「この時代遅れで、コストがかかり、本質的に危険な兵器、その保有は許されず、非人道的だと広く考えられている兵器にこだわることで作られる、幻想の国家安全保障上の利益」に各国が引き寄せられることはないだろう、と考えている。「これには、将来への希望を幾分かは感じます。核の脅威を防止するという点についていえば、この兵器を廃絶する以外の方法はありません」。

11月4日にアルゼンチンのブエノスアイレスで開かれた国際セミナーでの一こまである。従って、核軍縮には確かに未来がある。「それは正しいことだ。そして、実際に行いうる」とドゥアルテ氏は語った。

 実際、核兵器国では軍縮機関の設置が目立つようになってきているし、軍縮の公約を履行するための国内法・規則も制定されている。軍縮措置のための予算もつけられるようになってきている。

また、軍縮の責任を果たすよう任務を与えられた研究所や企業、組織も現れ、多くの核兵器が物理的に廃棄され、すべての核兵器国の核戦力の規模と構成、核分裂性物質、運搬手段に関する実質的な新情報が提供され、具体的な軍縮措置に関する詳細な情報も出されている。

国連事務次長でもあるドゥアルテ氏は、核兵器国の一部が自国の核戦力に関する情報を近年さらに公開していることを評価している。そうした情報は、軍縮の公約を履行する上でアカウンタビリティと透明性を強化するより広い文脈の中で、重要な意味を持っているからだ。

ドゥアルテ氏は、国連の潘基文事務総長が2008年10月に発表した5点の核軍縮提案の中で、核兵器国に対して国連事務局にそうした情報を提示するよう求めていたことに注意を向ける。

行動21


この考え方は、2010年の核不拡散条約(NPT)運用検討会議で採択された勧告の中の行動提起第21項に盛り込まれている。すなわち、国連事務総長に「市民が利用しうる(核戦力の)目録」を作るよう求めたものである。第21項は、核兵器国がこの目的のための「標準的な報告様式」を作り、適切な報告間隔について合意を形成するよう要求している。

核兵器国はこの運用検討会議の初のフォローアップ会合として、2011年4月にパリに集まる予定である。国連軍縮局は、核戦力の情報公開のためにウェブサイトに目録を掲載することになろう。

だとすると、結局のところ、核軍縮はどの方向に向かっているのだろうか?漸進的な軍縮政策で核兵器が「より少なく」なれば、世界は満足することになるのだろうか。「おそらく、そんなことはない。核兵器国以外は、核不拡散の部分的措置を取るだけで満足することはないだろう」とドゥアルテ氏は語った。

核軍縮が実行されないまま世界が直面している危険と、終わりなき核拡散という状況を目の当たりにして、核軍縮への最後の頑強な抵抗も、いよいよ弱まることになるのだろうか?「おそらくそうでしょう。少なくとも、この状況は、オバマ大統領が2009年4月にプラハで述べたとおりに、『核兵器なき世界』での平和と安全を達成する可能性へと道を開くことでしょう」とドゥアルテ氏は語った。

批判

ドゥアルテ氏はまた、この重要なスピーチにおいて、漸進的なアプローチへの批判も紹介した。すなわち、そうしたアプローチは、徐々に条件が展開されていくゲームのようなものであり、軍縮は結局のところ、遠いビジョン、あるいは究極の目標、比喩的に言えば「霧に覆われた山頂」にとどまるというのだ。
 
 本当の軍縮を回避するための詐術として条件や前提条件が持ち出されることは、なにも珍しいことではない。アルバ・ミュルダールが1976年に著した『軍縮のゲーム』〔邦題は『正気への道―軍備競争逆転の戦略』〕には、そのようなゲームがいかに冷戦中に行われたかについて記述してある。

「……両者は、軍縮合意に向けての提案を出すことであろう。それも、しばしばあらゆる側面に関してのものである。しかし、それらの提案には、相手方が飲めないような条件が巧妙に仕掛けられている。こうして軍縮は、過去も今も、ずっと掘り崩されてきたのだ」。

ドゥアルテ氏は言う。「今日、核軍縮に向けた包括的なアプローチを持った提案は多くありません。少なくとも、1978年の初の国連軍縮特別総会で国連の『究極の目標』として定立された『効果的な国際規制の下での一般的かつ完全なる軍縮』という線に沿った提案ではなくなってきているのです」。

代わりに、軍縮に向けて前提条件を相手に課すことが横行している。このゲームには新規プレーヤーが参入し、新しいルールができているかのようにも見えるが、実際には古いゲームそのままなのである。

前提条件

世界平和がまず達成されるまでは軍縮を先送りにしようという提案は、この類のものである。すべての大量破壊兵器(WMD)拡散の脅威がまず除去され、すべての地域紛争がまず解決され、WMDによるテロの危険性がまずなくされ、すべての危険なWMD関連物質がまず完全に管理され、確実なる保全措置の下に置かれ、そしてもちろん、戦争への解決策がまず出されなくてはならない、という前提条件の出し方もまたしかりである。

「こうした前提条件の結果―そしてその真の目的―は、軍縮を永久に先延ばしすることにある。」とドゥアルテ氏は語った。

軍縮を実施するには、人間の良心の根本的な変革が必要であり、非暴力の原理による完全に新しい社会の夜明けを待つべきであり、すべての国家の軍備、もっといえば国民国家そのものが廃絶されるべきである、という論じ方についてもまた同じことが言える。

しかし、ドゥアルテ氏によると、これまでのアプローチとは違って、この手の前提条件を課そうとする人々には、核兵器を永遠に保持しようという動機には欠けるのだと言う。「彼らは、漸進的でステップ・バイ・ステップの協議や、現在の国際安全保障システムの手直しによって、核兵器なき世界を作ることは十分可能だという議論に疑問を持ち始めています」。

「しかし、彼らのラディカルな処方は、ユートピア主義、あるいは、空想的な理想主義によっているのではありません。むしろ、これまでの軍縮のゲームにおける『いつものやり方』に対して、苛立ちを覚えているのです。このゲームにおいては、言葉ばかりが先行して、具体的な行動が伴っていません」。

しかし、これだけで国連における軍縮問題が尽くされているわけではない。

歴史的にみれば、国連軍縮委員会、国連総会第一委員会、ジュネーブ軍縮会議といった国連の軍縮機構は、多国間規範の醸成と維持のためのメカニズムであった。その目標とするところは、この60年にわたってきわめて明確であった。すなわち、すべての大量破壊兵器(核兵器、生物兵器、化学兵器)の廃絶と、通常兵器の制限あるいは規制である。しかし、それは実際に達成されたというよりも、最終的な目標に関する単なる合意といったようなものだ。

5つの基準

ドゥアルテ氏は、「この複雑で現在進行形の多国間プロセスは、軍縮合意において適用されるべき具体的な基準に関するコンセンサスを世界で作り上げてきた。」という。いずれの政府や市民もそうした合意を検証し、それが実質的なものといえるかどうか判定するにあたって利用すべき基準である。


「こうした基準は、軍縮が起きる条件、あるいは前提条件として出されているものではありません。それは、私たちが自信を持って軍縮は実際に起きているとみなすことを可能にするような基準なのです」。

「これら5つの基準は、これまでの数多の国連総会決議やNPT運用検討会議の議事録、さらには、運用検討会議での最終文書にも容易に見出しうるものです。」とドゥアルテ氏は説明した。

これらの基準のうち第一のものは「検証措置」である。国内のものであるか国外のものであるかを問わず、他国がその義務を完全に遵守していることを別の国が確認できるようにするためのすべての方策がここには含まれる。

核軍縮のプロセスにおいては、一方的宣言にはかなりの限界がある。米国とロシアが1991年にそれぞれに短距離の戦術核を大量に撤去したという動きにもそれは表れている。「そうした宣言は、核廃絶を達成する方法としては不十分だ。」とドゥアルテ氏は語った。

しかし、検証措置は、国家が隠蔽工作を行っていないと証明する唯一の基準ではない。透明性の向上もまた、同じ目的に資する。検証も透明性の向上も、信頼醸成措置なのである。実際、核兵器の数、核分裂性物質の量、核兵器の運搬手段に関する包括的で検証されたデータなしに、どうやって世界が核廃絶を目指すのか想像することは困難だろう。透明性の向上によって世界は軍縮の実行されるさまを眼にし、その進み具合を計ることができるのである。

第三の基準は、不可逆性である。これもまた、将来の軍縮合意において鍵を握ると世界が認めた信頼醸成措置のひとつである。軍縮合意をひっくり返そうとする突然の動きを封じるには必要不可欠だとみなされている措置である。

ドゥアルテ氏は言う。「不可逆性は、軍縮の公約を放棄させない政治的、技術的障壁を打ち立てることの必要性を裏書きしています。この障壁は、他の基準である『検証措置』と『透明性向上』によって補強されます。ここでの目標は、事態の逆流を防ぐというだけではなく、そのような行為をやめさせたり集合的な国際的反応を準備したりするために、可逆的な行為を速やかに察知することにあります。理想的には、不可逆性という目標は、逆行を難しくするだけではなく、完全に不可能にすることなのです」。

「検証、透明性向上、不可逆性の3つはそれぞれに重要だが、それ単独では、『核兵器なき世界』を導くのには不十分です。」とドゥアルテ氏は語った。

第四の基準―普遍性ということに関係あるのだが―は、核軍縮は一部の国によってのみ行われるものではない、ということである。それは、すべての国家が厳格に果たさねばならない責任である。それは、NPT第6条によって明確な核軍縮義務を負っているNPT加盟国に関して、特に言えることである。

しかし、それはまた、国連安保理決議1887のテーマでもある。この決議は、2009年9月24日にハイレベル会合によって採択され、すべての国家(NPT加盟国だけではない)に対して、核兵器削減と核軍縮に関連した効果的な措置に関して、さらには、厳格で効果的な国際的規制の下における一般的かつ完全な軍縮に関する条約について、交渉を誠実に追求することを求めている。

核軍縮は、それが正当な目標であると見なされているがゆえに、現在世界で広く支持されている。それは、開かれた民主的なプロセスをつうじて合意されたという点においても、二重基準を認めない実質的な公正さの点においても、正当なものである。
 
 最後の基準、すなわち「法的拘束力」は、上記すべての基準に関連している。「高い山頂に関する祝辞を述べ、報道発表を出し、演説をしただけでは、核兵器ゼロを達成することは出来ない。」とドゥアルテ氏は言う。核兵器は地球上もっとも危険な兵器であるから、世界が可能なかぎり厳格な基準を打ち立てて「核兵器なき世界」を維持しようとするであろうことは、まったく驚きに値しない。

条約上の義務は、具体的な措置を決め、その措置を恒久的で持続可能なものにしていくにあたって不可欠のものである。核兵器禁止条約、あるいは、同じような目標を持った相互に強化しあう道具立ての枠組みを追求することが重要なのは、そのためである。

ドゥアルテ氏は、「この意味において、条約の批准プロセスは、厄介なものでも面倒なものでもありません。公約が国内法と国内での強力な支持によって支えられているようにするには、必要不可欠のものです。核軍縮は、立法府の頭越しに成し遂げることはできません。立法府と組み、より広く市民全体と手を組んで、はじめてできることなのです。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

民衆蜂起がアルジェリアに拡大

【カイロIPS=エマド・ミケイ】

アルジェリアの経済政策は僅か3か月前には国際通貨基金(IMF)や欧米金融機関から称賛されたばかりだが、この経済政策の失敗と、住宅不足や食料価格高騰などをきっかけとした民衆蜂起が1月5日に勃発し、その後4日間で、少なくとも3人が死亡、数百名が負傷している。

そのチュニジアでは、欧米の支援を得てそれまで専制的な支配体制を敷いてきたザイン・アル=アービディーン・ベンアリ大統領の経済政策に対する民衆の不満が爆発、少なくとも78人が死亡している(同大統領は1月14日に国外に脱出して政権が崩壊した:IPSJ)。

アラブ両国における民衆の抗議運動について、当初欧米メディアは無視したが、事態が拡大すると、米国政府も注目するようになった。

 著名なネオコンでジョージ・W・ブッシュ前大統領の中東顧問を務めたエリオット・アブラム氏は、外交問題評議会(CFR)内の自身のブログの中で、「チュニジアは『重要な国ではない』が、今回の蜂起が中東諸国にもたらしかねない危険な影響にについて警戒しなければならない。」と述べている。

チュニジア政変の影響は、隣国のアルジェリアにまもなく現れた。アルジェリアは、ロシア、米国、カナダ、イラン、ノルウェイに次ぐ天然ガス産出量世界第6位の国で、欧州全体のガス需要の20%を供給している。

アルジェリアの民衆蜂起では数千人の若者が警察に投石し、タイヤを燃やし、郵便局、銀行を襲撃した。彼らは、生活水準の向上とアルジェリアの豊かな石油収入の分け前を要求した。

両国における民衆蜂起の模様は、アラブ地域において幅広く報道されており、欧米諸国の政府・メディアが作り上げた「穏健派」イメージに反して自国民に対して残虐な独裁制をしいてきた政権に対する民衆の不満の高まりと受け止められている。

コラムニストのファハミ・ホウェイディ氏は、チュニジア蜂起がアルジェリアに飛び火する数日前、いくつかのアラブ紙において「チュニジアの蜂起は、全てのアラブ支配者に対する警告である。飢餓と貧困に喘ぐ民衆の革命をこれ以上無視することはできないだろう。…チュニジアで起こったことの教訓は、専制政治は政権の延命を図ることはできても、永遠に体制を維持することはできないということだ。チュニジア蜂起を誘発させた類似の状況は全てのアラブ諸国が抱える共通の問題である。」と記した。

現在アラブ社会においては、アルジェリアとチュニジアの「蜂起」に関する記事が、著名なポータルサイト「Masrawy」、オンライン紙「AlMesryoon」(エジプト)、アルジャジーラ、Alarabiya.net.等、多くの独立系アラブニュースのヘッドラインに掲載されている。こうした中、Yahooのアラブ版でさえ、まもなく両蜂起に関する報道を開始した。
 
 他のアラブ諸国と同様、アルジェリアのアブデラズィズ・ブーテフリカ政権は、莫大な石油収入にも関わらず、腐敗しており無能だと考えられている。石油輸出国機構(OPEC)によれば、石油、天然ガス価格上昇などもあってアルジェリアの2010年における石油収入は増加したが、特権層を除いて一般市民にその利益が還元されていない。

同様に、チュニジアのベンアリ大統領は、同国地中海沿岸の観光開発に尽力する一方で、国民の大半が直面していた貧困・失業問題に対して有効な対策を打たなかった。

両国に共通する特徴として、一部資産家層の豪華な生活、縁故主義、住宅取得を巡る政府の便宜を狙った贈賄の横行等が挙げられるが、こうした問題は民衆の不満の原因として長年に亘って燻り続けてきた。

人口3600万人のアルジェリア国民の多くは日々の生活に困窮しており、特に住宅難の問題は深刻な状況に陥っている。一方で、同国の国営エネルギー企業「Sonatrach」は、昨年大きなスキャンダルに見舞われた。一部の幹部およびその家族が、違法な契約により個人的な利益を得た疑いが出たのである。

今月初めに起こったアルジェリア民衆蜂起の直接のきっかけは、小麦粉や油、牛乳、砂糖などの食料価格が蜂起直前の4日間で30%も上昇したことにあった。

こうした中、多くのアルジェリア国民は、隣国チュニジアの民衆が従来の従順なイメージをかなぐり捨てて抗議活動を行っている姿をテレビで見て触発され、自らも通りに出て積年の不満を政府官庁や郵便局、銀行等を襲撃することで発散させたのである。

これを受けて、ムスタファ・ベンバダ貿易相は、1月8日、急速に高騰する食料価格を引き下げざるを得なくなった。国営アルジェリア通信は、同貿易相が、食糧費の価格を14%引き下げる措置を発表したと報じた。

アルジェリア発のいくつかのブログによると、抗議参加者は依然として、政権側により政治腐敗の問題、ますます拡大し続けている貧富の格差、そして欧米諸国を後ろ楯に職権を乱用してきた独裁的な政府与党に対して大いに不満を持っている。そうした中、抗議活動は引き続きアルジェリア国内の数都市に飛び火している。

「アラブ世界全体において、私たちは狼の餌食になるべく取り残されている状況だ。」とボサードと名乗るブロガーは記した。

「アルジェリアは弱肉強食のジャングルと化している。貧富の格差は刻一刻と広がり続けているのだ。」とラベイと名乗るブロガーは記した。

またサワンというブロガーは、「変革を求めて抗議に立ち上がった若者よ、祖国は君たちを見守っている。」と記した。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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|人権|西側諸国の身勝手な“民主主義”解釈

|アラブ首長国連邦|イスラム教-キリスト教の歴史的関係をテーマとした会議開幕する

【アブダビWAM】

アラブ首長国連邦(UAE)のナヒヤン・ビン・ムバラク高等教育及び科学研究大臣は、ザイード大学においてイスラム教徒とキリスト教徒の関係をテーマとしたシンポジウムを開催した。

「15世紀にまたがる愛(Fifteen centuries of love and affection)」と題したシンポジウムは、ザイード大学、イスラム当局、ターバ財団の共催の下、政府高官、外交官、宗教指導者、学者が参加し、15世紀に及ぶアラブコミュニティーの歴史の中で、キリスト教徒がアラブ-イスラム文明に寄与してきた貢献について議論がなされた。

 ザイード大学長でもあるナヒヤン・ビン・ムバラク大臣は開会式の演説の中で、アラブ地域におけるキリスト教徒とイスラム教徒の歴史的関係について言及した。

「私たちは、キリスト教徒のアラブ人は私たちの気高き兄弟であり、イスラム教徒のアラブ人と肩を並べて国のため国民の福利に寄与してきたということを、言葉と行動をもって断固主張していかなければなりません。両者は誠実な兄弟愛で共に支え合ってきた関係にあり、この点に関して、イスラム教徒とキリスト教徒の違いはないのです。」とナヒヤン大臣は強調した。

またナヒヤン大臣は、「イスラム教徒であれ、キリスト教徒であれ、私たちは共にアラブの子供たちであり、伝統、言語、風習、そして人権を尊ぶ国家を共有する兄弟なのです。この生まれながらの権利は、将来に亘っていかなる難題も超えて持ちこたえていくものです。」と語った。そして、「イスラム教の啓示から今日に至る14世紀以上に及ぶ長い歴史の中で、イスラム教とキリスト教の関係は、聖なるコーラン啓示である『宗教に強制はあってはならない』、『主が望めば、人類を1つの国にしただろう』の文脈の中で発展を遂げてきた。」と付加えた。

「イスラム教とキリスト教の関係は、神が遣わした最後の預言者ムハンマドの『イスラムの偉大さと誇りは、正義、平等、宗教の自由を強調する寛容の規範にある』とする教えの枠組みの中で、育まれてきた。」とナヒヤン大臣は言及した。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

ガーナ滞在を振り返って(坂口祐貴)

【IDNオピニオン=坂口祐貴】

「AKWAABA(お帰りなさい)」。これが、ガーナに到着して最初に目にした言葉です。多くの人々は、アフリカというと貧困、紛争、病気といった否定的なイメージを抱きます。しかしこの広大な大陸は、そうした否定的な意味合いだけでは捉えきれない遥かに多くのものを包含しているのです。私は1年間ガーナに留学しましたが、滞在中まさにアフリカの将来に対する多くの希望とポテンシャリティーを見いだしました。

50年前、私が在籍している創価大学の創立者で仏教系NGO創価学会インタナショナル会長の池田大作氏は、「最も苦しんだ人が最も幸せになる…21世紀は『アフリカの世紀』となるだろう。」と言いました。私も全く同意見です。ガーナをより良く理解するには、その政治史と一般市民の生活水準を考察する必要があります。そうした観点から、私が現地滞在中に得た経験や印象のいくつかをご紹介したいと思います。

 ガーナは1957年3月6日、サブサハラ・アフリカで最初の独立国となり、クワメ・エンクルマ氏(1909~72年)が初代大統領に就任しました。エンクルマ氏の統率力は長年に亘る独立闘争を指導する過程で磨かれたものです。彼は、貧しい出自で苦学して進学した自身の経験から、同じく貧しさに喘ぐ民衆の気持ちを理解しその心情に訴える能力を身に着けました。大統領任期中の業績については、一部エリート知識層からの批判がありますが、一貫して民衆のために尽くした行動の人であり、その独自のリーダーシップ故に、今日に至るまで厚い尊敬を集めています。民衆の幸福を目指したエンクルマ氏の闘いは、1966年に起こった軍事クーデターと同氏の国外追放により頓挫せざるを得ませんでしたが、彼の不屈の努力があったからこそ、ガーナはアフリカ大陸で最も古い民主主義国家の一つであるとともに、今日も平和な民主主義を享受していると言えるでしょう。そうした意味から、ガーナは民衆勝利の好例だと思います。 

にもかかわらず、ガーナの人々の置かれている今日の状況は完全とは程遠いものです。電気・水道を持続的に供給するインフラの不足から、停電、断水は毎日起こっています。また、就業率が低いことから深刻な財政難に陥っている人々が多いのも現状です。さらに、女性はいまだに一部に残る部族的慣習から、しばしば権利を侵害され苦しむケースも少なくありません。例えば、ガーナ北部のある村を訪問した際、鍵で口を閉じられた女性に出会いました。その村では伝統的に、夫が彼女の上唇に埋め込んだ鍵の一部(下唇と繋ぐリング)を開けない限り、彼女は自分の口を使うことが許されていないのです。こうした施錠は、男性から魅力的かつ望ましい女性の身体的な特徴としてみなされており、この村の生活様式となっています。また、ガーナ北部のトンゴでは、18人の妻と300人の子供をもつ首長に出会いました。首長の家来に村を案内してもらった際、首長の豪邸から遠く離れた木の陰に30人程の女性が座っているのに気付きました。そして、彼女たちは首長が許可したときのみ、屋敷に入ることができるということを知ったのです。 

しかしながら、こうした慣習はさておき、ガーナには驚くべき共同体意識と人と人との交流を重視する風潮があり、それはガーナ人のコミュニケーションの取り方に顕著に表れています。これこそが、アフリカの持つ大きな強みであり、将来の発展に不可欠なものと確信しています。人々のやり取りは驚くほど親密なもので、ガーナ人は、挨拶時はもとより、その後の会話の最中にも何度となく握手を交わします。こうした親しさは彼らの文化に起因しているものです。私は街を歩いているといつも知らない人々から「Obruni(ガーナでの外国人の愛称)、お元気ですか?」と声をかけられました。ある日、ふと一日に握手した回数と通りで声をかけてくれた人の数を数えてみると、100回以上握手し、約30人が実際に立ち止まって私に話しかけてくれていました。しかし重要なのは数ではなくこうした挨拶の本質にあります。私は通りで出会ったたくさんの人々と対話を通じて多くの重要なことを学びました。私は、お年寄りの方々とガーナの将来について、画家の方と、文化の持つ力や芸術の可能性について、そして子供たちとは彼らの夢について対話しました。私にとってこうした道端で会話している時が、ガーナとその文化を最も理解できる機会でした。

道端で出会った多くの子供たちに将来の夢について聞いたところ、多くの子供たちがサッカー選手になることを夢見ていることが分かりました。しかし、経済的な理由や機会の乏しさから、夢を実現できない子がほとんどです。彼らとの対話をとおして、こうした厳しい現実とともに、彼らの夢を実現させるために自分に何ができるか、考えさせられました。そして「翼サッカーアカデミー(サッカーに特化した学校)」の創設を決意しました。アカデミーには、まだ独自の校舎も競技場もありませんが、50人の学生たちが夢の実現を目指して訓練に励んでいます。 

私は、道端で出会ったこうした全ての「先生」から、対話を通じて多くを学び、自分の使命を見いだすことができました。今では、コミュニティー精神の本当の意味を教えてくれた文化への貢献ができると自負しています。21世紀を「アフリカの世紀」とするために、私は行動を続けていく覚悟です。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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もう一つのアフリカが出現しつつある(パオラ・ヴァレリ)

|アマゾン|世界の穀倉地帯から雨がなくなるかもしれない

【リオデジャネイロIPS=マリオ・オサヴァ

南米大陸には、世界の食糧及びバイオ燃料需要を満たすために必要な穀物を生産しうる広大な土地が広がっている。しかし、世界で最も有望な穀倉地帯―ブラジル中南部、アルゼンチン北部、パラグアイ―に十分な雨が降らなくなる事態に陥る可能性が浮上してきている。 

「米大陸の北半分にひろがるアマゾンにおける森林の減少によって、サハラ地域や、オーストラリアの三分の一を占める砂漠地帯、その他北緯(南緯)三〇度未満の亜熱帯砂漠地帯のような砂漠化を防いできたシステムは弱まってきている。」と、ブラジル科学技術省国立宇宙研究所(INPE)の科学者アントニオ・ノブレ氏は警告した。

 ノブレ氏はIPSの取材に応じ、「アマゾンの森林破壊防止措置は、ブラジル政府がずっと以前に着手すべき問題であり、2020年までに森林伐採面積を80%削減する(=伐採面積を年間四千平方キロに止める)としている政府の公約は、あたかも『肺がんが末期まで進行して死にかけている人間がようやく禁煙に踏み切ろうとしている』ようなものです。」と語った。またノブレ氏は、「本来なら、この時期私たちは、自然の均衡を取り戻すために、破壊された森林を復活させる取り組みをしていなければならないのです。ユーカリ樹やアフリカ椰子の単一栽培は、問題解決にはなりません。」と付加えた。 

「森林破壊にもはや歯止めがかからなくなり、これまでアマゾン熱帯雨林がつくりだす雨の恩恵を受けてきた大地が砂漠化する『取り返しがつかない分岐点』がいつ訪れるのか、誰にも分からないのです。」と、サン・ジョセ・ドス・カンポス(サンパウロから百キロ)にあるINPEに勤める以前は、農学者としてアマゾン地域に二十二年にわたって生活してきたノブレ氏は語った。 

アマゾン熱帯雨林と、南米大陸の南北に横たわるアンデス山脈が壁となり、今日「空飛ぶ川」として知られるようになった湿潤な気流を運んでいる。この湿潤な気流が、南米最大の輸出量を誇る畜産、穀物、果物、さらには輸出世界一の砂糖、大豆、オレンジジュースを産出する地域に、恵みの雨をもたらしているのである。 

ノブレ氏や世界各国の科学者は、「空飛ぶ川」現象をもとに、地球の自然体系における気候現象や均衡、不均衡について説明する「生物ポンプ」理論(ここでは森林の生物群系が巨大な「送水ポンプ」として極めて重要な役割を果たす)を打ち出した。 

ハドレー循環」として知られる気象現象も「生物ポンプ」理論を構成するプロセスの一部である。赤道地帯では、太陽によって暖められた空気が上昇し、盛んに雲を形成して熱帯雨林を潤す大量の雨を降らす。こうした上昇気流は一定の高度に達すると両極に向かって移動を開始し、北緯(南緯)30度付近で冷却され密度が高くなって下降していく。 

下降した気流は、地表付近を通って再び赤道に戻っていく。従って北緯(南緯)30度付近は常に下降気流(高温で乾燥)が存在し、亜熱帯高圧帯となって雨が少なく乾燥気候となっている。チリのアタカマ砂漠やナミビア、アンゴラのナンビ砂漠、オーストラリア中央部(南半球)、アフリカのサハラ砂漠、中東の一部、米国の南西部(北半球)等、多くの砂漠地帯が存在するのはこの気候帯である。 

「一方、南米大陸南部地域(アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、チリを含む円錐形の地域)の大半は、アマゾン熱帯雨林が生成する降雨の恩恵を受けて、これまで砂漠化の運命を免れてきた。しかしアマゾンの森林破壊は、この「長距離灌漑システム(=空飛ぶ川)」を傷つけている。ブラジル最南端のリオ・グランデ・ド・スル州で進行している砂漠化は、そうした兆候の示すものである。」とノブレ氏は警告した。 

もう一つの例外地域は、亜熱帯林が広がる中国南部地域である。ここでは北西に位置するヒマラヤ山脈が、ちょうど南米のアンデス山脈と同様、湿潤な気流とモンスーン(季節風)の風向きを変える働きをしている。 

「空飛ぶ風」という表現は、ジェラルド・モス(スイス人でブラジルに帰化)氏がマルギ夫人とともに飛行機を駆使して、アマゾン熱帯雨林から流れる湿潤気流を追跡・調査したプロジェクト(Flying River Project)を通じて一般に知られるようになった。 

雲の中のあらゆる水滴には、独自の「フットプリント(痕跡)またはDNA」があり、分析することでアマゾン熱帯雨林から発生したものか海面から生じたものかを特定することができる。「プロジェクトの狙いは、水源の特定と、広大なアマゾン盆地全域に水分を運ぶ気流の経路の解明です。」とモス氏は語った。 

またモス氏は、「ブラジルは、カーニバルやサッカーの国である前に、年間降水量が一万三千四百立方キロメートルにも及ぶ『水の国』なのです。」「アマゾン中央部にあるブラジリアのような都市では、厳密な数値はまだ証明されていないが、降雨量の約30%はアマゾン熱帯雨林からの『リサイクル(木から発散された水分)』と言えるものなのです。」と語った。 

ノブレ氏によると、森林は上空の気流に水分を補給する「送水ポンプ」の役割を担っており、その能力は海面を上回る。「それは海の場合、蒸発する水面がフラットなのに対し、木には多くの葉が茂っていることから蒸発面積が何倍にも広くなるためです。」とノブレ氏は語った。 

アマゾン地域の大木は、一日に最大三百リットルの水蒸気を蒸発させる。ある測定によると、アマゾンの熱帯雨林は毎日二百億トンの水蒸気を生成しており、その規模は、アマゾン川が大西洋に毎日送り出す水の生成量(170億トン)を上回るものである。 

アマゾン沖海面の蒸発水分を含む湿潤な気流(=空飛ぶ川)は、アマゾン熱帯雨林からの水蒸気(50%は雨となってリサイクルされる)で増幅し、各地に雨を降らせながら南へと流れている。そしてこの湿潤な気流が、ハドレー循環の影響を一部相殺する役割を果たしているのである。 

さらに言えば、この湿潤な気流の通り道にそった森林地帯は、さらなる水分補給を行っており、「空飛ぶ川」の到達範囲を広げる役割を果たしている。こうした「支流」の存在がなければ、気流はより早い段階で水分を失ってしまうことになる。すなわち森林が存在しなければ、海から遠く離れた内陸地は、東ヨーロッパで起こっているように、砂漠化する傾向にある。 

「森があるところに雨が降る」というのは先住民の間に伝わる古くからの言い伝えであるが、「現代科学は、自然よりも工学に目を奪われていたために、こうした自明の理を認めるまでにあまりにも多くの年月を必要としたのです。」とノブレ氏は語った。 

雨が生成されるには、水が凝着するための微粒子が必要である。最新の研究によると、アマゾン熱帯雨林は、空気中に有機水蒸気を排出しており、これが水を凝着させ雨を引き起こす「種」の役割を果たしている。 

一方で、火災から生じる煙や乾燥地からの砂埃、そして一般的な大気汚染など、微粒子が過剰に存在するケースでは、全く逆の現象が生じる。その結果、アマゾン地域でも耕作や放牧に山焼きが一般に行われている地域では、旱魃がより起こりやすくなっている。 

森林伐採や山焼き行われると、熱帯雨林植物の根が地中深くに定着できなくなり、周辺地域一帯も降雨量が減少し、不安定で燃えやすい状態となる。それとは対照的に、ブラジルサバンナ地帯であるセラード地域の典型的な植相は、乾燥時期が長く続く気候(10月~4月に大量の雨が降り、残りは非常に乾燥した季節)に適応して地下深い根系を有している。 

森林破壊のペースは全体として減少傾向にあるが、既に失われた地域が周辺の森林破壊を誘発する恐れがあり、再び雪だるま式に増加する可能性がある。アマゾン地域で発生した旱魃のペースは、2005年から2010年の間に増加しており、こうした懸念を加速させるものとなっている。 

「地球上の生物圏と自然界の間には、一種の『サーモスタット(自動温度調節器)』のようなものが存在し、バランスが保たれている。しかし人間は、こうした環境に、独自の代謝作用を持ち込み、数百万年に亘って続いてきた安定を破壊する能力があるのです。」とノブレ氏は語った。 

ノブレ氏は、「今日の地球は、多臓器不全を引き起こし集中治療室に入った重症患者の状態にある。」と確信している。 

しかし一方で、ノブレ氏は、今後の見通しについて一縷の望みを抱き続けている。ノブレ氏はその理由として、森林破壊の問題に対する一般市民の意識が高まってきたこと、そしてサハラ砂漠の一部で森林の再生が開始されたエジプトの事例を引き合いに、砂漠化の進行さえ反転させ得る最新の科学知識の存在を挙げた。(原文へ) 

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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もう一つのアフリカが出現しつつある(パオラ・ヴァレリ)

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【IDNマドリッド=パオラ・ヴァレリ】

「アフリカ大陸は自給自足が可能であり、一世代の間にそれは実現可能である。」12月2日にタンザニアのアルシャ市で開催された東アフリカ共同体(EAC)非公式会合の会場で、各国首脳の前でこう語ったのは、ハーバード大学ケネディ校のカレスタス・ジュマ教授である。この会合のテーマは「アフリカの食糧安全保障と気候変動」であった。

事実、ジュマ教授がビル&メリンダ・ゲイツ財団の支援で完成させた新報告書「The New Harvest: Agricultural Innovation in Africa」には、数十年に亘って行われてきた原材料を輸出し食料を輸入する政策を、いかにアフリカ大陸のみならず国際社会全般にとっても有益な形で転換をはかることが可能か記されている。現在、アフリカの雇用の7割を農業関連の仕事が占めている。

国際農業開発基金(IFAD)中央・西アフリカ部長のモハメド・ベヴォグィ氏は、「従って、技術と知識に対して投資を行うことが、アフリカ経済を近代化し数百万人に食の安全保障を確保し、さらに気候変動や砂漠化、温室効果問題等に対処する上で最も効果的な方法です。」と語った。

 1億9000万の人口を抱えるブラジルは僅か5年の間に食料の自給自足を成し遂げた。そして、アフリカも、技術と適切なインフラ、そしてノウハウに裏打ちされた農業政策を展開できれば、ブラジルと類似した転換を図ることが可能である。

正しい政策を適用することでどのような成果を得られるかについて考える際、アフリカで展開されたHIV/Aids対策が参考となる。つまりこのプログラムでは、患者に対する治療よりはむしろ感染防止に取り組む市民社会や教育を通じた啓発活動に資金を投入することで大きな成果をあげた。

メディアは、アフリカが抱える現実のほんの一部のみを抽出して定型概念化したイメージを報道する傾向があるため、結果的にアフリカについての誤ったイメージを広めている側面がある。例えば、標準体重に達しない子供のイメージがこれに当たるものである。実際は世界の標準体重に達しない子供の46%は南アジアに集中しているにもかかわらず、多くの人々は、こうした子供のイメージを聞くとアフリカの子供を想像してしまうのである。

従来行われてきた世界各国の対アフリカ政策やアフリカ現地の政策は、いずれもアフリカの対外依存を助長するものだったし、財政援助もアフリカ各国の経済成長を促すというよりはむしろ援助受領国側の腐敗を助長した側面があったことが明らかとなっている。

メディアが伝えるアフリカのイメージとアフリカ大陸に対する諸政策の直接的な関連性を明らかにしようとする試みは、正当性が認められにくい、むしろ大胆なものかもしれない。しかしメディアには、21世紀のアフリカ大陸の現実や、アフリカの人々が自らの未来を切り開こうと努力しているダイナミックは現実をよそに、「無力なアフリカ」のイメージを作り上げてきた責任がある。

アフリカ大陸は、依然として課題が山積しているものの、その優れた潜在能力を示す様々な兆候が顕在化してきている。

例えば過去15年間を振り返ると、栄養不良の問題や教育分野で順調な成果を上げてきている。この期間、アフリカ大陸における栄養不良人口は5%減少し、サブサハラ以南の地域における初等教育就学率は57%から76%に改善した。

ミレニアム開発目標(MDG)の観点からみると、アフリカの数カ国が大きな成果を挙げている。例えば、ガーナはMDGの第一目標である「極度の貧困と飢餓の撲滅」を既に達成している。

国連開発計画(UNDP)によると、「ルワンダは開発とMDGs達成に向けた進歩という点でユニークなケースである。1990年代、多くの国がMDGsを実施する軌道にあった一方で、ルワンダは1994年の大虐殺と内戦の傷跡から回復している段階であった。」

またUNDPは、マラウィは予防接収プログラムで大きな成功を収めており、MDGsに関しても保健、教育、女性と開発、環境、良い統治の分野で成果が期待できると報告している。

パラダイムシフト

南アフリカ政府通信情報システム局(GCIS)
のテンバ・ジェームズ・マセコCEOは、今こそアフリカや全ての開発途上国に対する、メディアや意思決定者のものの見方が根本的に転換されるべき時にきていると考えている。

アフリカが依然抱えている課題は明らかであり、取り組んでいかなければならない。マセコ氏は、アフリカが変わっていくための鍵として以下の5つの分野を挙げている。①貧困、婦女子虐待、人権問題に取り組むリーダーシップの必要性、②投資や企業活動を促進する経済政策、③集団移住、頭脳流出とそれに伴う技術・知識の損失の問題に取り組む必要性、④森林破壊から、鉱物資源の乱開発、砂漠化まで多岐にわたる環境問題への取り組みの必要性、⑤腐敗問題への取り組み。

その他にも、ダイナミックなアフリカが今まさに現出しようとしている兆候がある。例えば携帯電話の急速な普及である。2003年から08年までの期間にアフリカにおける携帯電話の契約者は5400万人から3億5000万人へと550%の伸びを示した。多くのアフリカ諸国では依然としてブロードバンドへのアクセスが困難なため携帯機器が中小企業にとっても基本的なツールになったのである。

今日、アフリカ諸国は、携帯電話を使った銀行サービスや電子取引について、世界に先行している。ケニア、タンザニア、南アフリカ、ザンビアにおいては、携帯電話ネットワークのオペレーターが、銀行を仲介しない支払や送信サービスを提供している。そしてSMS(ショートメッセージサービス)を通じた支払いが農村地域で広く普及している。

アフリカは世界で2番目に大きな、そして最も人口が多い大陸である。そしてその人口のほぼ半数が15歳未満のおそらく世界で最も若く出生率が高い大陸でもある。たとえメディアが注目しなかったとしても、(メディアが描いてきた無力なイメージとは異なる)もうひとつのアフリカ、つまり自らの考えを持ち、深刻な未解決の諸問題に積極的に立ち向かっていこうとするダイナミックなアフリカが現出している。そしてこの新たなアフリカが、全世界の将来のためにも、国際社会からの支援を必要としているのである。

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

パオラ・ヴァレリ氏は国際人権団体の出版・編集部門に勤務。また、Civilización Global誌の編集委員でもある。2010年IPS年次会合に出席した。

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