【ジュネーブIDN=ルネ・ワドロー】
スーダンのダルフール地方で、アラブ系民兵とこの地域の先住民族(マサリット族とファー族)との間で新たに紛争が再燃している。この衝突は2003年に始まり、これまでに約30万人の死者と約300万人の避難民が発生している。戦闘のほとんどはオマール・アル・バシール将軍が大統領だった時代に起きたものだが、2019年に同氏を失脚させた現在の暫定軍事政権下でも状況は根本的に改善されたわけではない。
ダルフール地方は、スーダンの西端に位置している。最長の対外国境はチャドだが、ラクダ飼いや武器商人にとって(カダフィ大佐失脚後に大量の武器が流出した)リビアとの往来は容易である。南には政情不安な中央アフリカ共和国があり、ダルフール紛争の影響を受けている。
この地域は、1916年までフランスの植民地であったチャドと、大英帝国エジプト領スーダンの緩衝地帯として機能していたが、第一次世界大戦で英仏間の対立よりも共通の敵であるドイツ帝国に対峙することが優先されるようになった結果、(当時のドイツの同盟国である)オスマン帝国に緩やかに属していたダルフール地方は、現地住民に相談することなく英エジプト領スーダンへ編入された。
そのため、ダルフールは常にスーダンの中で「置き去り」にされた存在であった。1945年以降に開発事業が行われるようになったが、基本的にダルフールはラクダや牛を放牧するアラブ系諸部族と非アラブ系の定住農家が混住する僻地のままであった。また隣国のチャドから、ラクダや牛を追って遊牧民がダルフールへの出入を繰り返していた。伝統的な部族間の境界線はあったが、人工的に引かれた国境線とは一致しないものだった。
2000年5月、「真実と正義の探求者」と名乗るスーダンの知識人等が「ブラックブック」として知られる研究論文「スーダンの権力と富の不均衡」を発表。この研究論文には、政府および社会改革を実現するための具体的な勧告が記されていた。この論文は広く読まれたが、権力や富の分配に関する新しいイニシアティブは生み出されなかった。ダルフール地域では、学校が閉鎖され、通学する子どもの数が減少していたため、ダルフールの指導者の中には、政府が特に保健と教育の分野でサービスを撤回しているという印象を持った人々が少なくなかった。
「ブラックブック」という改革を目指す知的試みが頓挫すると、ダルフールの指導者たちの間では、中央政府では暴力だけが真剣に受け止められているという確信が芽生え始めた。彼らは、鋭く迅速な暴力による力を誇示することで、政府にダルフールとの交渉を迫るという戦略を考え始めた。こうして、ダルフールでの反乱は2003年の春に始まった。
記者のジュリー・フリントとアレックス・デ・ワールが「ダルフール紛争史(A Short History of a Long War)」の中で指摘しているように、「ダルフールの反乱軍は、マサリット族とファー族の村人、スーダン政府の政策に我慢のならないザガワ族のベドウィン、指導者になる勇気のある一握りの専門家からなる厄介な連合体である」(同書)。ダルフールのゲリラのうち、武装蜂起する前に軍事的な経験や規律を身につけた者はほとんどいなかった。
「2つの主要な反政府勢力は、ダルフール地方が疎外されていることへの深い憤りで結束しているが、決して仲が良いわけではなく、簡単に分裂してしまうだろう…。2003年の最初の数ヶ月、中途半端で経験の浅い反乱軍の兵士たちは、無名の状態から、まったく準備の整っていない難題に直面することになったのである。」(同書)。
スーダン政府もまた、ダルフール地方の反乱に対して何の準備もできていなかった。政府の関心は、軍隊の大部分と同様に、スーダン南部との内戦に向けられていた。政府は、ダルフール運動との戦いを、内政や対外関係に無関心な狭い集団である治安機関に委ねたのだ。
スーダン政府は空軍を使ってダルフール地域の村々を空爆する一方で、地上戦については、リビアからの外国人部隊を投入することを決めた。リビアとチャドの連合体、あるいはチャド北部の一部の併合を企図していたカダフィ大佐は1980年代初頭に、モーリタニア、チャド、マリから民兵を集めて「イスラム軍団」を創設していた。1980年代末にカダフィ大佐のチャドへの関心が薄れると、イスラム軍団の兵士たちは孤立無援となり、新たな雇い主のために働くようになっていた。
スーダンの治安当局は、イスラム軍団の兵士を個人傭兵としてダルフール地方に投入したが、武器は供与したものの給料は払わなかった。彼らは、攻撃した村から奪えるものを奪って、自分たちの給料を払うことになっていた。また、ダルフールの刑務所から政府が支援する民兵に参加することを条件に囚人が釈放された。女性や少女に対する強姦は、恐怖を与える手段として、また無報酬のため戦闘員への「報酬」として幅広く行われた。これらの民兵は「ジャンジャウィード」(「カラシニコフ銃で武装した悪魔の騎兵」)と呼ばれるようになった。
ダルフール紛争はここ数年で鎮静化し、主流メディアのヘッドラインからほとんど消えてしまったが、長年に及ぶ紛争でこの地域には自動小銃などの武器が多数残されており、相次ぐ武力衝突から、多くの難民、国内避難民、放置された農地、政治不安を生み続けている。
ダルフール紛争では、集団間の旧来の紛争解決パターンの多くが破壊され、経済的なインフラも大きく破壊された。今後は、家屋や家畜、井戸よりも、集団間の社会的絆や信頼の再構築が困難となる可能性が高い。
アフリカ連合と国連の合同平和維持軍(2020年末に活動を終了)は、平和を実現することができなかった。平和維持軍は平和を維持する必要があるが、戦闘は小康状態を保っているものの、平和を維持することはできていない。盗賊行為、犯罪行為、そして断続的な軍事行動が続いている。現在の暴力の再燃が、現地に原因があるのか、それとも中央政府レベルの不安定さを反映しているのかは不明である。ダルフール情勢は依然として危機的であり、注視が必要である。(原文へ)
INPS Japan
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